103

文系について(2)

前回の内容は以下。

note103.hatenablog.com

けっこうな量になったので一旦そこでやめたのだけど、もう少し続きがあった。

補足

  • まず補足なのだけど、前回は「基本情報技術者試験を受けたのがきっかけで文系について考えるようになった」的なことを書いたのだけど、よくよく思い出してみると、実際にはそれより少し前にTwitterで「国語をちゃんとやれば論理的思考が身につく!」みたいな話を目にして疑問を持ったことがきっかけだった。
    • そのツイートは今ざっと探したけど見つからなかった。似たようなのはいくらかあったが。
  • 疑問、というのは個人的には「国語をやって論理的思考が身につく」とはあまり思えないということ。
  • 国語をやる、というのは基本的にはとりあえず「文章をよく読む」ということだと思うのだけど、いろんな文章をたくさん読んでわかることっていうのは、結局「いろんな人がいる」ということに尽きるのではないかと思っている。
  • 少し言い換えると、「いろんな考え方がある」ということだけど。
  • 一方で「論理的思考」というのは、ぼくにとっては「よくよく考えれば誰だってそう考えるよね」というものであって、その意味では国語より算数に近い。
  • 「1個100円のリンゴを2つ、1パック300円のイチゴを1つ買った。合計いくら?」みたいな感じ。
  • これで回答者によって答えが違ったら困る。
  • そして論理的思考とは、そういう「回答者によって答えが違ったら困る」ものだと思う。
  • しかし国語で、というかいろんな文章を読んでわかることというのは、「え、そんな考え方があるのか!?」という驚きであり、その体験を通して「自分の知らない世界がまだまだ広がっている」という事実を知ることだと思う。
  • あとは、今は「忖度」という言葉が空前のブームだが、「この人はクチでは賛成しているようだけど本当はイヤなのかもしれない……」とかいうふうに、他人の気持ちをいろいろ想像するようなことも国語の勉強を通して学んでいけるとは思う。
    • 「主人公の気持ちは次のどれか?」みたいな問題とかまさに。
  • 話を戻すと、だからその「国語をちゃんとやれば論理的思考が身につく」という論はよくわからない。その論は果たしてどこまで論理的なんだろうか。
  • ちなみに、前回の文章でぼくは

文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う

  • と書いたのだけど*1、これをもう少し言い換えると、文系というのは「その豊かな想像力を駆使して飛躍した論理を操る」ということになって、それはまた「論理的ではない話をあたかも筋が通っているかのように話す」ということになる。
  • で、上記の論についてもなんとなくそういうフシがあるのではないのかなあ……という印象を持ちつつ、「いや文系っていうのはそうじゃなくて、こういうことじゃないのかな?」という感じで前回書いたようなことを考えはじめた気がする。

前回の続き

  • さて、それはそれとして、前回の続きとして記しておきたいことがあったので、以下ではそれについて。
  • どうも一連の論旨として、いわゆる「文系」の人に悪いことばかり言っているような気が自分でもするが、それはべつに目的ではない。
  • では目的は何かというと、「文系や理系に関する話がいろいろあるけど、大半はそもそもの文系・理系の定義が曖昧すぎるだろ。もうちょっと前提を一致させてから話してはどうか? というか少し考えてみようか?」みたいなこと。
  • 実際には、前回の最初の方にも書いたように、ここでそういう定義というか再定義を行いたいわけではない。
    • そんなことしてもいろんな人のオレオレ定義と突き合わされて「それは違う」と言われるだけだろうし。
  • それで前回やったのは、「多くの人は大体こんな意味で言ってますよね?」的なイメージをざっくりまとめるということ。
  • それで出てきたさしあたっての結論が、たとえばさっきも挙げた

