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光と影で描くのはたやすい

美大予備校に通っていた頃、評判がいいというか、いつも反応が良かったのは人の顔を描いたときと、陰影がはっきりした絵を描いたときで、でも陰影のコントラストを強くして印象的な絵を描くなんてある意味では誰にでもできることで、難しいのは陰影を付けないのに形や雰囲気を表せることだなとも思っていた。

誰にでもわかりやすく、評価されやすく、目を引きやすいのは陰影、つまり黒と白をはっきりさせることで、またその間にあるグラデーションのコントロールを絶妙に付けられたらより劇的になって文句ナシ、みたいに評価を得やすいんだけど、そういうのはなんというか、誰にでもできる下品な表現という感じがしていた。

簡単な例で言うと、ピカソの子供の頃の油絵やデッサンを見るとめちゃ上手いんだけど、それは光と影の表現。暗いところを真っ黒にして、明るいところに視線が集まるようにしているだけという感じ。でもそれが青の時代とか白の時代とかになるにつれて、もう暗いところはただ黒で塗りつぶしたものではなく、そこを見るだけでもなんだか「はあ」と息をついてしまう感じになっていく、みたいな*1

そんなことをなぜ今頃言っているのかというと、そのわかりやすい陰影の表現のように、人の善悪みたいなものもあって、あの人はいい人、あの人は悪い人、みたいにはっきりしていると、それに対してどう反応したらいいのかもわかりやすいし、ある意味で安心してそれを見られるというところがあるように思えるのだけど、実際の人間はそんなにはっきりしているものではなくて、いいところもあれば悪いところもあるものだから、本当にそれを描こうと思うならばやっぱり陰影とは結びつかない色で形を浮かび上がらせるようなことをしなければならないんじゃないか、みたいなことを思ったということ。

*1:しかしこのピカソの喩えも何十年もアップデートされていないので再考の余地がありそうだけど。

対象によって自分が変わる/遊びとしての勉強

最近、ハングルにハマっています。韓国語の勉強ですね。4月の半ばぐらいにEテレハングル講座を見て、あ、これできそうだな。と思って本を買ったり良い学校がないか調べたりし始めて、そしたら会社近くに老舗のハングル教室があることがわかって(会社と会社最寄駅の間にあった)、5月頭から(というか連休中から)そこに通い始めました*1。5月後半からけっこう忙しくてまだ5回ぐらいしか受講していないですが、長期的に楽しめればと思っています。

ハングルの勉強は水を飲むようにスイスイ自然にできています。これ、向いてるってことだなと感じます。プログラミングに近い。文章もそうかな・・つまり、大変な思いをしてそれをやっても、とくに苦しくないんですね。「大変だけど苦しくない」というのはある種の真理というか、なにかを成し遂げるには必ず通過しなければならないチェックポイントみたいな、そういう印象があります。

ハングルの勉強をしていると、時々、かつて取り組んでいた英語や簿記の勉強法についてまとめた本に書かれていたようなことを、自分から進んで、誰にその方法をやれと言われたわけでもなく、自然に作り出しては実行していることに気づきます。それで後から、「ああ、これ英語とか簿記のハウツー本に載ってた方法じゃん」と思うわけです。

いや、それって結局、その英語とかの本でかつて読んでた内容をただ思い出して実践してるだけじゃないの?という気もするんですが、いえ、自分の中の必要に迫られて自然に選択した方法がそれだった、ということが大事なんですね。それで思ったんですが、結局その英語とか簿記とかの本を書いた人たちというのも、今のぼくにとってのハングルみたいに、その人なりに自然に、必然的に選び取った効果的な学習法がそれだった、ということなんじゃないかな〜、と思っています。

言い換えると、それって要するにその本を書いた人たちが英語や簿記に「向いてた」ってだけで、その方法が誰にとっても効果的な英語や簿記の勉強法ってわけじゃない、ということじゃないの?って、そんなふうにこのハングルの勉強をしながら初めて思ったんですね。

勉強法の本、もちろん万人に効果があるなんて書いてあるものは今どき少ないかもしれないですが、でもこの、「勉強法の本を書いている人は勉強の対象がたまたまその人に向いていたからその方法がハマったってだけなんじゃないの」という視点は、今までのぼくにはなくて、今はある、ということです。逆に言うと*2、それに向いてない人がその方法を試したところで再現できないというか。ここ、けっこう大事なんじゃないかな・・と。

少し話が変わりつつ、でも繋がっている話なんですが、そのぼくにとってのハングルって、なんで自分に向いてると思うかっていうと、なんか気がつくとやってる、「言われなくてもやってる」からなんですよね。そういう風になってることに気づいて、「あ、向いてるな」と思ったというか。言われなくてもやってる、「ほっといても勝手にやる」という状態。これができるなら、その人はそれに向いてる。そう言えるんじゃないかな、と。

