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オフィスマウンテン公演『NOと言って生きるなら』を観た

  • 先週土曜、11/16にオフィスマウンテン公演『NOと言って生きるなら』を観てきた。横浜、STスポット。
  • この公演には大谷さんが俳優として出てくる。大谷さんとはしばらく会っていなかったし、主宰の山縣太一さんには以前から興味があったから、公演の存在を知ったときから行きたいとは思っていたけど、11月前半にはカンファレンスの登壇やハングル検定などいろいろ重なって我ながら多忙で、行けるかな〜・・と不安になっていたものの、最終日前日のこの日なら行ける!とわかったその瞬間にチケットを予約した。
  • 山縣さんとはじつは大谷さんとの共編著『大谷能生フランス革命』を作ったときに一度会っていて、同書にゲストとして登場された岡田利規さんが主宰するチェルフィッチュの稽古を見学させてもらったときに、簡単にご挨拶をした。

大谷能生のフランス革命

大谷能生のフランス革命

  • その山縣さんと大谷さんが以前からいろいろやっていたことは知っていたけど、大谷さんが役者として演劇をしているところは観たことがなかったから、この機会に、と思って。
  • 「この機会に」といっても何かわかりやすいきっかけがあったわけじゃなくて、でも去年の今頃に転職して、時間があればあるだけ編集作業をやっていたフリーランス時代とは違い、会社員として仕事の時間とそれ以外の時間がパッキリ分かれるようになって、ああ本当にやりたいことを、仕事以外の時間にできる!となってきていよいよ何というか、そういう自分にとって大切なことをするために時間を使っていいんだ的な感じが体に浸透してきたそのタイミングで、みたいなこと。
  • で、Twitterでほとんど偶然にこの公演があることを知り、これが自分にとってのその「時間を使うべき大切なこと」だとふと、ピーンときたみたいな感じもあって、ということ。
  • 行ってみて、なんというか、この少なくとも10年以上のあいだ、ずっと忘れていた感覚を思い出した気がした。それはたぶん20代の頃、何でもできる、どこまででも行ける、と思っていたそのとき、何も根拠はないがとにかく今までに見たことのないものを自分だったら作れる、というその感覚。全能感というほど無邪気なものでもないけれど、自分の体と発想を使って何でも作れる、誰とでもつながれる、という創作がもたらす可能性みたいなものを、一気に何十年分も思い出し、ぐいっと引き寄せてしまった。それがもう手元にある。
  • 客席には若い人が多く、また見たかぎりほとんど満席で、それも心強かった。山縣さんはTwitterなどでチケットが売れていないと何度か言っていて、この作品がそんなんで大丈夫か日本、と不安になったけど、当日券も売れていたようだし、大丈夫かもしれないと思った。繰り返すが、若い人が多かったというのは心強かった。
  • 作品は、最初はもうまったく何がなんだかわからなかった。全然ついていけず、というかついていけるとかいけないとかの問題ですらなく、ひたすら「困った」という感じだった。「このままこれを60分見られるのか、自分の力で」と思った。
  • でも、後から思えば、その感じ方はたぶん正解だ。というか、間違った感じ方なんてないかもしれないが、少なくともその困ったり、途方に暮れたりする反応はじつに自然で、それでよかったはずだろうと今なら思う。
  • 途中で、そうか、これは音楽だと思って見ればいいのだ、とふと思った。大友良英さんやデレク・ベイリーの演奏のようなものだと思えばいい、と。たしかに、というか、そのように見ると、すべてが既視感の上に成り立つように思われ、急激に体の中を安堵が走った。「よかった、これ、見たことある」と。
  • しかし、それは間違いだろう。さっき「間違いなんかない」と言ったばかりだが、しかしそのように「こう扱えば安心する、すでに知っているものにカテゴライズできる」という見方は単純につまらない。そんなの見る意味ないし、貴重な時間を使ってやることでもない。そのことに気がついて、「音楽として見るなんて見方はやめよう」と思って、それでまた困り始めた。でも、この「困り」は全然いやな感じではなかった。
  • 終演後の、ハラサオリさんとのアフタートークが面白かった。事前の感覚では、このアフタートークという時間自体、「終演後にそれについて何か話すなんて、新鮮な自分だけの感想が吹き飛んでしまうのではないか」と懸念したものだけど、全然そんなことはなく、むしろ感想が熟成されるように、より濃密なものとして残った。とくに、以下の本の中で触れられていた「人前に立つということは『異常事態』である」という話、これにまつわるエピソードで、ハラさんも自分の鼓動が耳に聞こえるぐらいに緊張する、と言っていたのはすごく意外というか興味深かった。また、その『異常事態』に関する山縣さんの話自体も非常に面白い。