文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う

  • であり、あるいはこんな感じのこと。

  • ちなみに、このツイートをしたのは以下のツイートを見たのがきっかけだった。

f:id:note103:20170529000058p:plain

  • (その人やいいねした人を責めたいわけではないのでIDとかは隠してる)
  • 上記に近い感じだと、「文系は怠け者」とか。「勉強を嫌いな人」とか。そんなイメージがありそう。
  • しかし言うまでもなく、実態がそんなふうであるはずはないよねえ。という話がここから。
  • 前回も書いたように、基本的には「文系」というのは「いわゆる理系以外はぜーんぶ」みたいに扱われているとぼくは感じている。
  • しかしそれを前提としてしまうとさすがに話を進めづらいので、ここでは古文書などを読み解く歴史家を例として考えてみたい。
  • 江戸時代とか室町時代とかを専門とする研究者がいたとして、その人は一応、普通に考えたら「文系」だと思う。
  • 現代において様々な過去の出来事がわかるのは、そういう人たちが頑張っているからで、だから「文系は怠け者」とか「無能力」みたいな指摘はこの時点ですでにあたらない。
  • また、歴史を扱う論文や学会などでは当然、「このデータとこのデータが揃ったら、まあ結論は誰が考えてもそうなりますわね」という、いわば再現性のある結論に対して皆が合意するはずだから*2、その意味では「いわゆる理系」がそうであるように、文系にもまた論理性や科学性というのは普通に宿る。
  • 翻って、「いわゆる理系」の道を歩む人の中にもまた、「怠け者」や、あまりその分野には向いていない(つまり周りからは無能力だと思われてしまう)人もいるはずで、そういう特徴が文系だけに認められるとは考えづらい。
  • そしてそこから言えるのは、結局のところ「文系・理系」というのは、大学の学部とか進路をざっくり分けるためのものとしてはそれなりに有用かもしれないものの、少なくとも人間の有能・無能を分ける観点にはならないだろう、ということ。
  • いわゆる文系にもいわゆる理系にも、それぞれちゃんとやってる人もいれば怠けてる人もいるだろう、文系だからどうとか理系だからどうとかはないだろう普通。という、書いてみるとそりゃそうだ、としか言えない話になってしまうのだが。
  • ただし、それでも算数的な「計算」というのはなかなか体力や経験を要するもので、なおかつ「算数が得意/苦手」というのはそれぞれの人生を大きく分けかねない要素であるようにも見えるので、その辺が上記のような「文系dis」につながる要因になってるのかな……という気もするが。
  • そして、ここで不意に出てくるのが「体育会系」と「文系・理系」との関わりである。
    • 前回は文脈上「体育系」と書いたのだけど、一般的には「体育会系」の方が使われがちな言葉だと思えるので以下ではそうする。
  • 体育会系というのは、どうも「頭では何も考えてない人たち」のように使われがちの言葉だが、実際には前回提示した「楽器の練習」などの喩えからもわかるように、「算数」や「計算」をはじめとする「学習」というのはどれも非常に体力を使うものである。
  • よくマンガでもTVでも、いまだに「勉強のできる子(=ガリ勉・秀才)は体育ができない、体力がない」みたいに描かれがちだが、実際は勉強するにはめちゃくちゃ体力や忍耐力が必要なので、本当に勉強をやっている人はスポーツ系の部活動をやっている人たちと同じような肉体的努力を普段からやっている。
  • それがわかったのはぼく自身が最近になっていろいろ資格などの勉強をしているからで、言い換えるとまあ、ぼくはこれまで全然勉強しない「怠け者」であり続けていたわけだ。
  • その怠け者だった自分がちょこちょこと勉強を始めて思ったのが、「勉強って、こんなに疲れるのか!」ということで、これも前回少し書いたが、それまで知らなかった知識や考え方を覚えようとすると、とにかくすぐに眠くなる。
  • 一瞬話がズレるが、よく中高生が授業中に眠ってしまうが(いや、自分は大学でもよく講義中に寝ていたが)、あれは怠けているとか、勉強を軽んじているとか、ましてや先生を馬鹿にしているとかではなくて、「勉強しようとしているからこそ猛烈な眠気に襲われている」のかもしれない、とそのとき初めて思い当たった。
  • 話を戻すと、だから「体育会系」というのは少なくとも「理系に対置する」ものではなく、また「文系に包含される」ものでもなく、理系でも文系でも一生懸命勉強なり研究なり仕事なりしている人は体育会系的であり、やってない人は怠け者である。
    • 単純に「怠け者=悪」と言いたいわけでもないのだけど。
  • さらにここでもう一つ、「芸術系」というのも並べて挙げておきたい。
  • 芸術系というのは、くり返し述べているように美大の油絵科に入ったぼくなどはまさにそれと言えるだろう。
  • あるいは、ミュージシャンを目指してバイトで食いつないでいる人とか。
  • またあるいは、マンガ家、小説家、俳優、アイドル、ダンサー、映画監督……そういった表現者の人たちもそう言えるか。
  • こういう人たちはどうなのかというと、やはり芸術系だからといって皆が皆一生懸命なわけでもなければ、逆に皆が怠けてるわけでもなく、ちゃんとやってる人もいればテキトウな人もいるはずである。
  • まあ内容が内容だけに、「一生懸命やってれば夢は必ず叶う」とも限らないのがつらいところだが(何が当たるかわからないというか)、ここでもまた、結局「〜系だからマジメ/不真面目」とは言えないということ。
  • ついでに言うと、上では歴史の研究者を文系の例として挙げたが、では税理士や建築家は何系だろうか? 彼らは様々な数字や公式を使うように思えるが、理系だろうか? 漁師はどうか? 消防士は? 靴職人は? ……とまあ、文系にも理系にも当てはまらない人々は世界にずいぶん多くいるように見える。
  • つまり、前回の話の続きとしてここまでは言っておきたかった、というのは、「文系・理系で分けられる対象なんて世界のほんの一部に過ぎなくて、分けて意味がある観点といったら『ちゃんとやってるか/やってないか』とかじゃないの?」みたいなことだった。
  • とりあえずそこまで話が辿りついたので終わろうと思ったが、今読み返したらちょっと言い足りてないところがあるな、と思ったのでそれを書いて終わる。
  • 少し前に以下のような話題があって。

