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自由な仕事ぶり

新入社員歓迎ランチ。@会社近所のフレンチ。今年の1月に2名の社員が入社したので、そのお祝い。新入社員とは言っても、どちらもベテランだが。1人はエンジニアで、もう1人はカスタマーサポート。

サポートの新入社員はぼくよりずっと確かな実績を積んでいて、これまでに携わった内容も期間もえらいすごい。それに加えてエンジニアとしての経験もあり、これまた趣味でRubyPerlをぺたぺた触っているぼくとは格が違う。

とはいえ、会社的には先輩だから、先人として知っていることをあれこれレクチャーしていく。やる気のない人に教えるほどつらいことはないが、もちろんというか、やる気のある人だから教えるのは面白い。これがやがては相談相手になっていくのだろう。

昔から、年下の人と組んで何かをするのは向いている感じがあった。これも結局教える構造になるからだと思われる。逆に、年上の人に囲まれて教わるような立場になると、いつも「もっと良い方法があるはずなのに、なぜこんな不合理なことを・・」とか思いがちだった。

考えてみると、今の会社でぼくはたぶん最年長に近いから、それでけっこうラクをしている感じもある。「それは違うだろう」と思えばすんなり言えるし、「あ、間違えた」と思ったら「さっきは間違ってました」としれっと言える。ぼくを攻撃しようとしてくる人がいないから、とりつくろう必要がない。

嘘をつき始めると、その嘘を以後守り続けなければいけないから、まともには生きていけなくなる。嘘をつかずに生きるためには、みっともなさを引き受ける必要がある。自分を大きく見せようとすることを、禁止しなければいけなくなる。それはそれで不自然なのだが、それをやめないと嘘という面倒なオプション料金を払い続けなければならなくなる。それが負担だから、みっともなさの方を引き受けることになる。

scholaをやっていたときは、年上の人が多かったが、それは職場の上司とかではなく、それぞれが独立したフリーランスみたいなものだったから、あまり精神的な負担はなかった。イヤだな、と思ったらいつでもやめられた。しがらみというのか、抜けられなさみたいなものは不思議なぐらいなかった。いわば、いつも辞表が引き出しに入ってる状態。それは同時に、いつ仕事を切られても文句を言えない状態でもあるが、それでよかった。

scholaは2巻か3巻ぐらいのときから、もう代わりがいないような感じになっていたから、作業自体は大変だったが、誰かからハラスメントを受けるような、人間関係のプレッシャーみたいのはまったくなかった。「いつでもやめられる、やめられたら困る人間」になれば、やめたくなるようなことは言われない。

前にも書いたかもしれないが、たしか4巻を作り終えた頃、commmonsの事務所の一角で、坂本さんのニューイヤースペシャルだったか、scholaの選曲座談会をラジオで流すような機会があって、それの構成をいきなりやることになった。座談会のベタ起こし原稿をプリントアウトして、それを色ペンでマーキングしながら番組内容を組み立てて、その脇でエンジニアさんがPCのソフトですぐに音声をエディットしていく。番組のトータル時間は決まっていて、それにピッタリ合うように、録音した座談会音源のあっちこっちをメタメタに切り刻みながら、あたかも最初から最後までその順番で話したかのように再構成した。

後から放送を聴いた坂本さんが、「当日に喋った内容そのままじゃないか」と言っていて、あんなにめちゃくちゃに切り刻んだのに、そんなに自然に聞こえたのか・・と不思議な感じがした。もちろんそれは高評価などではなく、文脈的に「つまらなかった」ということだろうから、大いに反省したし、落胆もしたけれど、その批判的な意図とは別にちょっと自信を与えられたところもあった。

その作業をしていたときに、scholaの校正をしてくれている人がたまたまcommmonsに立ち寄ったので、少し立ち話をした。どういう話の流れか忘れたが、不意にscholaのブックレットについて、「一人で作ってますよね!」と笑いながら言ってくれた。今思い返すと、そこには「なんでそこまでやってんの?」というニュアンスもあったかもしれないが、とにかくぼくは驚いて、「どうしてわかったんだろう」と、そのときも思ったが今もこれを書きながら思った。その人は普段のメールのやり取りでは結構いつも厳しくて、僕は怒られてばかりという感じだったから、余計に思いがけない評価というか、湧き上がるような喜びを感じもしたが、しかし「そんなこと誰にも言ってないのに」という驚きの方が大きかった。