で、ぼくはよくプログラミング関連のことを何か言ったり書いたりしているときに、自分が「自走するプログラミング入門者」である、みたいなことを言ってたんですけど。で、それは確かにそうだろうと今でも思うんですが、それでも最近ちょっと認識が変わったのは、ぼくはそのようなことを言いながら、自分が「自走する種類の人間」なのであって、何をやらせても基本的に自分からどんどんやっていける人であって、そのような人であるところの自分が、いろんな選択肢の中からプログラミングを選んだのであって、だから仮に他の選択肢を選んでいたとしてもそのように出来るんだけど、今はプログラミングを選んだからプログラミング学習を自走しながらどんどんやってくることができた・・みたいに思っていたんですが。

でもそれはどうやら違って、ぼくはべつに「自走する種類の人間」でもなければ、もちろん「自走しない種類の人間」でもなくて、実際には、「自走することもしないこともある人間」であって、ただ、その選び取った対象によって、自走することもあればしないこともある、という事だったんじゃないかな・・と思ったんですよね。

これをまた具体的に言い換えると、ぼくの場合は対象がプログラミングやハングルであれば自走することができて、でも英語や簿記だったら、なんというか、どんどん後回しにして、自走できない人になる、さらに別の表現にするなら、ぼくを自走する人間にしてくれる対象もあれば(プログラミングやハングル)、自走しない人間にする対象もある(英語とか簿記)ということなのかな〜・・と。

それで、そこからまた少し飛躍っぽく連想するんですが。ええと、人間性とかもそういう感じなのかなと。この現実世界には「良い人」と「悪い人」が別個にそれぞれ生息しているんじゃなくて、「良い面も悪い面もどっちも持ってる人」がいるだけで、ただその人が付き合う相手、一緒にいる相手、あるいは身を置く環境とか、取り組む対象とかによって、良い人間にも悪い人間にもなる、ということなのかなと。

これも同様に言い換えるなら、たとえばぼくだったら、ぼくという人は良い人でも悪い人でもなく(あるいはその両方であり)、しかし世の中にはぼくを良い人間にする誰か(あるいはそれに類する何か)と、ぼくを悪い人間にする誰か(またはそれに類する何か)がいる、ということなのかな・・と。

最後に話をブンと戻して、ハングルのことですが、冒頭で「長期的に楽しめれば」と書いたように、基本的には確かに、これを「勉強」と言ったりもするんですが、でもぼくにとってプログラミングがべつに勉強ではないように、ハングルも実際は勉強ではないというか、いや勉強ではないと思った方が自然に、面白くできるなと思っているところです。

先日、ハングル検定というのに、超めちゃ忙しい状況下で普通なら行かないだろそれは、という中で行ってきたんですが*3、それはまあ、一応検定ということもあり、勉強という感じで多少準備はしていったんですけど、でもその準備的な勉強をしながら、「ああ、これ検定に受かることを目的にやっていたら、めっちゃつまんなかっただろうな〜!」と思いながら、自分なりにバランスをとって、面白く感じられる範囲で準備して臨んだんですけど、合格基準点60点に対して50点までいきなり迫れたので、あらためて「向いてるな」と思ったりしましたね。で、その時につくづく意識していたのは、その面白みっていうのもそうですが、とにかく「遊び」として頑張るということでした。遊びじゃなかったらやっちゃ駄目ぐらい。いや、駄目ってことはないか・・極端だった。とにかく、楽しいからやる、というのでないと、むしろ向上しないな、という意味です。

プログラミングもそうで、遊びだったし、誰かにやれと言われたわけではないからこそ続けられたと思っていて、まあ基本情報技術者試験とか頑張りましたし、それはめっちゃ勉強って感じもありましたが、たぶんそれって当時フリーランスで「さすがに何か資格ないと不安か・・」と思って、というのとも繋がってるんですけど、だけどやっぱり一方では「非エンジニアで基本情報持ってたらぜったいウケるだろ」とか「ましてや応用持ってたらもっとウケるだろ!」と思ってたからできたというか、そういう風に自分を外から見て面白がってるやつがいなかったらそもそもやってなかったし、その勉強も続けられなかったので、やっぱり遊びというか、ウケるから受けるみたいな*4感じが大きかったように思われ、だからそういう大らかさというか、風通しの良さというか、自由な雰囲気というか、それがここで言おうとしている遊びということで、そういうのこそが少なくともぼくにとっては、自分に向いてる何かを向上させるために必要な要素、生き物に必要な水みたいな、そういうものなんじゃないかな・・と思ったりしているところです。

*1:よくよく考えると、会社近くの教室なのに会社に行かない連休中に通うっていろいろおかしいのだけどそのぐらいやる気が高まっていたということ。

*2:この言い回し久しぶり。

*3:一番易しい5級です。

*4:言ってしまった・・駄洒落をとめられない年頃に入ってしまったかも。

2019年4月の音楽

音楽、なんだかんだでよく聴いてる。

アドビの安西さんがTwitterで紹介されていた↑を見て、うは、面白いな、と思ってしばらく見ていたら、キーボードもそうだけどとにかくベースの人がカッコイイ。

で、このカッコ良さはどこかで見たなあ・・と思ったら、岸野雄一さんが以前にTwitterで紹介されていたこちら。

Sam Wilkesさんというんですね。とにかく目が離せない・・。

ちなみにそのSamさんは出てこないですが、別のSamさんが出てくるLouis Coleのこのビデオもカッケー!!