www.nikkei.com

  • ここで試みられていることは明らかに「理系」に分類されるはずだが、STAP論文がそうであったように、この研究成果を科学的とは言いがたい。
  • 一方、研究リーダーをはじめ当事者の人たちがこの研究をテキトウにやったとか、努力をしなかったのかと言えばそんなことはないだろう。
  • 何を言いたいのかというと、上では「ちゃんとやったか/やってないか」の方が(「文系/理系」の分類より)大事、と言ったわけだけど、それは「一生懸命頑張ったか/頑張ってないか」とイコールではないということ。
  • この内閣府のプログラムでは本来「科学」が求められていたのであり、「実現性はわからないが夢のある話」が求められていたわけではないのだから、どれだけ一生懸命やったとしてもこの内容だとちょっとまずい。
  • 逆の例としては、たとえば映画のラストシーンで、誰もが「この展開でこう来たら……ラストはああなるよな、普通……」と予想していたら本当にそうなった! みたいな展開だと芸術系のプロとしてちょっとまずい。
  • TVの時代劇とか吉本新喜劇のように、予定調和の面白さ(と、それでもわずかに生じるズレ)を味わうものならそれでもいいかもしれないが、「見たことのないものを見たい、体験したい」と思っている受け手に対して、想像通りのオチを渡してしまうのは逆に期待を裏切っている。
  • ここでもまた、「努力したからいいってもんじゃない」という状況は生じる。
  • つまり、上で言った「大事なのは『ちゃんとやってるか/やってないか』」というそれは、単なる努力の総量ではなくて、そのとき必要とされていることに向かってどれだけの力を尽くせたか、みたいなことを指している。