身体(ことば)と言葉(からだ)?舞台に立つために 山縣太一の「演劇」メソッド

身体(ことば)と言葉(からだ)?舞台に立つために 山縣太一の「演劇」メソッド

  • もう一つは、ハラさんが気づいたという、公演の前半で、天井の方でカチっと音が鳴ったときに大谷さんと山縣さんが同時にそちらを見たという話、これはぼくも気づいていたから、「同じこと言った!」と思った。
  • しかし後から考えてみたら、それに対して山縣さんは「音が時々鳴るんだ、響くんだここは」みたいなことを言っていて、ということはそれはある意味でアドリブ的な、その場ならではの一回的な出来事に対して身体が反応して、それを観客に見せたということで、しかしそれって山縣さんが言う「徹底的に練習してアドリブの要素が入り込む余地がないところまで繰り返し、それを再現する」というのとは少し異なるような?とも思った。この辺、実際はどうだったのか。(つまり、その「天井の音に反応する」というのも稽古には含まれていたのだろうか)
  • 公演が終わってから、久しぶりに大谷さんと雑談をした。大谷さん、事前に公式動画なんかを見たときも「変わってねェ〜」と思ったけど、話してみたらさらに以前のままで、笑った。話せば話すほど、大谷さんだった。
  • 転職したから、少し自分の自由な時間ができるようになった、それでこれを観にこれた、みたいな話をしたら、また一緒に何かやろうよ、みたいなことを言われ、嬉しかった。できるのかな、まだ何か。できるだろう、たぶんきっと。

2019/11/10の記録

  • ハングル能力検定に行ってきた。千葉の会場で、前回より少し遠かったが、それでも自宅の最寄りから数駅程度の場所。
  • 結論から言うと、感触は良い。5級(最初級)と4級(その上の級)を受けたが、帰宅後に解答速報を見て突き合わせたところ、どちらも受かっている可能性が高い(今のところは)。

  • 前回は今年の6月に受けた。受験の申込みは4月で、たしかRubyKaigiに向かう空港で申し込んだから、4/16とか、その前後ぐらいではなかったか。
  • この時、ぼくはまだ韓国語の教科書などは1冊も持っておらず、もちろん学校にも行っていなかった。せいぜい、Eテレの「テレビでハングル講座」を1〜2回見た程度ではなかったか。
  • 申込みには数千円の費用がかかるし、なぜ「とりあえず申し込んだ」のか、今となってはよくわからないが、それが自然というか、当然のような感覚はあったと思う。
  • その後、会社と会社最寄駅の間ぐらいの場所に、歴史ある韓国語教室があることを知り、さっそく連絡をとって、通い始めることにした。

www.hiroba-net.co.jp

  • 会社帰りに通うつもりだったが、すでにけっこう予約が埋まっていて、初回と2回めはどちらもゴールデンウィークに行くことになった。
  • 会社の近くだから行くことにしたのに、会社が休みの日に行くなんて!
  • それも、片道90分もかけて!
  • 学校は最初の印象どおり、とても水が合うというか、リラックスできる良い場所だったが、会社に行く機会自体がその後不定期になり始めて(自宅作業の割合が増えた)、結局あまり行けないまま6月の試験を迎えてしまい、ほとんどぶっつけ本番の状態で受けたら、結果は50点だった。
  • 合格基準点は60点だから、これは不合格なわけだが、とはいえろくに準備ができていない状態でそれだけ取れたから、自分ではけっこう満足というか、「向いているのではないか」と初めて思ったのもこの頃だったと思う。
  • その後もなかなか学校に行く時間は取れず、というのも各種カンファレンスに参加したり、プライベートの多忙なども重なったからだが、これにより結局今回のハングル検定もほとんど独学のまま臨むことになってしまった。
  • 独学の教材は上記のEテレのほか、ラジオの「まいにちハングル」を聞いたり、あとはhimeさんという韓国語学習ブログのすごい人がいて、この人が出している本を2冊買って読んだり、あとはひたすら過去問をやるなどしていた。これらの勉強法とかについては、また機会があったらどこかにまとめたい。

イラストで覚える hime式 たのしい韓国語単語帳

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hime式 イラスト&書いて覚える韓国語文法ドリル

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  • これをもってひとまず受験に向けた背伸び的な勉強は一旦お休みして、今度こそ学校に少しずつでも通いながら基礎の部分を身につけたい。

