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ヴェルク株式会社に入社して3ヶ月が経ちました

昨年11月にヴェルク株式会社に入社して、12月以降はフルタイムで出勤しています。

*入社時のエントリーはこちら。 note103.hatenablog.com

その12月から数えて3ヶ月が過ぎたので、現時点での印象その他、考えていることを書いてみたいと思います。

自由

入社して一番変わったのは、「自由が増えた」ことだと思います。

会社員からフリーランスになって「自由が増えた」ならわかりやすいですが、その逆なので「え?」と思う人もいるかもしれません。

でも、たぶん何割かの人は「だよね〜」と言ってくれる気もします。フリーランスはたしかに「自由」な働き方で、朝は遅くまで寝ていられるし、満員電車にも乗らなくていいし、そういう意味では素晴らしいわけですが、じつは同時に、少なからぬ不自由というか、制約にも覆われていると思います。

まず、基本的には何から何まで自分でやらないといけません。スケジューリングや各所との連絡などの仕事に直結することはもちろん、請求書を作ったり、確定申告をしたりといったいわゆるバックオフィス業務も自分が担当者ですし、仮に請求を忘れても「請求漏れてるよ」なんて言ってくれる人はいません。

稼いでくれるのも自分だけです。稼いだ分を使えるのも自分だけですが、閑散期に他のメンバーが稼ぎを補充してくれるようなことはないので、その「自由に使えるお金」にも限りがあります。

言ってみれば、フリーランスとは「自分」という社員を食べさせるために「自分」という会社を経営しているようなもので、経営に興味がある人なら面白みを感じられるかもしれないですが、とにかくやることが多くて、一部の業務だけに集中できないのがつらいところです。

いわゆる不労所得というのか、たとえば過去に書いた原稿の印税が何もしなくても入ってくるような状況ならばともかく、ぼくの場合は働かなければ何も入ってきません。

誰も「働け」なんて言ってこないので、毎日寝ていることも可能ですが、そうすればするだけ次の収入が遠のくので、実際にはそんな恐ろしいことはできません。むしろ考えようによっては、毎日が出勤日です。24時間x365日、少しでも収入を確保できるように作業する、という感じの毎日でした。

言い換えると、フリーランスって毎日を休日にすることもできれば、毎日を出勤日にすることも可能で、ぼくはほとんど後者だったということですね。

会社に入って一番変わったのはその部分です。会社では、「ここからここまでが勤務時間。あとはお休み」ということが決まっています。フリーの時のように全部を自由時間にすることはできなくなりますが、その代わりに全部が勤務時間になることもなくなります。

時間だけでなく、収入の位置づけも変わりました。フリーのときは、次の仕事が決まるまでは収入のアテがないので、何か買いたいものがあっても「一旦保留」が当たり前でした。仮に口座にある程度の余裕があったとしても、「とりあえず買わないでおく」方が安心なんですよね。

でも会社に入って、その方針も変わりました。今は、次の仕事が入るかどうかという基準ではなく、純粋に「それが必要なのかどうか」という基準で考えて、必要ならパッと買ってしまいます。これってまさに「自由が増えた」感じだと思います。

カスタマーサポート

今まで自分が携わった商品についてお客さんとやり取りすることなんてほとんどなかったので、「カスタマーサポートなんてできるかな……?」という不安も少しはありました。

しかし幸いなことに、始めてみると自分でも意外なほどスムーズに適応できているように感じます。

ぼくがサポートチームの一員として、実際にお客さんへの回答を始めたのは1月半ば頃だったと思います。本格的に勤め始めた12月から数えると、1ヶ月ちょっとの準備期間を経ての始動となったわけですが、それにしては、大きな適性のズレや致命的なミスなどがない状態で対応できていると思います。

サポート業務への順応が思いのほか早かった理由は、以前のフリーランス編集の仕事というのが結局のところ、すべての関係者に対するカスタマーサポートみたいなものだったから、ということではないかと思っています。

ライターさんや、座談会の参加者の皆さんなどに要件を提示した上で、考えられるかぎり最少のやり取りで原稿を回収する。というのがぼくが10年続けてきたことで、そのときには常に「相手の中の常識」と「こちらの常識」との差分を確認しながら、いかにして双方共通の常識を構築し、その上に双方共通の目的を満たす成果物を実現できるか、ということを考えていました。

ここで必要なのはとにかく「想像力」で、相手が今どこにいて、その相手はこれからどこに行けるのか、こちらが求める方向に行けるのか、行けるならどう導けばいいのか、行けないならどうすれば行けるようになるのか、といったことをいつも想像している必要があります。これがまさに、カスタマーサポートそのものだったな、と。

