103

路上教習、美竹公園

教習

教習、2時間。本当は3時間やりたかったが、いろいろ家の片付けもあり断念。

路上に出て2回めと3回目。どちらも比較的穏やかにこなしたが、2回めでは直進時に左右にふらつくとの指摘があった。3回目ではそれは改善されたとのこと(同じ指導員さんだった)。

また3回目のときはどうも左前輪や車体の左側面の感覚がいまいちイメージしきれず、道路の左側端との距離感を注意されることがあった。

難しいのは車間距離、停止位置、横断歩道近辺の歩行者・自転車の察知、信号との目測距離、進路変更及び方向指示器を出すタイミングなど。結構ある。

1段階(場内教習)のときは、1日に2時間もやったらヘトヘトという感じだったが、路上に出るとそうでもない。緊張感は場内よりも高いが、全身が凝り固まるようなつらさはない。以前も書いたかもしれないが、先月かなり本格的に苦しめられた首・肩のコリ、あれはS字やクランクなどの狭路走行の頃に突然始まったもので、1段階のストレスを象徴するものだったと思う。

美竹公園

minnanokouenn.blogspot.com

ねる会議による声明。渋谷区、本当にひどいことをしている。人権蹂躙。パートナーシップ制とかなんだか良さげなことをしているようで、実際にはイメージアップにつながりそうなことをやっているだけ。本当に弱者を思ってやっているわけではないことがよくわかる。渋谷区長は人間を人間と思わない人なのだろうと思う。関東大震災朝鮮人虐殺を認めない小池都知事を思い出す。

このような状況を変えるには、現状では選挙で適切な長を選出するという方法しかないのだろうが、何しろ大多数の市民・国民・住民がこうした問題に無関心だから変わりようがない。そもそも選挙にも行かないわけだが、選挙に行けば済むということではなく、選挙に行かないのは「他人の問題に関心がないから」であって、結局それが変わらなければ意味がないし、それが変われば自然に選挙にだって行くようになる。その頃には、そもそも選挙以前の問題として皆の関心が集まっている以上、このような馬鹿みたいな人権弾圧が起こるはずがないわけで、まずは人々がこうしたことに関心を持つことの方が優先的な課題だ。

人々が「他人の問題に関心を持てない」のはなぜだろうか。忙しすぎる。貧しすぎる。金がないから働くしかない。疲れすぎているから何よりもまず休みたい。自分を楽しくしてくれるものだけに触れていたい。わかる、わかるよ。俺だってそうだよ。だけど、それでも、ほんの少しでもいいから、想像してほしい。ありえないことが起こっている。人を人と思わない暴力が、そこらのチンピラではなく、渋谷区という行政が公の仕事としてやっている。まずは関心を持ってほしい。ただそれだけでいい。それさえやってくれたら、きっと次にこのニュースに触れたとき、「あれのことだ」と思うだろう。そしてそのとき初めて、あなたはこの問題に対してあなた自身の意見を持つことができるだろう。そのときを待ってる。