103

福田村事件を見た

面白かったんだけど、とりあえず「なにこれ」と思ったのが柄本明が死んだときにその息子の嫁役の女性が半裸になって、義父であるところの死者(柄本明)に覆いかぶさって泣くところで、「このシーン、要るか?」と思った。後から「そういえば」みたいにそう思ったのではなく、見ながら「は?」と思って一気に現実に引き戻された。これ、息子が戦争に行っている間に嫁と義父が姦通し、嫁の方も義父を慕ってましたみたいなことを示しているシーンなのだけど、夫が戦争に行っている間の嫁といえばその「家」から出るに出られない立場なわけで、ということは、それを良いことに義父が嫁に性暴力を振るっていたという状況だろう。にもかかわらず、それを肯定的に描くって何?こんなん見て喜ぶのって馬鹿で幼稚な老人以外にいるの?という感じだった。世の中のフェミニズムや性暴力に関わる潮流を一切踏まえていない、何十周遅れの表現なのだろうと思ってしまった。仮に当時そのようなことが実際にあったとして、それをこのように「美しい出来事」のように描けるのって何なのだろう?おぞましい・・。後にも先にも全然繋がらないシーンだし、突然映画全体に不信感を抱かざるを得ない感じになってだいぶ戸惑った。

そういえば、この映画の企画・脚本チームには荒井晴彦氏が加わっているはずで、荒井氏の好みなのだとしたら辻褄が合うなと思っていたら、パンフの監督インタビューによればこの辺のシーンはやはり脚本チームの発案だったようで、荒井氏の案かどうかはともかく、少なくとも森さんの意向ではなかったようで軽くホッとした。森さんだってもちろん世代としては荒井氏に近い方だが、社会問題や弱者への視点は強く持っているはずで、観る側もそんな森さんの映画だからと思って見ているところにこんなシーンが出てきて、そのときは本当にただ混乱したし、図式的には「裏切られた」みたいな感じですらあった。なんというか、今どきの老年男性が女性に対して抱くファム・ファタール幻想というか、「女性にはこうあってほしい」みたいに思う勝手なイメージをそのまま塗り込めてしまったかのような。これとは別の映画でそういう妄想全開でやるとかなら良いのかもしれないが、この映画の中では足を引っ張ってるだけだった。何より、ベテランの脚本チームがそれに気づけていないというのがつらい。何かのインタビューで、森さんが「今回、脚本チームと組んでやったことによって得られたものと、失ったものをプラマイで言ったら、マイナスの方が大きいかな」というようなことを言っていて、もちろん上記のようなシーンのことばかりではないだろうけど、なんかその話もちょっと思い出した。

映画全体としては、とにかく始まってから全体の70%ぐらいまではひたすら苦しいというか、別に面白くないわけではなく、不愉快なのでもなかったが、ただもう「早く終わってくれ〜・・」という感じだった。何度も時計を見て「あと何分我慢すればいいのか」と思っていた。だったらそもそもなんで観に行ったんだよ、という感じだが、持っていた劇場共通の前売券が今月いっぱいまでで、作品はその劇場でやっているものなら何でも良かったんだけど、この時期に公開中の選択肢の中ではこれしかなかったというか、いや、この映画は絶対見るべきものだということはわかっていたんだけど、相当つらい思いをするのもわかりきっていたので、普通ならわざわざ金を払ってそんなものを見るわけがないのだけど、何しろその前売券が無駄になってしまうし、他の公開作はどれもこれに比べたら「見る必要」を感じられないものだったので、「これも巡り合わせか・・」と思って覚悟を決めて行ったということ。配信だったらまず見ないし、仮に再生しても大半は早送りで飛ばしてクライマックスだけ見るとかだったと思う。劇場なら強制的に頭から最後まで付き合うことになるはずで、その意味でも見るなら劇場しかないとは思ってた。

行商団や福田村の村民の描写はなかなか良くて、とくに行商団はすぐに愛着を抱けるようなシーンが多いので、はあでも最後はこの人たちが惨殺されるんでしょ・・と思うともうその愛着を感じさせるシーンからひたすらつらかった。すべての微笑ましいシーンが「でも結局最後は虐殺でしょ・・」という暗さを帯びていて、豊原功補演じるリベラルな村長が幾度となく醸し出す希望を感じさせるシーンですら、常に反転して重苦しさが漂ってくる。だから始まってからその殺戮シーンに入るまでのすべてが何をやっていてもとりあえずつらく、重く感じられた。むしろ殺人のシーンに入ってからはそういう反転感がなくなるから、シンプルに鑑賞できてまだラクだったかもしれない。まあ実際には、その殺戮シーンに入ってしばらくして手元のApple Watchがブンブン震え始めて、心拍数が異常に高いですみたいな表示が出たので全然落ち着いてはいなかったんだけど。