*1:厳密には、「人々が文系という言葉でイメージしているのはそういう状況なのではないか」と書いたのだけど。

*2:少なくとも方針としては。実態は知らない。

文系について

  • 以前からつらつら考えていたものの、あまりまとまらないのでまとまらないまま列記していく。
  • Twitterなどを見ていると、「文系」や「理系」といった言葉を使った話題が少なくない。
  • それはそれで面白いのだけど、どうも人によって「文系・理系」が指し示すもの、つまりそれらの定義がバラバラだったり、曖昧だったり、曖昧なままバラバラだったりしているように見える。
  • 定義が異なるまま話していると、意見が対立しているようでも実は定義を揃えたら同意見になってしまったり、その逆に見解一致していると思ったら前提が真逆だったり、そういうことが起こりうるので効率が悪い。
  • といっても、ここでやりたいのはそれらを再定義する、ということではない。
  • また、それらの言葉の起源を辿りたいわけではない。そういう関心はない。
  • ここでやりたいのは、人々が「文系」「理系」というときに、頭の中で思い描いているものは何か? ということを知ること、または仮想することである。
  • 上記のように、それらは時によってバラバラだったりするようだけど、それでも共通する「文系ってこんな感じ」というイメージがあるはずで、それを最大公約数的に、「ここからここまではけっこう共通するよね」と取り出したい。
  • それによって、上では「そういうことはやらない」と言ったものの、結果的にはそれらの言葉の再定義(の提案)みたいな感じにはなるかもしれないが、目的はそれよりも、「前提を揃えるヒント」になればという事にある。
  • まず文系・理系という切り分けについてだが、その不毛さというか無意味さみたいなことについては、もう何年も前に東浩紀さんがTwitterで言っていた気がする。
  • わざわざ検索とかはしないが、当時それをリアルタイムで見て、「なるほどな〜、たしかにそうだな」と思ったような記憶がある。
  • しかし、一部の識者が「そんなのは無意味」といったところで、人々は今なお飽きることなくそうしたカテゴライズを続けているように見える。
  • これは単純に、現行の高校や大学といった進学先がそのようにカテゴライズされ続けているせいかもしれないが、そうであるなら、まだしばらくこの先も、そういった用語が飛び交うこと自体は避けられないように思える。
  • ではあらためて、多くの人々は「文系・理系」といった言葉を使うときにどんなイメージを持っているのか?
  • まず理系について。これは単純に小学校で教わる「理科」の延長にあるものがひとつ、すぐに浮かぶだろう。STAP事件で話題になった理化学研究所でやってそうなこと、とか。
    • その他だと機械工学的なことも理系かな、という気が個人的にはする。電子工作とか。2進数とか使うようなやつ。
    • その流れでロボットを作るのとかも理系っぽい。たぶん。
    • AIとか機械学習とかも。あと宇宙的なやつ。ロケット飛ばしたり。
    • あとは数学? これも少なくとも「文系」という気はしない。
  • じゃあその逆に、「文系」ってなんだろうか。
    • わかりやすいところでは、これも小学校で言う「国語」の延長は少なくともそれだろう。
    • 文学部。英文科。この辺は文系か。
    • あと上記の理系と全然関係なさそうなところで歴史とか哲学とか。
    • その他だとちょっと微妙なのが経済学。これは一般的には文系かもしれないが、実際にはめちゃくちゃ数字や公式などを使う気がするので、個人的には文系には入れづらい気がしている。
    • それからいわゆる体育系、芸術系はどうだろうか?
    • 思うに、普通の人は(ぼくも含めて)その辺も全部まとめて「文系」に含めてしまっている気がする。
  • で、ここまでの話を踏まえて思うのは、「とりあえず理科や数学っぽくないやつはぜーんぶ文系ね!」みたいな雑なカテゴライズが人々の中にはあるのではないか、ということだ。
  • 「いや、そんなことないよ、俺はもっと厳密に分類して議論しているし、皆もそうだよ、キミが知らないだけだよ」という意見もあるかもしれないのだけど、ぼくから見ると世間はその程度の雑な前提で話しているように見えるということ。
  • そして文系・理系といった言葉を用いた議論を見てとくに気になるのは、「文系」というのがある種の蔑称として使われているように感じられることだ。
  • 「あいつは文系だから」と言えばその人を悪く言っているように聞こえるし、「私は文系なので……」といえば自分を卑下しているように聞こえる。
  • と同時に、それは必ずしもいわれのないことでもないと思えて、先日基本情報技術者試験というのを受けてきたのだけど(0.5点足りなくて落ちた)、これの勉強がむちゃくちゃ大変で、とにかく計算問題などの、上記で言うところの「理系的」な問題の理解するために多くの時間を費やしてしまい、こんなのを「基本」とかいってスラスラ解ける人たちはすごいな! と心底思った。
  • 頭の出来が違うというより、もう頭の筋力というか、頭の体力がまったく違う。ぼくの場合はちょっと考えるとすぐ眠くなってしまい、あるいは出来てもすごく時間がかかってしまうので、その都度そういうのが普通にできる(ように勉強してなった)人たちとの大きな差を感じたものだった。
  • そしてそのとき、ぼくはこれまで自分を「文系」だと思ったことはあまりなかったのだけど、つくづく「完全に文系」だったと痛感した。とにかく「計算」ができない。できても猛烈に時間がかかる。そういう筋力が育っていなくて、育てるにはこれから多くの時間と力を費やさなくてはならない。そういう場所にいる。
  • と同時に、その「完全に文系」だと自分で思ったときの「文系」とはそもそもどういう意味で言ってるんだ? と自問したのがこの記事の発端にもなっている。ぼくはどういう意味で自分を「文系」だと思ったのか。
  • それは端的に言うと、上記のような「(数学的)計算」がとにかくできないということ。
  • これをもう少し抽象化して(汎用性を持たせて)言うと、「客観的な事実やデータにもとづいて論理を組み立てることができない」ということであるように思えた。
  • 「論理」と言っても、たとえば今書いているような文章は、自分の中ではそれなりに整合性がつくよう論理的に考えているつもりなのだけど、そういう意味での論理ではなく、重点は「客観的な事実やデータにもとづいて」という方にある。
  • それは逆の視点から言い換えるなら、「非・理系」つまり「文系」というのは、「客観的な事実やデータにもとづかずになんかやる」ということになる。
  • それをさらにまたシンプルに言い換えると、「文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う」ということになる。
  • べつに特定の誰かがそうだ、という話ではない。ぼく自身の中にある「文系」のイメージを極限まで煮詰めて抽出するとそういう表現になる、ということ。
  • 「経験にもとづく」のなら過去の事実を元にしているのだから客観的では? という気もするが、ここで言うのは「自分の経験」なので、それは自分の中だけで成立している、自分がこうだと思い込んでいる過去にすぎず、客観的とは言いづらい。
  • そこで上にちらっと挙げた芸術系の話に繋がるのだけど、ぼくは美大の油絵科を出たので、それはもう「想像と経験」のカタマリのような日々だった。
  • もちろん世の中には客観的な数値やデータにもとづいて制作を行う画家もいるかもしれないが、ぼくはそうではなかったということ。とくに明確な根拠や裏付けもなく、頭で想像したことを外部に表現というか実現しようとしていた。
  • そして思うに、世の中で「文系」と言われているものも基本的にはそのような人、つまりこれといった根拠も過去の事実もデータもなく、頭の中の想像と勝手な経験則だけをもとに強引な主張を行う……そういった傾向にある人を文系と呼んでいるのではないだろうか。
  • そういう人がいいとか悪いとかいう話ではなく(まあ良くはないが)、「どうやら少なからぬ人々は文系という言葉からそういった傾向をイメージしているらしい」という、共通のイメージを前提に置くことができれば、そうした言葉を使った議論も多少は効率的に行っていけるのではないか、ということ。

