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献本していたときのこと

scholaのことでふと思い出したことがあったので、忘れないうちにメモ。

以前にscholaを作っていた頃、ようやく地獄のような終盤の進行も終わり、十分な睡眠も取れるようになると、「そろそろ献本先を固めていきますか」という感じになってくる。

献本をする相手は大きく3種類で、これをGoogleスプレッドシートにまとめて、commmonsのメンバーに共有していた。
3種類とは、こんな感じ。

1)直接の関係者
2)プロモーション関連
3)その他

1)は座談会参加者・解説執筆者・レコード会社・収録曲アーティスト・編集チームなど。座談会参加者とは、坂本さんや、その巻ごとのテーマに関わる専門家など。解説を書いてくれるのは、その座談会に出てくれた人の場合もあれば、音楽誌や書籍などで執筆を行う評論家・ライターの方など。ようは「この人たちが制作に関わってくれなかったら、そもそもできなかったよね」といえるような人たちのこと。

2)は「この人たちがいなかったら、お客さんの手には届かないよね」という人たち。書店やCDストア、あるいは広報やメディア的な会社など。といっても、そのすべてにわたるわけではないし、単にというか、版元のcommmonsやavexと恒常的なつながりがあるそういった人たち。このカテゴリの人たちとぼくの接点はほとんどなく、会ったことがない人が大半だった気もする。

3)は逆にというか、ぼくが主導して提案・検討・判断して送る人たち。ぼくが提案しなければ、ゼロとも言える。製作に際してすごくお世話になったけど、ぼくが個人的に協力を依頼したからcommmonsからは送ってない人とか、あるいはぼくがすごく参考にした本の著者とか、あるいは直接の関わりはないけどそのテーマに関してすごく熱心に活動している人とか。
送り先は、人づてに聞いたり、自分でコンタクトを取ったり。これは完全に個人的なプロジェクトとしてやるので、自宅で自分で梱包して送る。このときのプチプチ付きの封筒(CDブックを入れるのでその方がいい)とか、先払いの宅配伝票とかはありがたいことに、commmonsから十分な数だけ事前に提供してもらっていた。

面識がない人に送るとき、いつもちょっと気を遣ったのは、「これ、プロモーション用と思われたくないな〜・・」ということだった。普通、見知らぬ人からその後に発売される新商品を無料で送ってもらったら、「これって宣伝してほしいのかな?」と思うのが自然だろう。でも、こちらはべつにそういう意図ではなく、なんというか、単に感謝の気持とか、あるいは「これが起点になって何かしら思いがけない化学反応が起きてほしいな〜」みたいなことを思ってるだけなので、その曖昧でわかりづらい意図をどう伝えたらいいのか、悩むことが少なくなかった。

結果的には、理由はどうあれそういったものを贈られるというのは肯定的に受けとめてもらえるもので、かつ何しろ坂本さんの渾身のプロジェクトでもあるので、「いりません」と言われることは一度もなかったけど、とはいえその「宣伝してほしいわけじゃなくて単にもらってほしい、読んでみてほしい」という感じ、なかなか伝えるのは難しい。
結局は、そのまんまメールとかで「宣伝とかはべつにしなくていいんで」と書いたこともあった気がするが、それでよかったのかどうか。それはそれで、ウラがあるように思われるのでは、とか裏読みの無限ループが発生してしまいそうだが。

とくに結論はなく、「あれ難しかったなー」と思い出したので書いておいた。

今週読んだ本・読んでる本

まずは火曜日に読んだもの。

その数日前から読み始めて、非常に読みやすく、内容も面白かったので一気に終わった。カタイ話題のはずだけど、そして文体もべつにポップとかではないんだけど、必要なことが端的に書かれていてとても良かった。

Twitterで書いた感想は以下。

その前に読んでいたのが以下。

韓国語をいかに学ぶか (平凡社新書)

韓国語をいかに学ぶか (平凡社新書)