実際にサポートの仕事を始める前は、いわゆるクレーム対応のような感じもあるかな、と想像していました。怖いお客さんに責められるような場面もあるかしら・・と。でも実際には、そういうことはほとんど皆無で、お客さんはどなたも丁寧で感じが良いです。

これはたぶん、boardが中小企業や個人事業主のような社会性のあるお客さんに使われているからで、言い換えると、BtoCではないBtoBの業態であることによるのではないかと思っています。

質問者は誰もが個人としてではなく、会社の看板を背負って問い合わせをしてくるので、一定のプロトコルというか、連絡作業をする上での暗黙の取り決めみたいなものをきちんと踏まえていて、その分対応しやすいのかなと。

ちなみに、ぼく自身はユーザ・お客さん側に立った場合にけっこう怖い、難しいお客さんになると思っています。ちょっとでも誠意に欠けるような態度を取られたら、すぐカチンと来るみたいな。

で、ぼくはすべてのお客さんが自分のような難しいお客さんである、という前提を持つようにしています。なぜなら、人間って本来そういうものだろうと思うからです。だから余計に、実際の丁寧なお客さんを前にして、思いのほかやりやすさを感じている、ということなのかもしれません。

編集

カスタマーサポートのかたわら、boardのヘルプをはじめとするテキスト編集の作業もやっています。

これに関連して、一番象徴的なのはヘルプのバージョン管理が始まったことで、これについては田向さんの以下の記事が詳しいです。

tamukai.blog.velc.jp

じつはこれまでのフリーランスの編集業でも、文章はGitで管理していました。

具体的には、GitとBitbucketですね。最近ではGitHubも無料でプライベートリポジトリを使えるようになりましたが、以前はそうではなかったので、Bitbucket一択でした。

Bitbucketを使っていた理由はいくつかありますが、一番は差分が見やすくなるということです。

上記の田向さんのブログでも、この話題に触れたぼくのコメントを掲載してもらいましたが、結局文章の編集って、1文字単位の細かさで、かつ膨大な変更を繰り返していくものなので、どこを変更したのか自分で覚えていることなんてできません。

なので、ひとしきり修正してプッシュしたら、それをブラウザのBitbucketの画面で眺めながら、「ああ、ここを直したんだな」と確認していきます。これができることがそれらのツールを使う一番の理由でした。

そういったことを以前からやっていたので、今回のヘルプのバージョン管理にしても、これといった問題もなく取り組めていると思います。

編集関連でもうひとつ言えるのは、フリーランスのときとは「編集」の内容がだいぶ違うということです。

というのも、フリーランスのときの編集作業ってそれこそフルスタックというか、あれもこれも全部やるみたいなところがあって、とくに大きな比重を占めていたのは、著者さんをはじめとする関係者との連絡作業でした。

この連絡の大半はメールですが、とにかく朝から晩までメールばっかり書いていた、という印象があります。

逆に、著者さんからもらった原稿を精読したり、編集したりという、一般の人が「編集者の仕事」としてイメージするような作業はほんの数割で、なんというか、そういうのはオマケみたいな、ご褒美みたいな感じでようやくできる、みたいな感じがありました。

ぼくが今ヴェルクでやっている編集作業はその逆で、まさにその「いわゆる編集者的な作業」が7〜8割ぐらいで、残りの数割がGitやSourceTreeを使ったプルリクエストのやり取り、という感じだと思います。

このGitを使った作業も非常に面白いです。ぼくは今までそれを「だいたいの感覚」でやっていたのですが、どうすればどうなるのか、ということがここ数週間でだんだんわかってきた気がします。

しかも、普段から開発でGitやプルリクエストを使っている本職のプログラマーにそのやり方を教えてもらっているわけで、こんなに効率的で面白いことはありません。

副業

ぼくは今まで坂本龍一さんの音楽全集や、山口県山口市のアートセンター「YCAM(ワイカム)」のWebページ編集といった、美大生の頃の自分に聞かせたらひっくり返ってそのまま起き上がってこれなさそうなぐらい素敵なお仕事に恵まれてきましたが、とはいえ、それだけで今後もずっと食べていけるとは思っていませんでした。

そういうワクワクできる仕事がある一方で、あまり気乗りしない仕事でも進んでやっていかないと、生きていくことはできないな、と。フリーランスのときにある意味で一番不安に感じていたのはそのことでした。