ラジオの音源ができた後、どこかのスタジオで行われた放送前のマスタリングにも立ち会った。何かを言わなくてはいけないと思ったからか、「そこはもうちょっとフェードアウトを早く・・」とか何とか、こまかい部分に口を出したりしていた。今思うと夢の中の出来事のようで、現実のこととは思えない。そんな指示をできるはずの人間ではなかったのに。

以前に村上春樹が訳しているから、というだけの理由でポール・セローの『文壇遊泳術』という短編小説を読んだけど、あんな感じ。主人公は小説家でもなければ何者でもない人間で、しかしなぜかその立ち振舞いの上手さから、社交界では「最近スランプでなかなか書けないが実力のある小説家」として扱われる。*1

ことあるごとに、その話を思い出す。上記の自由さ・不可思議さはそれを想起させる。

*1:何十年も前に読んだ記憶だけで書いてるので全然違うかも。

外国人労働者の裁判支援、バイリンガルニュースのねこ星人マグカップ

これに支援した。

camp-fire.jp

たぶん9人目ぐらい。3,500円+手数料220円。それほど多くないけど、少な過ぎもしない。大変だと思うけど頑張ってほしい。見ている人がいる、ということを示したかった。

関連記事。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-00010665-bengocom-sociheadlines.yahoo.co.jp

この土日には韓国語と英語の勉強もしていた。これに加えて、プログラミングも1つ、やっておかなければいけないタスクがあるけど、時間を捻出できていない。まあ、実際にはTwitterを眺めている時間が長いので、それを減らせばいいような気もするけれど。

あとscholaの記憶というか記録というか、メモに残しておきたい話(大した話ではないが)があったのを思い出して、覚えているうちに書かないと・・と思ったまま何日か過ぎている。覚えているうちに書かないと・・。

英語といえば、バイリンガルニュースのグッズストアで買ったものがいくつか届いた。猫マグカップは会社で使いたい。

それから先週金曜には今年初の韓国語教室へ行った。これについてはどこかにあらためてまとめるつもり。

数日前に見た音楽。よかった。

今日買った本、#withyellow

書店でこれを購入。

前者はカバーが非常に印象的というか、工夫が凝らされていて思わず買ってしまった。連作短編のような体になっていて、最初の2本を読んだけどテンポがよくてサクサク進んだ。

後者は現在進行系の韓国フェミニズムの様子をキャッチしたくて。知らないことばかり&エネルギーがあり、面白い。

ここ数日はセンター試験のこともあり、痴漢レーダーの作者さんたちが声を上げた #withyellow の運動が話題になっている。

最初に見たのはこの記事。

www.bengo4.com

そして何よりこの記事。わかりやすい。

www.nhk.or.jp

取り組みの公式サイトはこちら。

https://www.voiceaction.net/www.voiceaction.net

ちなみに、痴漢レーダーはアプリが出てすぐぐらいから入れてる。

今日はヤフーニュースでも話題だった模様。ただし、見てない。消耗しそうだったので。

NHKの記事ではこちらも重要だと思える。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191226/k10012228881000.htmlwww3.nhk.or.jp

たまたまだけど、最近はこれを読んでいた。今大体7〜8割ぐらいまで来た。

再発防止を目的とする依存症治療プログラムに関わる著者によるもの。いろいろ、非常に参考になる。

なぜこの問題にこのように関心を持つのか?といったら、第一には知らないことを知っていく好奇心のようなことがあると思われ、第二にはただ知っていくというそれだけで、何かしらの貢献につながると思えるから、な気がする。

痴漢防止の運動に対しては、ある種の男性からの熾烈な批判が絶えないようだ。その理由を想像はできるが、実感(共感)はできない。なぜだろうか。そのような批判を行う人は、「自分」と「男性(というカテゴリ)」がちょっと近すぎる・重なりすぎているのかもしれない。ぼくは社会的には男性の範疇に入るだろうが、痴漢という犯罪の加害者と自分を「同じ男性だから」というだけで結びつけたりはしない(というかしようがない)。その意味で、そこを結びつけることのできる状況というのがちょっと想像できない。