言語学のような話も含むのでそれなりに体力は使ったが、これも非常に力が入った、作者の「心」が伝わってくる本でとても良かった。何度も読み返したい。

その後、あらためて読み始めたのはこちら。

以前にざっと全体を見ていたものの、その後に優先的に読みたいものがいくつか続いたので、先にそちらを読んでからあらためて戻ってきたところ。正直、読めば読むほど安倍首相や加藤厚労省など政府関係者の馬鹿っぷり、そして狡猾さ(それも含めて馬鹿なのだが)を感じざるを得ず、つらく、悔しい気持ちが募る。けっして楽しく読めるものではない。こんな思いをするぐらいなら、もっと自分自身が馬鹿になれるような、どうでもいいことだけをやったり考えたりしていたい、とも思えてくる。

しかし、自分が馬鹿になってしまえばそれは余計に彼らの思うつぼだろう。より良い社会を作るためには自分が賢くなるしかなく、そのための薬のようなものだと思って耐えて読まなければいけない。世の中には様々なつらい事例があり、しかし一方ではその対処法も(十分ではないかもしれないにせよ)ある。より多くのことを知る必要がある。結局のところ、知らない人が知る人に奪われていくのだ。身を守るために、奪う人よりも多くのことを知る必要がある。

「読んでいて楽しいものではない」とは書いたが、文章は読みやすく、本の作りも素敵だ。モノとしても良いものになっている。扱っている内容があまりにも腐っているから、その点に拒否感は生じるものの、その扱い方、語り口は心地よい。

昨日買った本・いま読んでいる本

昨日買った本

散歩がてら、街まで出て本を買ってきた。ほとんどストレス解消のように・・

人間使い捨て国家 (角川新書)

人間使い捨て国家 (角川新書)

反日韓国という幻想 誤解だらけの日韓関係

反日韓国という幻想 誤解だらけの日韓関係

韓国 現地からの報告 (ちくま新書)

韓国 現地からの報告 (ちくま新書)

無敗の男 中村喜四郎 全告白

無敗の男 中村喜四郎 全告白

すべてJR千葉駅のくまざわ書店にて。この店、棚の組み方が日に日に面白くなっている。以前からそうだったかもしれないが(そんな気もする)この日は最近の森友・佐川氏関連で新聞の切り抜きごとそれ関連の棚を組んでいて、一方では嫌韓的な本も普通にあったりして、逡巡しながらもとりあえずトンガッてる感じがいいなと思う。
カードで支払うとポイントカードが使えないのが不満だが、考えてみたら最近ポイントカードをそもそも使わない方針にしたので、とくに問題ないか。

韓国関連の2冊は以前からほしいと思っていたんだけどなかなか買う機会がなかったもの。そのうち伊東さんの新書はKindleで買おうと思っていたんだけど、紙本と発売日の時間差があったので(Kindleが後から出る)とりあえず紙で買っておいた。Kindle(というか電子書籍)もそれはそれで便利なところはあるんだけど、やっぱりどう考えても情報の吸収のしやすさとしては紙の方が効率いいよな、と最近は思ってる。結局電子本って、スマホであれタブレットであれPCであれ、1個の画面を通してしか情報が目に入ってこない。一方の紙本ではそれがもっと多彩・多様になる。1個の画面ではなく、立体になったり自由に動かしたり。ただしこれ、電子本をある程度読んでみないとわからないことだったな、とも思う。

『無敗の男』はいかにも文春みたいな大手ならではの企画、という感じ。いずれにしても、ある程度は期待を満たしてくれそうな雰囲気だったので買ってみたけど、とくにはオビの文句が良かった。というか、オビを見なかったら買わなかった。そういう意味では、オビって版元的にもやめるにやめられないのかな・・とも思う。(読むには邪魔なので外したが)

いま読んでいる本

前回の記事で紹介した以下をざくざく読んでいる。

韓国語をいかに学ぶか (平凡社新書)