気乗りしない仕事であっても、生きていくためにはやる必要があって、しかしそれをやっていれば、本来やりたかった方の仕事は手薄になります。いわば限られたリソースをそれぞれの仕事が取り合うかたちになって、結局どちらも中途半端になるだけではないか・・と。

でも会社に入って、その「食べるための編集仕事」はする必要がなくなりました。もちろん使えるリソースも大きく減りましたが、とはいえ今後仕事に慣れるにつれて、多少はその余裕も増えてくると思っています。その時には、あくまで副業のレベルではありますが、純粋に自分が興味を持っている分野の仕事だけを引き受けられるようになるのではないか、と期待しています。

その他

この記事を書くにあたって、事前に考えていたトピックは以上です。

でも上記を書きながら、「ああ、あとこんなこともあったな」と思い出したことがいくつかあったので、以下に書き足しておきます。

風邪をひいた

フリーランスのときには、ぼくはほとんど風邪をひきませんでした。

その一番の理由は、普段はずっと自宅で作業をしていて、1年に数回大事な用事がある以外は、ほとんど外に出なかったからだと思います。

それがいきなりほぼ毎日、朝夕ともに満員電車に乗ることになって、おそらく10年以上ぶりに、いわゆる普通のあの風邪をひきました。

ぼくは自分が風邪をひかないことには気づいていましたが、そしてそれはほとんど外に出ないからだろうとも思っていましたが、一方で薄々、自分の体が丈夫だからではないか、とも思ってました。でもやっぱりそうではなくて、単に人混みに行かずに済んだからだった、ということが今回の風邪でよくわかりました。むしろ、簡単にダウンする方だな・・と。

昼食

昼食も入社によって大きく変わったことの一つです。

自宅で作業をしているときは、昼どころか朝もほとんど食べなくて、食事は大体、夕食の1回だけでした。

と言いつつ、それは単に小食というよりは、夕食以外の時間はずっと何かしら(お菓子やパンなどを)間食し続けている、ということなのですが。

しかし会社に出るようになると、大体いつも同じぐらいの時間に昼休憩を取ることになって、また会社のそばには中華・エスニック・洋食その他、いろんな飲食店が立ち並んでいて、なおかつその多くは店の前で弁当を売ってくれているので、とにかくそれらを食べるのが日々の楽しみです。

今まで自宅で昼を取らなかったのは、外出が面倒だったからというのも大きいですが、そういう「食べるのが楽しみになる」ようなお店が近所に少なかったから、という理由もあったと思います。

それに加えて、ぼくはあまり1回あたりの食事で量を食べないので、店内で出てくる量というのはちょっと多くて、その意味でも自分で量をコントロールできるテイクアウトメニューの方がありがたいのですが、基本的にそういうテイクアウトメニューってオフィス街でもなければあまり無いというか、基本コンビニの弁当ぐらいしかないので、だったらナシでいいや・・という感じでした。

それが上記のとおり、毎日あちこちでプロが作ったテイクアウトメニューを食べられるわけで、この嬉しい変化は事前に予想していなかったものでした。

大人の世界

これはヴェルクの特徴というより、社長の田向さんの特徴かもしれないですが、田向さんはアメリカのテキサスの大学を出たというだけあって(・・とも限らないですが)、考え方がすごく合理的で、いわゆる日本的な「空気重視」みたいな要素が薄いです。

もちろん(というか)空気を読めないわけではなくて、それをちゃんと把握はするけど、その空気を基準には動いていない、ということですね。

それの何が良いかというと、「引きずらない」というか、ねちねち考えない、他人の顔色に左右されない、無意味なことに時間をかけすぎない、みたいなことで、「そんなことより意味のある仕事をしよう」みたいなところが、自分とはある意味真逆で、そういう傾向にカルチャーショックを感じるとともに、関わるのが非常にラクです。

この状況をまた言い換えると、「大人になりましょう」みたいな感じ。しょうもないことに割く時間を減らして、意味のあることをやろう、そのためにはみんな自分の頭で考えましょう、他人から指示されるのを待ってないで、自分で考えて自分から動きましょう、みたいな感じ。

ぼくは今までそれなりに、そういう自立心みたいなものはある方だと思っていましたが、ヴェルクに入って、ああ、そうでもなかったな、と思わされました。いやまあ、わかっていたことですが、ようは子供だったな・・と。でもそれじゃ生きていけない、自分で考えて自分で動いていかないと、周りにも損害を与えるし、自分としてもバリューを出していけないな、と。そんなことをよく考えるようになりました。

結局、ぼくがこれまで積み上げてきた能力や経験って、本当に局所的なものに過ぎなくて、ちょっと俯瞰的に周りを見回せば、本当に世間知らずというか、常識がない、井の中の蛙だったんだなと。