少し前まで、それまでのフリーランスでの自宅作業から会社員での電車通勤に生活が変わり、痴漢冤罪の可能性が生じてしまったな、と不安になったこともあったが、上記の本を読んだり、よくよく考えてみると、仮にそのような状況に直面してしまったとしても、加害者に対して声を上げた被害者にはなんの落ち度もないのだと、戦う相手は被害者ではなく真の加害者なのであり、また他の現場で起きている数多くの加害者なのだと思えば不安の質も変わってくるなと思った。

今日買った本

昨日は岸野雄一さんの毎年恒例新春コンサートへ。ものすごい内容でしたが、これについては別途・・

同イベントは終演が10時過ぎになることが多く、それから千葉まで帰るのはけっこう大変・・という知見が溜まっていたので、今回は会場から徒歩5分ぐらいのホテルを取って一泊。明けて本日は以前から行きたかった「本の読める店」ことfuzkueさんについに。

fuzkue.com

で、これについてもまた別記事で・・(笑)

本記事ではその後、帰り道にふっと寄った神保町の三省堂書店で買った本の記録。本当は、同じ神保町のチェッコリに行きたかったんだけど、

www.chekccori.tokyo

休日はお休みのようで、そちらへ、という感じ。で、以下のようなものを買いました。

トレバー・ノア 生まれたことが犯罪! ?

トレバー・ノア 生まれたことが犯罪! ?

  • 作者:トレバー・ノア
  • 出版社/メーカー: 英治出版
  • 発売日: 2018/05/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

  • 作者:北村紗衣
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2019/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

労働者のための漫画の描き方教室

労働者のための漫画の描き方教室

  • 作者:川崎 昌平
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2018/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

エトセトラ VOL.1

エトセトラ VOL.1

  • 作者:田房 永子
  • 出版社/メーカー: エトセトラブックス
  • 発売日: 2019/05/15
  • メディア: 単行本

エトセトラ VOL.2

エトセトラ VOL.2

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!

いわゆるフェミニズム系の本が多いですね。勉強、という面もなくはないけど、基本的にはただ関心があって、という感じ。じつはというか、少し前に始まった韓国・在日等への関心とつながってるような気もしていて、ようはマジョリティが無意識的に行ってる差別の状況についてよく知りたい、みたいな感じ。なぜそうなってしまうのか、という。純粋に、知らなかったことを知っていくことの面白さのようでもあり。

少し前に買った以下もそれと近い関心からかも。

私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏

私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏

  • 作者:永江朗
  • 出版社/メーカー: 太郎次郎社エディタス
  • 発売日: 2019/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

面白い本でしたが、これについてもまた感想を書ければ書きたいところ。

今日、検討したけど買わなかったものもメモ。以下3冊。

ネオナチの少女 (単行本)

ネオナチの少女 (単行本)

プッシー・ライオットの革命 自由のための闘い

プッシー・ライオットの革命 自由のための闘い

ストリートの精霊たち

ストリートの精霊たち

  • 作者:川瀬 慈
  • 出版社/メーカー: 世界思想社
  • 発売日: 2018/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

最後の本はschola11でもお世話になった川瀬さんの本。その前の2冊と同じコーナーにあって、読みやすそうだったので最近のお仕事として読んでおきたいな、と思ったんだけど、荷物が多すぎて、今日でなくても・・と一旦保留。

ネオナチ少女、はタイトルと表紙が上手く、中をパラッと読んでもすいすい読めそうだったので候補に入れていたけど、同様に「今日でなくても・・」という感じで見送り。

プッシー・ライオットは最後まで悩んだんだけど、若干構成がガチャガチャしていて、読み進めるのに苦労して積ん読になりそうな気がしたので(よくある)、見送り。でも機会があれば全体的に読んでみたい。

順番はばらばらだけど、中盤で紹介したZineの本。なんとばるぼらさんと野中モモさんによる大判の本で、よくぞこれを置いてくれたなあ・・と感心しながら、これを自分が買わずに誰が買うのか、という感じでだいぶ荷物になったけど買いました。ばるぼらさんが作ってる時点で内容的にも資料価値的にもまったく不安がない上に、かなりの充実度にもかかわらず税抜2,600円。安い!1万円越えててもいい内容。とはいえ、その値段でも買えるかと言ったら別の問題なのでこの価格でもちろん助かりましたが。