その殺戮シーンもそうだけど、とにかく音楽はどれも良かったと思う。後から知ったが鈴木慶一さんらしい。最近の北野映画も鈴木さんだったか。これならたしかに北野映画にも合いそうだな・・とエンドロールを見ながら少し思った。

役者はやはり何と言っても水道橋博士と田中麗奈。水道橋博士は当初はぎこちなかった、と森監督が何かのインタビューで言っていたけど(ほぼ順撮りだったらしい)、自分には初めの方の登場シーンから良い感じだった。常に自分に自信がなく、それゆえに自らを奮い立たせるように威張り散らしている感じ。とくに虐殺シーンの前後ぐらいの声を張って喋るところ、本当に良かった。いくつか感想で、戦場のメリークリスマスにおけるビートたけしのような位置づけと言っている人もいたけど、さてどうだろ。水道橋博士が演じたこの役は、もっと肉体をフル稼働するような動的な存在で、役者としてのビートたけしが言われるような「上手い」とか「味がある」みたいなものではないように思ったけど。また、博士本人はこの役柄の人物とはほとんど真逆と言える政治指向なわけで、だからこその説得力というか、演技でここまでできるのか〜・・という驚きがあった。

田中麗奈の演技ってあまり見たことがなかったが、全編を通してなんともまったく違和感のない存在で、ひたすら「すげー」と思っていた。その夫役の井浦新もよかった。ちょっと前までは、「モデルの人がなんかそれっぽくボソボソ喋ってるだけ」などと意地悪く見ていたが、映画の世界にすっぽり溶け込んでいて、不自然な雰囲気はなかった。ピエール瀧も今まで役者として上手いとかはあんまり思ったことがなかったが、今回のは「本当にこういう人いそうだ」と思って見ていた。もちろん「ああ、ピエール瀧が演技をしているな」と思って見ているが、映画の世界はまったく壊していないというか。

新聞記者の女性について、ちょっと描写が薄っぺらいのではという(優等生すぎる、とか)感想を見たが、たしかにそうなのだけど、映画としてはやはり当時の新聞の役割をある程度大きく扱う必要はあり、その流れの中でこういう役柄があるというのは、まあいいのではないかと思った。難があるとしたら、そういう役や映画上の描写不足ではなく、ただ真面目なだけの人のように演じられてしまったその演技の問題というか、単調さというか、そういうところだったのではないか。

終盤で、行商団のリーダーが「あるセリフ」を言う、ということがこの作品に関する感想とか、批評とか、関係者のインタビューなどでもよく言われるんだけど、正直、見ているときはそのセリフを聞いても「まあ、そうだよね」ぐらいのことしか思わず、そこまで重要な、この映画の核になるようなメッセージだとは思わなかった。後から誰も彼もがネタバレを避けるかのように、そのセリフのことを「あるセリフ」とか言っているのでここでもわざわざそれを書きはしないが、まだ見ていなくてそういう話だけを聞いて、さぞかしすごいセリフが出てくるだろうと思っていると、「ん?今の?」という感じになる人もいるかもしれない。

それよりは、個人的には虐殺があらかた終わって、じつは行商団は朝鮮人ではなく日本人でした〜ということがわかり、殺人者たちが呆然とするシーンで水道橋博士が放った絞り出すような叫び。あれの方がよっぽど「そうきたか・・」という感じだった。実際には、その加害者たちがその後の裁判で滔々と述べた内容などの方がよっぽどすごい(想像を絶するような)話だったりもするようだが、この辺もあまり詳しく書いてもこれから見る人に悪いかもしれないのでこの程度までにしておく。

全部見終わって、はあ見てよかった、もう1回見ようかなという気になるぐらいの充実感を得た。これを見る前の自分と見た後の自分は明らかに違う。今後歩んでいく人生も確実に変わっただろう。もちろん、良い方向に。いろいろ否定的なことも書いたが、この映画を実現してくれたすべての人に感謝したい。