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さて、冒頭のScary Pocketsに話を戻すと、とにかくそういう超カッコイイカバーが目白押し。

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ということで、ここからはその彼らのチャンネルで「これは・・」と思った好きなやつを並べます。

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とりあえず一番はこれ。↑こんなに何度も聴き返しているのは去年紹介したThe Internetのビデオ以来かも。

note103.hatenablog.com

その次によく聴いてるのはこれ。↓

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この歌ってるRozziという人がすごすぎ。なんなん!

ちなみにこれらからもわかるとおり、このScary Pocketsって固定のボーカルはいなくて、曲ごとにいろんな歌手とやってるみたい。

それからこれもよかった。

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ウケる・・。

あとこれ。

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先ほどのRozziさんですけども。

あとこれとか。

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止まらない・・最後にもう1個。

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これはもう曲がいい。原曲はケイティ・ペリーさんですか。サビの転調が異常!今時のポップミュージックはこんなんかい!と思ったけど、じつは原曲の方はそういう感じではなく・・異常な雰囲気はカバーの方が勝手に色付けた感じみたいでした。

しかし総評として、とにかくボーカルがすごい。アレンジも演奏もすごいんだけど、ボーカルを聴くとそのなんというか「違い」みたいのが明らかというか。明らかな「何か」がある。ああ、なんというか、知らないことばっかりなんだな・・自分、という感じ。こんなすごい表現者がゴロゴロいるんだなアメリカ・・という感じ。ケタが違う。

ぼくは最近、会社づとめを始めた副次的な影響でお昼ご飯をよく食べるようになったんですが、以前だったらカップラーメンとかコンビニ弁当で済ませていたようなところ、会社があるのはオフィス街みたいな感じなので、飲食店が店の前で売ってる弁当をよく食べるんですが、同じ「弁当」でも全然レベルが違うんですよね。

とくに中華屋さんが出してる弁当はいちいち本気っていうか。コンビニ弁当との圧倒的な違いがあって。その違いって何だろう、飲食店が出す弁当には「何か」があるとも言えるけど、もう少し具体的に言うならおいしい弁当にはいつも「驚き」があって。ぼく的にはその驚きというのがいわゆる「感動」なのかな、と。

いつもその中華屋さんとか、インド料理屋さんが出す弁当の料理をひと口食べたときに思うのが、別に変わった食材とか種類の料理じゃなくても、普通の野菜炒めみたいなやつでも、何か他にはない手がかかっていて、口に入れたときに「あ」って一瞬体の機能や挙動が止まるような、時間が止まるような感じがあって、「なるほど〜・・」みたいな。知らなかった、こんな味があるんだ〜・・みたいな。

それで話を戻すと、上記の一連のお気に入り動画・演奏にはいちいち「そう来たか〜・・」っていう驚き、新鮮味、それまでに体験したことがないような何かが提示されていて、それで見た時・聴いた時に体全体が一瞬止まってそのまま記憶しちゃうみたいな、そういうすごさがありました。

コンビニ弁当とか、ある種のポップミュージックの場合は(べつにそれらを悪く言うことによって好きなものを引き上げたいわけではなくて、単純にその違いを描写するために言うんだけど)、そういう驚きみたいなものはなくて、「うん、そうだね、こんなだよね、知ってる」みたいな。けっしてまずいとか不快とかではなくて、むしろよく出来てるなって感心するぐらいなんだけど、ただそれって同時に淡々と目の前の文字を機械的に読み上げていくだけみたいな、「作業」として体験しているような。そういう感じがあったんだな〜・・って、その驚きがある方のそれらを体験したことによって後から気づくみたいな。そういう感覚がありましたね。

逆に言うと、そういう比較対象としてのスゲーものに触れる前は、本当にべつにコンビニ弁当を味気ないものなんて全然感じていなかったんだけど。後から気づかされる感じ。・・ってこういう話を以前にもしたような・・いつだっけ。ああ、思い出した、プログラミングの話だ。このページですね。

https://speakerdeck.com/note103/the-non-programmers-programming-techniques?slide=30

ともあれ、まあそう、まだ音楽、聴いてますね。知らないものばっかりだ。知っていると思っていたものの中にも知らないものはあるし、今回みたいにそんなものがそんなところにあるとも知らなかったようなものもあるし。

ひとまず現在進行形の音楽状況をメモしておきました。