いやそんなのわかってるよ、というつもりだったんですけど、でも実際にヴェルクで働いてみると、やっぱり知らないことがめちゃめちゃ多くて、でも中小企業や個人事業主の人たちとも関わるその仕事をしながら、今まで全然知らなかった、自分の人生の流れからごっそり抜けていたいろんな要素を一気に吸収することができて、それがとにかく楽しいやら、ありがたいやら、会社に入って得たいろんな恵みのうち、その「常識知らずだった自分が得た常識」みたいなものはとくに大きなものだなと思っています。

まあ、それを遠い目で振り返るように言っているわけではなくて、今なお吸収中なわけですが。

おわりに

ということで、入社後四半期が過ぎた現時点での感想をいろいろ書いてみました。

半年後、1年後にはまた全然別のことを考えているかもしれませんが、その時にはあらためて、考えや状況をまとめて差分を眺めてみたいと思います。

失敗という御馳走を食べずに捨ててきた

先日、会社の社長がTwitterでRTしていたので知った以下の記事。

simplearchitect.hatenablog.com

すさまじく、すさまじかった。すごい記事。去年も含めてベスト記事。

以前にこのような感覚を覚えたのは以下の記事で、

gihyo.jp

たしか2015年の年末にこれを読んで、今年読んだすべての記事の中でベストだ、と感じたのを思い出したぐらいだから、3年以上ぶりぐらいのそういう、あれだった。

ストーリーについて詳しい解説はしないけれど、とにかく驚いたのは、そこで示される「日本人的な考え方」というもの。それはぼくそのものであり、ぼくをずっと覆い続けてきたものでもあった。

というか、それが普通で、常識で、それが世界、それが人生というものなんだと思っていたけど、そうではなかった、それはあくまで、いろんな価値観や考え方がある中のほんの一部に過ぎなかったんだ・・と相対化されてしまった、そのことに驚いた。

ああ、なんということだ。ぼくはずっと、失敗を恐れ続けてきた。いや、というより、失敗の存在をそもそも見ないように、感じないように、知り得ないように、してきたのだった。そんなものはない、目に入らない、自分の世界にはないものなのだ、と・・。

失敗とは悪いものだと思ってきた。いやそうは言っても、ぼく自身は今まで、リスクをそれなりに取ってきたじゃないか、と言い張る自分もまたぼくの中にはあるけれど、全然そんなことはない、ずっと避けてきた、ずっとやっぱり、失敗なんて無きものなんだと、思おうとしてきたのだと、その記事を読んで初めて(たぶん初めて)わかった。

失敗は、本当は必要なものだった。人生にとって、楽しい人生にとって、豊かで、かけがえのない人生を得るために、絶対に必要なものだったんだと、その記事を読んで初めて思った。知らなかった。ああ、なんてことだ。ぼくはそれを知らなかった。目の前にある、膨大な量の、大変な重さのそれらを、それと知らずに、そんなに大事で貴重なものだとは知らずに、全部捨ててきた。見もしなかった、触りもしなかった、ましてや、絶対に口に入れたりはしなかった。それはかけがえのない、人生を豊かにしてくれる御馳走だったのに。

失敗をしなければ、成功もなかった。それを知らなかった。失敗とは劇場の入り口のモギリのようなものだった。モギリにチケットを切ってもらわなければ、劇場には入れなかったのに、モギリが嫌だからって劇場に入ることを拒んでいた、その中で行われているものを見もしない、聞きもしない、いやそもそもその中で行われていることを知ろうともしなかった。馬鹿なことをした。その向こうに人生があったのに、それをまったく、知りもしなかった。

ぼくは自分がリスクを取っていると思っていた。果敢に失敗を取りに行っていると思っていた。でもそんなことはなかった。ぼくが自ら向かっていった失敗はほんのわずかなものに過ぎなくて、実際にはその何十倍、何百倍もの失敗を事前に恐れ、避けてきた。ああ、馬鹿なことをした。

目の前には、皿に盛られた大量の御馳走があった。それはエネルギーの源で、それは食べ物で、ぼくはそれを食べなければ「生きる」ことができなかったのに、食べなかった、食べずに、全部そのままゴミ箱に捨てていた。