Mediumの使い方

Twitter共同創業者であるところのエヴァン・ウィリアムズによるブログサービスMediumについて。

サービスの開始後間もなく使い始めたけど、実際には新たなブログを作る必要などなくて、だから「書きたいことがあるから」ということではなく、「そのサービスを使ってみたいから」という理由で場所を作ったのだった。

medium.com

ちなみにこのアイコン(↑)は2008年春頃に撮ったものなので(9年前)なんとかする必要がある。

Mediumにはその後、ふと思いついた寓話的な、というか喩え話のちょっと長めになったようなやつをメモ的に書くようになった。べつにこっちに書いてもよかったのだけど、ちょうどそのぐらいの分量のものを書きやすい、という感じがあったので。

しかし最近の話題では、Mediumもなかなか運営というか収益を上げるのが大変そうで、あまり長く使えるものではないのかなあ、という印象が徐々に高まりつつもある。

www.businessinsider.jp

一方でしかし、Mediumというのは使えば使うほど、他にはないライティング体験をできる場だとも感じられるプロダクトで、競合がない以上はもうしばらく続いてほしいなあ、という気もする。

それに元々、僕自身はMediumを主なブログ発信場所にする(乗り換える)というつもりもなかったので、今後も必要に応じて使えたらそれでいいか、と思っている。

万一閉鎖されることになっても、さすがに彼らの技術力であれば、そこそこきちんとしたフォーマットでデータをエクスポートできるようにもしてくれるだろう。(そのときには、たぶんこのブログに統合する)

Mediumはどうも運営側からすると、「良質な長文」を発表する場として使ってほしい、みたいなところがありそうなのだけど、海外ではどうなのかわからないが、日本のユーザーでわざわざ「良質な長文」を書くような人というのは、今なら「note」とか「カクヨム」みたいなところ*1に書いて、直接的な収益につなげようとするか、そうでなければ自分でWordPressなどを構築するか、あるいはこのはてなブログを含む、ある種昔ながらのブログサービスでまったり更新しそうというか、少なくとも今後どうなるかわからないような海外サービスに手を出すというのは、あまり一般的ではないように思える。

それよりは、まさにMediumという名前が示すような、ブログとTwitterの間に位置するような、「そんながっつり書きたいわけでもないんだけど、Twitterの140字にも収まらないし連投もしたくない」という場合に使う選択肢としてちょうどいいんじゃないか、と思っている。

そういう、ライトなブログ(または長めのTwitter)というポジションで、何らかいい感じの使い方というか、モデルを示してくれたら、なにか新たな道が生まれやすくなるのでは、とは思っているのだけど。

それで思い出したけど、Tumblrもその辺のミスマッチというか、サービス提供者の考える使い方と、ユーザーの望む使い方があまりマッチしていないような印象がある。サービスの開始後しばらくはそんな雰囲気はなかったが、最近は単純に、Tumblrを使った読みづらいサイトというのが目に入りやすくなっている気がする。(自分の観測範囲だけかもしれないが)

いずれにせよ、とりあえず来年の今頃(あるいは数ヶ月後?)にMediumがどうなっているか、この記事を読み返しながら状況を突き合わせてみたい。

*1:noteもカクヨムもどういうサービスなのかよく知らないのだけど。大体で書いている。