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やる気の出る方法

やらないとけないんだけど、まったくやる気にならない、というかやりたくない、というケースは結構ある。無力感というのでもなく、意欲というものが湧かない、みたいなこと。食べることとか、ダラダラ漫画を読むこと、SNSを眺めること、刺激的な動画を見漁ること、などはどちらかといえば能動的に選択するが、そうではない、「やらなきゃいけないのはわかっているが面倒くさい」ということが世の中には少なからずあり、やればそんなに大変なわけじゃないこともわかっているが、食指が動かない。

やってみると案外大変じゃなかった、なぜもっと早くやらなかったのか、といつも思うが、そんなふうに後から思いながら、べつに特効薬とかではないのだけど、まあ構造としてはこういうことなんだよな、と「やる気を出すコツ」みたいなことをふと思いついたのでメモしておく。

ひとつめの方法は、それをやって得られるものを想像する、ということである。これが想像できなかったり、それをやることで失うものの方が相対的に強く想像されている場合、それをやろうという気には普通はならない。やらない理由の方が頭の中で多くを占め、やらなかった場合の利点ばかりが思い浮かんでくる。しかし何かをすれば何かを失うのは当たり前で、それを上回る「やる理由」を思い描ければどれだけ大変なことでもやりたいと思える。

空腹でもないのに間食をするとか、時間の無駄使いであることをわかっていながらとりあえずSNSを見るとかは、それをすることによってささやかな快楽を得られることを容易に、かつありありと想像できるからだろう。時間がかかる作業とか、結果がどうなるかわからないこととか、行動自体が苦痛や不快感を伴うものだと、結果として得られるものが淡くぼんやりしたものとしてしか想像できず、手軽かつ確実に快を得られるイメージに負けてしまう。だからそれを上回るイメージを思い描ければ良い。頭を動かすだけだから、体を動かすよりはラクとも言える。

もうひとつの方法は、とりあえず始めるということである。やる気がなくてもまったく関係なく、容赦なく、とりあえず始める。だから、それができないんだって、それが面倒なんだって、と思う人だけが結局いつまでもやる気にならないわけだが、その「コツを実行するためのさらなるコツ」というものがあって、それはその最初に取り掛かるアクションを極限まで小さくするということである。たとえば食器洗いなら、「とりあえず手を濡らす」のが効果的だ。それすら嫌なら「台所まで歩く」とか「体を起こす」とかでもいいかもしれない。重要なのは、気分を起点に始めるのではなく、「容赦なく始める」ということである。

一旦それに向かって動き出してしまうと、今度はそれを「やめる」のも新たなコストというか負担になる。「やっぱりやめよう」とはもちろん思うが、それでも何も始めていなかったときに比べたら、やめるためにはすでに始めてしまったアクションとは反対向きの行動を取らなくてはならず、「やることの面倒くささ」と「やめることの面倒くささ」が摩擦を起こし始める。「いっそのこと、このまま続けてしまった方が面倒が少ない」まで出てくる。こうなるとやめるのを後回しにするほどやめづらくなり、結果として面倒くさがりな人ほどその行為を継続するモチベーションというか理由が高まってくる。

また、その行為の渦中に入り始めると、頭の中も「やらない方がいい理由」よりも「やった方がいい理由」の方が多くを占めてくるので、それほど苦痛なものでなければ(自分に不向きなものでなければ)、楽しくすらなってくる。

やる気を出す方法として、「とりあえず取り掛かる」とはよく言われることだが、その背景は結局そういうことなのだろうと思っている。

総じて、やる気というのはそれをやっている最中に生まれてくる。やればやるほど、それをやる気は事後的に増大し、その行為を後押しする。ということは、それをやる前であるほどやる気は生まれづらく、それゆえ「やる気」(または「モチベーション」)を使って取り掛かろうという目論見は多くの場合崩れ去る。だから取り掛かるというハードルは、それをやる前であるほど高く、困難なものなる。そしてこれへの対策が、上記の「やって獲得できるものを想像する」か「容赦なく始める」かのどちらか(または両方)ということになる。

ところで、この文章のタイトルは「やる気を出す方法」ではなく「やる気の出る方法」とした。「やる気を出す」というのはどうにも積極的で能動的な行為のようで、しかしそんなことができる人ならそもそもこんなことで悩んだり困ったりしない。やる気が出ない人はやる気を出そうともべつに思っていない。思っていないが、やる気が出ればいいのになあ、とは思っている。だからそういう人の傾向にマッチするように「(勝手に)やる気が出る方法」とした。