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私(と|の)SNS

休日。敬老の日だったらしい。自分が子供の頃はたしか9/15だったが、今は月曜という方が固定らしい。フリーランスの頃はまったく恩恵がなかったが、会社勤めになるとものすごくありがたい。次は「祝日が土曜日にかかったら金曜にずらす」とかもやってほしい。

夕方、久しぶりにジムへ。先週はパーソナルだったので、普通のジムは今月2回め。2時間程度。ベンチプレス、スクワット、ラットプルダウンなど。まあまあ好調。これが1〜2週間に一度できるといいのだけど。(いつも言っている気がする)

その前後に家の掃除も。とりあえず本をなんとかしないと。大半は処分するしかないだろうけど、編集とか創作とかをメインでやっていたときのことを思うと、「資料」として活用しうるそれらを手放していいのか・・?というためらいがどうしてもある。今を楽しむための本ならば、もう読まないものは処分すればいいが、未来を準備する資料なら、一冊も失ってはいけないという気がする。

「掃除」のスイッチが入ったせいか、Facebookの友達管理も並行してやっていた。以前から気になっていたが、Facebookで繋がっているもののここ数年全然付き合いがないとか、そもそもなんでこの人と繋がってるんだっけ、という人がいる。かつて何かしらのやり取りがあったとかならまだわかるが、初期の頃はTwitterのように気軽にというか、あまり知らないけどとりあえず、という感じで繋がった人もいたからか、「知ってはいるがやり取りしたことはない(はず)」みたいな人が結構いる。途中から、面識がない人からのリクエストは受けないようになったのでそれほど多くはないけれど*1、知り合い向けの投稿がそういう人の目に入るのも良くないから、この機会に整理しようということ。

最近はTwitterを見なくなった反動というか、今までならTwitterに書いていたようなことをFacebookに書くこともあるから、それでというのもある。

Twitterもまったく使わなくなったというほどではないが、以前に比べたらだいぶ使わなくなった*2。過去に何度かやったような、「時間が奪われるから禁酒的に禁Twitter」ということでもなく、もう興味が薄れたというか。いやTwitterという仕組みやそのユーザーの人たちには変わらず興味はあるが、「X」とか言われると、いやそれはちょっと・・という感じになる。

Twitterに初めて登録したのは2007年の4月で、その魅力というのはとにかく圧倒的な「軽さ」というか、「軽薄さ」みたいなものだった。軽薄に、世界の見知らぬ人たちと繋がれる。日本人ユーザーもまばらで、しかしその大半がこちらは勝手に知っているギーグたち。「友達申請」を「承認」してもらわなくても、その人たちの普段のつぶやきが見られる。それも、無料で。なんと軽薄なんだろう、なんという無法地帯!こんなのありなのか。かつてTumblrに対しても抱いたその感じ*3

時代が下って、Twitterは次第に軽薄ではなくなった。在日朝鮮人の人たちへのヘイトを野放しにするTwitter日本法人。笹本という当時の代表は「何がヘイトなのか、明確な線引きができない」というアサッテな論理でヘイトを容認する自分たちを正当化した。どんどん腐っていくサービス。プラットフォームが人権を守るのはビジネス視点ではマイナスでしかないからか、あの純粋に楽しいだけだったそれはどこかに消えてしまった。

それでもまだTwitterを使っていたのは、2007年から数年間の面白さがあの青い鳥のアイコンに刻印されていたからだろう。差別主義者たちが蔓延し、言い訳のように設置されたコミュニティノート機能は編集権限を申し込んでから2ヶ月が過ぎようとするなか今なお使えないままだが、それでもそれが「Twitterだから」使っていた。しかしそれも、アメリカの新たな差別主義者によって買い取られ、中学生が思いついたようなどこにでもある貧相なサービス名に取って代わられ、それはもう「Twitter」ではなくなった。ツイートがポストと呼ばれ、リツイートがリポストと呼ばれるというような、そんなディテールはどうでもよくて、ユーザーが何を言おうと何を感じようとどうでも良い前提で、サクサクすべてが変えられていく。

まあ、そういうこともあるだろう。というか、世の中はそんなことばかりなのかもしれない。そんなことばかり気にして、そこそこ役に立つ道具を手放してしまうのか?と言われたら、もちろんそうだと答える。もしイーロン・マスクが新しいサービスを立ち上げて、それが「X」という名のSNSだったらどうだろう。それに新規アカウント登録をするだろうか。するわけがない。「面白そう!」と微塵も思わない。たしかに今、そこには多くの人がいる。自分が自分の声を伝えたいと思う人も少なからずいる。だから、今後もまったく使わないということはないが、問題はそういうことではなくて、最初に書いたように、そういった理由で「興味が薄れた」ということ。使いたいサービスには、愛着を抱くものだ。その愛着がなくなったということ。ましてや、そんなものに有料登録をするはずがない。

今、友達は何をしているんだろう?ということを知りたくて見るのがSNSだった。それはmixiの頃から。ブログにもそういうところはあるが、mixiには友達の自宅の部屋を眺めるような感じがあった。外着ではなく、部屋着でくつろいでいるような感じ。そんな様子を書いたmixi日記に、コメントをしたり。今のSNSは大半が広告になっている。メディアに流れるようないわゆる「広告」ではなくて、誰かが自分の活動を宣伝するような何かでしかない、ということ。それが悪いということではなく、もうSNSはそういうものになった、というだけの話。扉を開けたら部屋着の友達がいる、みたいなことはもう(ほとんど)なくなった。

*1:それをやってしまうと、他の友達にもリクエストが行ったときに「あいつと繋がってるならちゃんとした人だろう」というお墨付きを与えてしまうことになるので。

*2:Twitterでしか更新を見られない人というのもいるので、そういう人はリストに入れたり、通知するように設定して見ている。あるいは特定の話題についてはTwitterにしか想定読者がいないというケースもあるので、そういうときは(仕方なく)使う。

*3:リブログというやつ。