馬鹿なことをした。貴重な人生を捨ててきた。人生は失敗の向こうにあった。にもかかわらず、ぼくは向こうに行かなかった。失敗が怖かったからだ。人生は失敗とともにあったし、楽しさも面白さも豊かさも幸福も全部失敗とともにあったのに、失敗が嫌だからってそれらを全部捨ててきた。ああ、なんてことだ。馬鹿なことをした。ああ、どうしてそんなことを、でも、それに気がつくことができた。その記事はとんでもなく大切な話だった、それを読むことができた、長い記事だったが、途中で読むのをやめなくてよかった、43から44になろうとしている今、それに気づくことができた。人生はまだ終わっておらず、終わる前に気づくことができた、間に合った、もう間に合わないと思ったときにはまだ間に合っているのだと思っていたが、それだった、まだ間に合った、まだ失敗できる。多くの御馳走を捨ててきたが、まだ目の前にはそれが残っている。あと何年生きられるかはわからないが、ぼくの前にはまだそれが残っていて、それを食べることができる、今までそれが食べられるものだなんて知らなかった、だから捨ててきた、でもようやく今までずっと何も食べずにいた人生から、好きなだけそれを食べられる人生になる。

失敗は人生そのもので、いわゆる成功も幸福も、楽しみも喜びも何もかも、それと一緒にあった、それを知らなかったが、それをもう知った。もっと失敗しなきゃいけない。それは入り口にすぎない、失敗とともにその向こうに行ければ、その向こうにあるものにようやく触れられるだろう。

岸野雄一プレゼンツ毎年恒例新春オープン・プライス・コンサートに行ってきた(ワッツタワーズ/イ・ラン/VIDEOTAPEMUSIC)

すでに半月以上経ってしまいましたが、1/11金曜日、渋谷のO-WESTで行われた岸野雄一さんのライブイベント「オープン・プライス・コンサート」に行ってきました。

岸野さんによるイベント前夜のツイートはこちら。

こちらのイベント、タイトルにもありますように毎年恒例で、なぜ1月11日なのかと言ったら岸野さんの誕生日なんですね〜。岸野さん、あらためましてお誕生日おめでとうございます!

ライブの出演者&DJは以下の方々でした。

ワッツタワーズ/イ・ラン/VIDEOTAPE MUSIC
DJ:岸野雄一、パク・ダハム

以下、感想を記録します。

目次

開場

18時半の開場と同時に始まったDJはパク・ダハムさんで、韓国ではレーベル運営やイベント・オーガナイズなどもしている方だそうです。後述のイ・ランさんを発掘(?)したのもこの方。

ぼくはどのタイミングだったか、10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」のカバーが流れてきたのをうっとり聴いていて、あとでご本人とちょっと喋る機会があったのでその話をしたら、どこだったか、アジアのミュージシャンによるカバーだったそうで、「アジアの音楽が好きなんですよね」と素敵な笑顔で言っていました。

話を戻すと、入場後はとりあえずドリンクを交換して、そのまま2階席に行って、初めの2組は2階で座って聴きました。

VIDEOTAPEMUSIC

最初はVIDEOTAPEMUSICで、とても良かったですね。古い映画を字幕付きで見せながら、ある種それとコラボするように音楽を展開していくという。

20代の半ばから後半ぐらい、モラトリアムな気分でじわじわ内心焦りながらも、だらしなくレンタルの映画をただ眺めていた感覚を少し思い出しました。映像も音楽も字幕もぜんぶ目に入ってるんだけど、頭の中では別のことを考えていたその感覚。

VIDEOさん(略称)の音楽はその映像や音や字幕たちがどれも不可分で、映像に導かれるように演奏が流れては演奏に従うように映像が流れて、その絡まり方が不思議でありまた魅力でした。

曲も良かったです。山田参助さんが1曲だけ登場したのも印象的でしたが、とくに最後の2曲? だったか、女子のグループが車に同乗してだらだら歌ってる(なんとかスランバーという)曲、それから最後の、タイトルはフィクション・ゴーンズと聞こえましたが、年配の人たちが楽しそうに踊っている映像のリピート、まるで天国のようですごく良かったです。

イ・ラン

2組めはイ・ランさん。チェロのイ・ヘジさんとのステージで、曲によってみんとりさんやイトケンさんや海藻姉妹の人たちが一緒に演奏していました。

1曲めがたぶん「神様ごっこ」という曲で、それで一気に「なるほどこういう感じか」と全部伝わってくる感じがありました。チェロが入っていたせいか、「誰々みたいな曲」という既存のイメージがあまり浮かばなくて、それに加えて歌詞も内容がちょっと変わっているので目が離せなかったです。

