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ジム、美大、澁谷さんの日記

10時過ぎに起床。前夜も寝たのは3時半ぐらい。抜けていた数日前の日記を書いて、当日分も更新してそのぐらいの時間になった。

ほとんど腹が減っていないので朝食は抜き。ダイエット目的で食事を抜くのは良くないようだが、腹が減っていないから食べない、というのは利害が一致している。

Amazonのポイントアップキャンペーンは今日いっぱい。ということでいろいろ購入。明日到着するようにも設定できたが、数週間前のAmazonセールでそれをやったら予定日をまる2日遅れて到着、箱もボコボコという感じだったので今回は信用せず、少し間を空けて届くようにした。

ジム

夕方、ジムへ。本当はもう少し早く行くつもりだったが、ダラダラ過ごして出るのが遅くなった。前回は木曜だったから中2日。その前は日曜だったので、なんとか週2回を保っている。

肩のリハビリのとき、帰りに「筋トレって、何かやっていいのありますか」と聞いたら、種目による、脚トレならいいけどベンチプレスとか懸垂とかはNG、と言われたので(普通に考えればたしかにそうだ)、上半身はすべてナシにして、脚メインで。

夕食の支度などもあるので、できるのは2時間ちょっと。ジムにいるとあっという間に3時間ぐらい過ぎてしまうので、少し短く感じる。プログラミングばかりやっていた頃もそうだったが、向いている趣味は時間を奪う、いや奪うという言い方は少しズレていて、時間が飛ぶ、抜ける、落ちるという感じ。どこかに音もなく、突然なくなってしまう。

今通っているジムは天井が高くて、施設の空気感がとてもいい。むかし通っていた(というか)大学(ムサビ)もそんな感じだった。抜けがいいというか、高校生の頃、学校見学がてら芸術祭を見に行ったとき、その開放感と校舎のどでかさに胸を打たれた。郊外の学校だからか基本的に人が少ないというか、「広さ」は人の少なさに比例して感じられるところがあって、その「誰もいない場所にでかい敷地と校舎だけがある」という、廃墟にも似た近未来感が良かったのかもしれない。

高校のときに入った美術部もそういうのが好きで入部したのだった。部員は少なく、毎日行っているのはぼくだけだった。最初はラボルトの石膏像を延々描いていた。顧問の先生はRCサクセションの「僕の好きな先生」そのままのような人だったが、絵は丁寧に教えてくれたし、評価してもらっていたので居心地は良かった。先生は自分の部屋で制作に勤しんでいるので、放課後の美術室には自分の他に誰もいなかった。野球部とかテニス部とかの練習の音だけが聞こえてくる。誰にも見られず、話さず、部屋が真っ暗になるまで描いていた。真面目なのではなくて、それしかやることがなかったのだ。先生が「まだ居たのか」と電気をつけて入ってくる。もう帰るところです、と帰る。そんなことを繰り返しているうちに、勉強することを忘れて、結局美大以外に選択肢がなくなってしまった。これも一種の「時間が抜ける」だったのかもしれない。

土日の夕方のジムは利用者が少なくて、フロアの広さと人の少なさのギャップが独特の開放感を生んでいる。脚トレは上手くいったと思う。両足がボワッと膨らむような麻痺しているような、非日常的な疲労を感じながら帰宅。

日記

日記を書いてみようと思ったのは、澁谷浩次さんのnoteでの日記を読んでいることが影響しているかもしれない。
note.com

澁谷さんは今年に入ってから毎日の日記をnoteで公開していて、淡々としていながら不思議な抑揚もあり、面白い。ぼくはこれをfeedly→IFTTT経由でプライベートなSlackに流しているのだけど(Slackの標準機能を使っても流せるかも)、これがRSSリーダー代わりになっていて、大体更新されるたびに読みに行く(Slack上でも冒頭の数行は読める)。

初回の日記を読むと、日記を公開することに対する諸問題というか、気をつかう部分が大体自分の考えていることと共通していて、その点でも興味深く、楽しく読めているのかもしれない。
note.com