韓国語をいかに学ぶか (平凡社新書)

全部で350Pぐらいだが、いま270Pぐらい。まだ5日も読んでないので、自分にしてはかなり早い。このところはけっこう出社していたのだが、その通勤時に電車で読んでいたからかも。

家族から、「なんでそんなに韓国語をやっているのかわからない」と言われて、たしかにな、と思った。自分でもわからない。単に面白いから、とも言えるけど、それも実際とは少しズレているような気がする。「いずれ役に立ちそうだから」とも言えるが、じゃあ役に立たないことがわかったらやめるのか、といえばそんなこともない気がする。それがただそこにあるからやっている、というか。目の前には何台もの車が並んでいる。ぼくはその中のどれに乗ってもいい。そしてぼくはその中の一番速そうな、そして乗っていてワクワクしそうだなと思うものを選んで乗っている感じ。

人によっては、「なんでそれなんだ」と思うかもしれない。もっとカッコイイ車とか、燃費がいいのとか、みんなが羨むような車もあるじゃないかと言われるかもしれないが、周りがどう思うかではなく、自分が一番乗っていて楽しそうなのを選んでいる。

かといって、刹那的に今この瞬間さえ楽しければいい、ということでもなく、先にある何かを期待してもいる。それはたぶん、韓国語を母語として話す人たちと頭の中のイメージを交換し合うこと、共有すること。おそらくはそれをぼんやりと目指している。それは「目的」とか「夢」とかのようにはっきり言語化できるものではなくて、何となくそんなふうになったらいいな・・と空気のように感じているもの。
ぼくが今、そのようなことをできる相手は日本語を話せる人たちだけだ。それって、ものすごくもったいないと思える。人生の損失だ。少なくともぼくはそれだけで人生を終えたくない、と思う。

それなら英語だっていいじゃないか、とも言われるかもしれないが、英語にはこのような興味を持てない。なぜだろう。英語にはすでにある程度慣れ親しんでいて、その向こうにあるものを多少なり想像できるからかもしれない。もちろん使いこなしているわけでも、実際に英語で書かれたり話されたりしたことの大半をキャッチできているわけでもないが、それでも韓国語によるそれに比べたら、想像できる部分が多いというか。今までに触れたことがない、その向こうに何があるのか見当もつかないものに触れたい、と多分思っている。

今日買った本

記録用。以下を買いました。

どちらも以前から興味あったのだけど、どちらともKindle版がなかったので現物(紙版)にて。

後者は新書と書いてあるけど分厚い(笑)京極夏彦さんのような・・

最近は韓国語学習の自走スピードが上がってきてる感じ。自分で自分に問題を出し始めている。「これは?」「これ。」「じゃあこれは?」「んー・・これ。」「じゃあこれは?」以下略、という感じ。

去年の今頃(4月ぐらい?)にいきなり始めたことだけど、あと3年ぐらいで何かしらモノになってほしい。モノというのが何かはわからないけど。仕事とか資格みたいなものに直接つなげたいわけではないけど、このままやったら必然的にそういうのは獲得されそう、とも思ってる。

勉強法も少し変わってる気がする。体系化されつつあるような気もするので、その辺はまたタイミングが合ったら書くかも。

Homeshakeのころ

最近、よく聴いているのはHomeshake。以前から聴いているが。

Fresh Air

Fresh Air

  • アーティスト:Homeshake
  • Captured Tracks Rec.
Amazon

一番聴いていたのはIT系の資格試験を受けていた頃。今の会社に入る前で、そろそろ就職のことを考えなきゃな、と思っていた。まったく、なにもアテはなかったが。

フリーランスだったのは「フリーランスになろう」と思ったからではなく、たまたまそうだった。というか、フリーランスになるための試験とか手続きはないわけで、ある意味会社員とか学生のような社会的立場・身分を持たない人は皆フリーランスといえるのかもしれない。