その歌詞、ずっと歌に同期する感じで日本語訳がバックのスクリーンに流れ続けていて、それが良かったですね。歌やパフォーマンスを全然邪魔しないで、でもはっきり内容は読めるという感じで。今までああいう演出のステージを見たことがないのですが、歌詞の内容がわかると受け取れる情報が格段に増えるので、コレ他でもやってほしいなあと思いました。

イ・ランさんは見た目というか佇まいがめっちゃカッコよくて、たしかMCの中で「この衣装は昨日無印で買った」と言ってましたが、「無印にそんなカッコいい服売ってるんかい!」と思うぐらいカッコよかったです。

曲としては「患難の時代」がとくに印象に残っています。最後から2番めの「イムジン河」も良かったですね。「イムジン河水清く〜」の「水」が「ミジュ」と聴こえましたが、これがとても歌の魅力を増しているように感じました。

最後の柴田聡子さんとの「ランナウェイ」という曲(だと思いますが)、マジ最高でした。なんだこれ〜と思いながら最初から最後までずっと酔っ払ったように聴きました。曲も演奏も良かった・・。これは2月に音源がリリースされるようなのでマストバイします。

ランさんと柴田さんといえば、この記事がとても良かったです。2016年の記事ですが、昨日こんな話をしていたと言われても信じるぐらい、こんな感じのステージでした。

mikiki.tokyo.jp

ワッツタワーズ

トリはもちろんのワッツタワーズです。これはスタンディングで見ないと。と思って階段を降りて、前の方に行ったらDJが岸野さんで、そのまま振り付きの歌謡曲DJを楽しみました。しかし気がつくと曲は「ボヘミアン・ラプソディ」になっていて、そのまま岸野さんはステージに移動して、バンドも入ってきて、レコードだったはずの曲がバンド演奏に変わっていて、そのようにしてワッツタワーズのステージが始まりました。

ぼくが初めてワッツタワーズのライブを見たのは2006年でした。そのときのことをブログに書いています。1月12日、ライブ翌日の日付です。

このライブを観に行ったのは、たぶん前年の7月から始まった大谷能生さんのマンスリー・イベント「大谷能生フランス革命」にぼくが半分スタッフ、半分お客さんのような感じで通っていて、その第4回(2005年11月)のゲストとして岸野さんがいらしたことがきっかけだったと思います。

大谷能生のフランス革命

大谷能生のフランス革命

(のちにそのイベントを書籍化したもの。ぼくにとって初めての共編著であり、初めて関わった商業出版物でもありました)

そのフランス革命の帰り道、会場の渋谷アップリンクから駅へ向かう間に岸野さんと少し話すことができて、ぼくはその頃、菊地成孔さんのペン大(音楽私塾)に通っていたのでその話をしたら、だったら映画美学校の菊地クラスの生徒と一緒に何かやってみたら? 場所は美学校の空いてる教室を使っていいよ、という感じのことを言ってもらって、それ以降岸野さんにはいろんな場面でいろんなかたちでずーっとお世話になっています。

2009年

次にぼくがこの新春ライブに行ったのは3年後の2009年で、このときは七尾旅人さんと相対性理論が出ていました。

■OUTONEDISC PRESENTS「FUCK AND THE TOWN」

出演
・WATTS TOWERS(岸野雄一/宮崎貴士/岡村みどり/近藤研二/栗原正己/イトケン/JON(犬)/ヘルモソ)
相対性理論
・ウリチパン郡

DJ
吉田アミ
・SINGING dj 寿子(七尾旅人
・Thomas Kyhn Rovsing (from Denmark)

この回はさっきより力のこもった感想ブログを書いています。

正直、めちゃくちゃ読みづらい上にかなり感傷的な文章なので、ここで紹介するのはウルトラ恥ずかしいですが、まあ当時をこんな風に振り返る機会は二度とない気もするので、勢いで並べておきます。

しかし今思い出しても、このときの七尾旅人さんはすごくすごーく良かったです。ぼくは2階で見ていましたが、これは1階でスタンディングで見てたほうが楽しかっただろうなあ・・と今でも少し後悔します。

とはいえ、このときって相対性理論がブレイクしたちょうどその瞬間みたいなタイミングで、とにかくお客さんがめちゃめちゃ入ってたんですよね・・たぶん岸野さんから相対性理論へのオファーはブレイク前で、それがライブ本番の直前ぐらいでブレイクしてしまって、「え、今このタイミングで相対性理論のライブが見れるの?」っていう状況でこのライブがあったものだからえらい数の人が詰めかけた・・という印象があります。

*いまWikipediaを見たらアルバム『ハイファイ新書』がこのライブのわずか4日前に出ていたようです。
*実際、この日の相対性理論のライブ評はけっこう多かった気も。