前日のライブの物販で買った荷物などもあったので、かなりの大荷物になったけど、楽しみなものが多くて楽しみ。

fuzkueに行ってきた

2020/1/11に渋谷で岸野雄一さんの新春恒例ライブがあり、これは毎年フルボリュームにつき終わる頃には体力が使い果たされており、帰宅するのが大変、ということで今年は近くに宿をとってラクをした。

翌日は午前11時チェックアウトで、家族からお土産を頼まれていたのでそれをゲットした後、ただ単調に帰途を歩むというのはなんだかつまらない上に、時間的にそろそろ正午。というぐらいで空腹にもなっていたので、以前から一回行ってみようと思っていた初台のfuzkueに行ってみることにした。

fuzkue.com

階段を2階へ上がっていくと、細長い感じのお店で奥にカウンターがあり、左手にはさぞかしゆったりできそうなソファも空いていたけど、そのときはもうお腹が減っていて定食を食べよう、と初めから決めていたので、たぶんソファよりイス席の方が食べやすいだろうと思ってそちらに座った。

食事ができるのを待っている間は、前日のライブでもらった折込チラシを一生懸命読んだり、物販で買った林以楽(リン・イーラー)さんの詩集を読んだりした。元々の予定(というか)では、iPhoneKindleアプリに入れっぱなしの積ん読電書本を読み進めよう、なんて思ってもいたけれど、そのチラシ1枚1枚や詩集だけでもそれなりの読みごたえがあり、何よりもうカラダが随分くたびれていたので、半ば眠るようにしてそれらに目を通しながら休んでいた。

食事は非常においしく、珍しいぐらいに綺麗に平らげた。基本的にぼくは少食で、大体会社の昼休みに近所の飲食店で買ってくる弁当などは3〜4割残して、タッパに入れて持って帰る(それで夕飯に合わせて食べる)ぐらいだけど、この定食は非常に好みに合っていて、なおかつたぶんちょうどいいぐらいに空腹だったこともあって、絵に描いたように最後まで食べきった。

本を読むことは、考えてみるとそもそもそんなに目的ではなかったというか、求めていたのは時間というか、空間というか、そういう「何もしなくて良い場所」、「何からもアクションを求められない時間」、あるいは「自分から動き出すまでは動き出す必要に迫られない状況」であって、fuzkueさん風に言ったらひと言で「静かな時間」としか確かに言いようがないようなそれで、とくに頑張って本を読んだりしなくても十分に豊かな雰囲気の中、何かを考えたり、考えなかったりしながら大体2時間ちょっとぐらい過ごした。(「何もしなくて良い」という環境に置かれると、普段考えたくてもなかなか考えられないある種のゾーン、みたいなものに思考の中で触れられる感じがする)

それでもつれづれに読んだ、店内に置いてあった本というのはあって、以下とか。

懐かしい。昔、2〜3本ぐらいDVDで見た。大切にしていた感覚がそこにある、というのを思い出した。

他にもジョナス・メカスの本とか、あと自分が座ったそばには南米のいわゆるマジック・リアリズム的な本や、トマス・ピンチョンなどがたんまり並んでいて、これらが大学の図書館に同様に並んでいて圧倒されたことを、生々しく思い出した。

店内・店員さんの雰囲気もとても良く、その感じの良さというのは、単にfuzkueさんならではの、あのオリジナリティに満ちたコンセプトによるものというよりは、たぶんここはかなり大事なところだと思うけど、何よりも第一に「どうすればお客さんに心地よく過ごしてもらえるか」を常に考えているからだろうと思った。

もしもそれ以上にコンセプトとか、店の目指すべきイメージみたいなものを優先していたら、それはお客さんを大事にすることと見た目はよく似ているが、やっぱりまったく違う感じになるんじゃないかと思う。

帰ったら、家族から「fuzkueはどうだった」と聞かれたので、「うーん、毎週行きたいぐらいだ」と伝えた。会社の最寄駅から都営新宿線で数駅で行けるところにあるから、それも不可能ではないが、仮に難しいとしても、1〜2ヶ月に1回は行きたいなあと思っているところ。