その意味では、ぼくは大学を卒業した時点からずっとフリーランスだったわけだ。仕事がなくてもフリーランスというのかはわからないが。昔はフリーターとかニートとか言ってましたっけ・・今も言うのかもしれないが。

おととしの11月に会社に入るまで、ずっとフリーランスだった。でもそれはたまたまそうだっただけで、自分で選んだものではなかった。それで今あらためて思うと、ぼくはまったくそれに向いていなかった。これを続けてはいけない、と思ったのはそれを痛感していたからだろう。

編集の仕事をさせてもらっていたが、それもまた偶然のめぐり合わせというのか、ぼくに声をかけてくれた寛容でリスクテイカーな人々がいたからだった。ぼく自身がそれをさせてくださいと言ったことはたぶんほとんど(記憶にある限りは一度も)ない。だから私はすごい、という話ではなく、向いてないのに続けてしまったのは自分にとってあまり良くなかったな、ということ。

ただなんというか、楽しかった・・頼られるということが。わずかながらも、自分の成したことが誰かの役に立つということが。フリーランスという生き方には向いていなかったが、scholaのような編集作業にはそこそこ適性があり、ぼくは魔法の杖を持っていた。それをさっと振るだけで、何かが生まれた。誰にでもできることではない。小さいコストで大きなものが生まれた。それが楽しかった。喜んでもらえることが嬉しかった。だから続けていた。

しかし自分の値付けには失敗していたと思う。もっと裕福になるための努力をすべきだったのかもしれない。しかしあまりそういうことを考えておらず、漫然と30代を過ごしてしまった。このままだと丸裸になって夜道を彷徨うことになるな、と思っていた。本当に。

プログラミングを始めたのは、考えてみるとそのフリーランスの中頃、または後半の頃だった。新しい仕事のきっかけになるかも、ぐらいには思ったがそれ以上に「できないことをできるようになってみたい」という気持ちが大きかったのだと思う。

IT系の資格試験を受けたのはそれから4〜5年した頃で、基本情報技術者試験というのに1回落ちて2回めで受かった、その頃が一番大変だったし充実していた。そしてそれはscholaをやっている最終盤の頃だったから、極限的といえば極限的、今思い返すとただ寒々しいというか、色のない世界を生きているようだった。いやな記憶ということではなく、いやー頑張っていたなという感じ。

1回目の落ちたときは確か0.5点ぐらい基準点に足りなかったはずで、これにはさすがに笑った。落ち込むよりウケた。そのときのことはココに書いた。

note103.hateblo.jp

しかし大変だったのはその後で、たしか半年後ぐらいに受けたとき、合格はしたのだが、このときの点数が前回落ちたときから2点ぐらいしか上がっていなかった。2点!半年めいっぱい勉強して上がった点数が2点だった。とにかく苦手だった、その、擬似言語を使ったアルゴリズムの問題というのがですね、苦手だった・・。

話を戻すと、その苦手だった科目を一生懸命勉強しながら聴いていたのが最初に紹介したHomeshakeの『Fresh Air』というアルバムだった。もう秋も深まる頃の夜道を、mp3に録音した参考書の特典動画の講義音声を聴きながら歩いていた。クイックソートとかバブルソートとかの違いや特徴に関する講義を聴きながら、ずっと真っ暗な中を散歩していた。それで講義音声に飽きると、Spotifyに切り替えてHomeshakeやSalesを聴いていた。

たしかその頃に聴いていた音楽についてまとめた記事があったはず、と思ったらこれだった。

note103.hatenablog.com

1個だけここにも再掲。

www.youtube.com

最近はなんだか新型コロナウィルスのことがすごい。その影響で会社もリモートワーク推奨になって、そういう話を今日は書くだろうと思っていたが、まったく関係ないことを書いているうちにキリがよいところまで来た気がするので、ここまで。