なので、その意味では1階で見るという選択肢はあまりなかったのですよね・・。

2012年

次に観に行ったのは、その3年後の2012年でした。

出演
・ワッツタワーズ
岸野雄一(Vo) / 岡村みどり(Key) / 宮崎貴士(G) / 近藤研二(G) / 栗原正己(B) / イトケン(Dr) / JON(犬)/ ヘルモソ(ウサギ))
http://youtu.be/h4udQ_THlS0

戸川純
戸川純(Vo) / 中原信雄(B) / デニス・ガン(G) / ライオン・メリィ(Key) / 矢壁アツノブ(Dr))

・Alfred Beach Sandal
http://youtu.be/lyYvWA_CrWY

・シークレットゲスト ミニライブ:R&R Brothers (ex- Halfnelson)

このときは戸川純さんが出ていましたね。シークレットゲストはスパークスのお二人でした。

Alfred Beach Sandalもすごく良くて、物販でCDを買いました。

しかしこの年はブログを書いていないようです・・なぜだろう?

2013年

翌年も行きました。

OUT ONE DISC presents 「君ともう一段階仲良くなりたいと僕は考えている」

出演
ワッツタワーズ
岸野雄一(Vo) / 岡村みどり(Key) / 宮崎貴士(G) / 近藤研二(G) / 栗原正己(B) / イトケン(Dr) / JON(犬))
http://youtu.be/h4udQ_THlS0

チャン・ギハと顔たち
http://youtu.be/uJf-1Iv16y8

スカート
http://youtu.be/62XacXQlZug

DJ
馬場正道

この年は珍しくトリがゲストのチャン・ギハと顔たちで、ワッツは2番手でした。

最初のスカートも良かったです。終演後に会場の外に出たら、澤部さんがちょうど機材を車に積んでいたので「よかったです」と声をかけた記憶があります。

物販ではチャン・ギハのCDを買いました。

さて、この年にはライブとは別に印象的なことがあって、それは打上げに参加させてもらったことでした。

そしてこの2013年1月11日は、テレビ版scholaの「映画音楽編」の第1回が放送された日でもありました。

しかもその放送がちょうどライブの終演後、出演者やスタッフが打上げ会場に集まった頃に始まるというすごいタイミングで、あれはスクリーンだったか会場の壁だったか、とにかく大きな画面にEテレが映し出されて、皆で岸野さん(のヒゲの未亡人)が坂本さんと喋りながら映画音楽の解説をしているのを見ていました。

ぼくが岸野さんにその番組の元となる企画、CDブック版のscholaに参加してくださるよう連絡をしたのは、いま手元の記録を見てみたら、2011年11月11日でした。偶然ですが、これはぼくが生きている中で一番「1」が並ぶ日です。

その制作は同年末から徐々に本格化して、CDブックは翌2012年4月に校了、5月末に発売されました。

commmons:schola vol.10 Ryuichi Sakamoto Selections:Film Music

commmons:schola vol.10 Ryuichi Sakamoto Selections:Film Music

同書には岸野さんと坂本さんを含む座談会の採録記事(テレビとは別に行ったもの)の他、岸野さんの書き下ろし原稿(収録曲に関する解説)もたくさん掲載されています。これは自慢ですが、その原稿はぼくが編集したんです。岸野さんの原稿を編集する日が来るなんて!

想像もしなかった出来事が次々と実現していました。打上げ会場で見たEテレは、その象徴のような番組でした。

2014年

次にワッツタワーズを見たのは2014年でした。

■恒例・新春オープンプライス・コンサート「エンドロールはNG集!」

出演
ワッツタワーズ (岸野雄一/宮崎貴士/岡村みどり/近藤研二/栗原正己/イトケン/JON(犬))
http://youtu.be/h4udQ_THlS0

No Lie-Sense (鈴木慶一+KERA
http://youtu.be/ZZWnNdho950

ケバブジョンソン
https://soundcloud.com/kebabjohnson/hotpark

DJ
安田謙一 / 川西卓

この年にもブログを書いています。

note103.hatenablog.com

いま読み直して思い出しましたが、この2週間前に大瀧詠一さんが亡くなりました。今だからこんな風に書けますが、本当に大きなショックを受けました。まだそこから抜けきれていない感じが行間から少し感じられます。

その中にも書いたとおり、この年のことでよく覚えているのは、最後のDJタイム安田謙一さんが歌った松崎しげるの「銀河特急」です。めちゃめちゃ良くて、そのときの情景を今でも思い出せます。安田さんはフロアで歌った後、ターンテーブルまで戻って、マイクで「岸野くん! 長生きしようね!」と言っていました。