2019/11/08の記録

  • 朝、連絡があって塚田先生が亡くなったと聞いた。
  • 最初の印象は、ああ、scholaでやり切っておいてよかった、ということだった。寂しさや、痛みを感じるが、後悔はない。校了後に坂本さんのコンサートでお会いしたとき、ご家族にぼくを紹介して、この人は本当に優秀なんだ、と言ってくれた。ああ、伝わっていた、やるべきことをやるべきレベルまでやっていたことを、先生はわかってくれていた、と思った。
  • そのschola(アフリカの伝統音楽)では多くの関係者がいたけれど、坂本さんを除いて、いつも一番早くメールを返してくれるのは塚田先生だった。そしてその内容はいつも厳しく、透き通っていた。鋭い指摘に何度もたじろいだが、言葉に攻撃性はなく、共にこれを作り上げようという気持ちに満ちていたから、ぼくはそのレスを恐れながら、でも楽しみにしていた。scholaは良いものになったと思う。
  • CDのマスタリングはなかなか困難で、なぜなら音源には先生がDATで録ったフィールドワーク録音が多かったから、その中のコレというポイントを切り出すためには、とてもしつこく、どこまでも手間をかける必要があり、そのためのクリエイティブな環境を用意することがまず大変だった。通常は1日で済むその作業を、何日かかけて行った。commmonsのスタッフも粘り強く付き合ってくれた。できるまでやめない、という感じ。ありがたかった。塚田先生と物を作るには、それが必要だった。
  • 先生自身も「これを収録できるとは思わなかった」と言っていた音源を収録することができた。scholaはそれを発売するavex以外の、国内外のレコード会社とライセンス契約を結びながら様々な曲を収録させてもらっているのだけど、この問題の曲(というか録音)は、候補曲をリストアップした先生ですらもうどこで買ったか覚えていないようなカセットテープに入っていたもので、どこの誰が権利を持っているのか、そもそもその権利元がまだ存続しているのかもわからなかった。しかしavexにはとても優秀な許諾担当さんがいて、彼女とぼくとcommmonsスタッフの3人は、小さな、でも密に結びついた、ブランキー・ジェット・シティジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのようなチームを組んで、普通だったら途中で諦めてしまいそうなその権利元を探し続けて、突き止めて、交渉し、やがてOKをもらった*1。その過程を知らない人から見れば、魔法のような結果ではあったが、ぼくらはただ目の前の1本道を歩き続けていただけで、時間切れになるギリギリまでやめることをしなかっただけだった。それが収録できることを先生に報告して、驚いてもらえたことは、今思えばその取り組みに対する何よりも大きな報酬だった。
  • 制作が終盤に差しかかった頃、坂本さんから、塚田先生への感謝を何らかのかたちでブックレットに残しておきたい、と相談を受けた。塚田先生がいなかったら、この巻はけっしてできなかったから、と。
  • 巻頭にエピグラフのようにその旨を記すとか、奥付に何かしらの記載をするなどの方法も考えたが、最終的には巻末の謝辞のトップにお名前を記すかたちに落ち着いた。
  • 通常、scholaの謝辞には楽曲や資料の提供で協力してくれた会社や個人の名前を記載していて、選者や執筆者のような制作側の名前は入れない。あくまで外部の関係者がその対象だ。加えて、ページの上方には会社名を並べて、その下に個人名を記していく書式を採っているから、トップに個人名を入れることも普通はない。でも、この巻に限ってはそれらのルールを逸脱して、謝辞の最初に「塚田健一」と入れた。ものすごく地味な、言われなければ誰にもわからないような一手だが、様々な気持ちを込めてそのようにした。
  • このようなことをしたのは、10年にわたってぼくが関わった17冊のscholaで、このときだけだ。
  • ものすごいスピード感と、透徹した感性と、未来の人のような革新性と、優しさと、ユーモアのある方だった。文章は緻密で、端正で、柔らかく、独特のフックがあり、読みやすかった。お会いしたときのことを思い出すと、笑っているところしか思い出せない。

【vol.11】Traditional Music in Africa(アフリカの伝統音楽) | commmons: schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons

commmons: schola vol.11 Kenichi Tsukada & Ryuichi Sakamoto Selections: Traditional Music in Africa

commmons: schola vol.11 Kenichi Tsukada & Ryuichi Sakamoto Selections: Traditional Music in Africa

*1:最後に入っているジョン・ブレアリィ氏の録音によるドンゴ独奏。