2019年

そんな楽しさのかたまりのようなイベントでしたが、それから4回分、期間にして丸5年、ぼくはそこから遠ざかっていました。

2014年の1月、安田さんの歌を聴いたすぐ後から、ぼくはscholaの第14巻「日本の伝統音楽」の制作を本格化しましたが、それまで約4年にわたって二人三脚でscholaを作ってきたスタッフF氏が別部署へ異動してしまい、なおかつ同巻は後にも先にもこれ以上ないぐらい作業量が多い巻だったので、このときからぼくはschola以外のことは全部後回しにして、1秒でも余裕があったらとりあえずscholaを作る、という感じになっていました。

とにかく締切りに間に合わない、ということが怖くて仕方なかったんですね。

年末年始は他のスタッフや関係者が皆休んでいるので、遅れを取り戻せる貴重な期間でした。毎年1/11はその集中作業の熱が冷めておらず、そのまま作業を続ける、みたいな感じだったと思います。

でも、そんなscholaも去年の春に発売された第17巻をもって退任することになり、11月からは43歳にして初めての会社員になりました。じつのところ、この年末も普通に編集仕事をしていましたが(フリーの時代に請けていたもの)、それでもscholaの時代に比べれば作業量はずいぶん少なくて、今年はようやく行ける! と思って行ったのが今年のライブでした。

ボヘミアン・ラプソディ」が終わり、いつものオープニングの曲が始まるのと同時に気がついたのは、ギターが宮崎貴士さんではなかったことでした。前回見たとき(2014年)まではずっと宮崎さんだったので、少し意外というか、びっくりしました。でもたしか、平日はお仕事との兼ね合いがあると聞いた気もするので、もしそうなのだとしたら、来年の1/11は土曜なので参加されるでしょうか・・。いずれにしても、またの機会に宮崎さんの演奏を見られることを楽しみにしています。

今回のワッツタワーズの曲目は、すぐに浮かぶところで「歌にしてみれば」「ブリガドーン」「正しい数の数え方」「ミュージックマシーン」「友達になる?」「犬とオトナゲ」「メンバーズ」などなど、いつもの素晴らしい名曲たちでした。

それから、最後の「メンバーズ」のひとつ前の静かな曲、曲名はわかりませんでしたが、たぶん初めて聴いた気がします。これもすごく良い曲でした。

「メンバーズ」の導入部分では、イ・ランさんと岸野さんの即興的な、語りと歌が混ざりながら寄せては返す掛け合いが良かったです。ランさんは必要な音をサッと取りながらけっこうすごい声量で歌うので、まるで何かの楽器で音を出しているかのような安定感というか、安心感がありましたが、全部その場であの気の利いた言葉ごと生成して出力してるんだから驚きです(それも日本語で!)。時に岸野さんが引っ張って、時にランさんが引き戻すようなその駆け引きはとても見応えがありました。

あとは岸野さんの「みんな今日からここで一緒に暮らしましょう!」も聞けましたし(すごい好き)、最後の「君たちがワッツタワーズだ!」も聞けて最高でした。

終演後、パク・ダハムさんのDJを聴きながら物販でイ・ランさんのCDRを1枚買いました。最後に支払うライブのお代は、7,000円にしました。

scholaの編集をしていた頃、「これは何百年も残る仕事だから、自分は重い責任を背負ってるし、全力を注がなきゃいけないし、そうするだけの価値もやり甲斐もある」と思っていました。

だから1秒でも余裕があれば、その時間を原稿の読み直しや書き直しに使っていました。

でも会社員になって、そういう時間の使い方をする必要はなくなりました。会社では決められた時間に最大限のパフォーマンスを出しきることが重要で、それができなければ時間外にいくら頑張っても貢献度は低く、非効率だからです。

これからぼくは、休憩時間や休日には積極的に仕事以外のことをして、その度合いは日を追うごとに増すことになると思います。そうなれば、こうしたライブにももっと参加できるようになるでしょう。

考えてみれば、ぼくが最初にワッツタワーズを見た2006年は、まだscholaはおろか、上記の「フランス革命」すら作り始めていない、まったく何者でもない状態でした。

まあ今だって、それほどの者ではないですが、でもscholaをやる前の自分がscholaをやった後の自分になって、何というか、ちょっと1周したかなという感覚があります。

次の1周には何があるでしょうか? 何をするでしょうか? ワクワクします。そんな年の始まりを、ワッツタワーズのライブとともに迎えられたことを幸運に思います。