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DYGL、i'm cyborg but that's ok、得意なことを仕事にできるか

音楽

DYGL

YouTubeズボンズを見ていたらレコメンドされたDYGLというバンド。なにこれ、と一瞬固まった。

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ラーズみたい。と誰もが思うだろうか。あるいはアズテック・カメラ。ペール・ファウンテンズ。正直、どれもリアルタイムではちょっと苦手だったものだけど、後から「あれって結構良かったよな」と好きになったもの。10代の自分にはちょっと早かったというか。

はじめてスピッツの「ヒバリのこころ」を聴いたときのような、新しくは感じないがオリジナルとは感じられる、みたいな感じ。あらっぽいボーカルはまさにリー・メイヴァースを思わせる。歌謡曲のようなぐんにゃりクセのあるリフもいかにもUKっぽい。重層的な雰囲気で聴かせるのではなく、声やメロディ、楽器の音といった個々の個性の一本釣りで引きつけるというような。

全然知らなかったけど、そこそこ有名な人たちのよう。しばらく聴き漁った。YouTubeチャンネルは以下。
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ズボンズ

今日もしばらく聴いていた。

  • ズボンズ ” Mo' Funky” Osak HARDRAIN 6.27 2015

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  • ZOOBOMBS - Live at Scion's CMW Daylight Riot

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  • ZOOBOMBS - Hot Love

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  • ZOOBOMBS - Doo-Bee

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この「Doo-Bee」のプロモーションビデオ、ズボンズの良いところがほんとに出てる。

i'm cyborg but that's ok

i'm cyborg but that's okさんによる、Fog Lakeの勝手PV。

  • Fog Lake - Lost Love Letters

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朝イチで、業務時間だけどぼーっとしているときとかにこういう動画を流しっぱにしたりしていると、だんだん現実に戻ってくる感じがある。自分の現実はこっちの方にある。

上のはジョナス・メカスの映画を使ったもののようだけど、i'm cyborg but that's okさんの本領は愛し合う人たちの(あるいはまだそれを自覚していない人たちの)痛いほど切実であまりにも貴重な一瞬を切り取ったようなもの。これとか。

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↑こういうバイクでわーっと走るようなのがけっこう多い。そしてまさに、自分はそういうものを凄く求めている。

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他にもいろいろある。このブログを読むような人ならきっと気に入るものがあるだろう。
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『水と礫』に並行して、同じ文藝(2020年冬季号)に載っていた大前粟生『おもろい以外いらんねん』もじわじわ読んでみる。いつものように終盤からラストまでを先に読んで、また頭から。「いつものように」と書いたがそのように読むと決めているわけではなく、パラパラめくって気になったところからざーっと読んでいくとそうなりがち。

劇中劇のような感じで漫才のネタがけっこう長めに、それも何編も出てくるんだけど、それが案外いちいち面白い。この「ちゃんと面白い」というのは本来だいぶハードルが高いと思うんだけど、成立していてすごい・・という感想だった。職業としての小説とお笑いはそれぞれ別の才能を必要としているように思うのだけど、どちらもできている、というのが。

じつに現代的な問題である「人を傷つけない笑い」が大きめの主題にもなっていて、これがちょっと小説に不可欠な要素として消化されきれていないようにも感じられるんだけど、まだ正味半分も読めてないので、ぜんぶ読んだら納得感があるのかも。

仕事

メインの業務は午前がそこそこ忙しめ。午後に少し落ち着いたので、編集・構成的なサブの業務にシフト。今の仕事、このように昔やっていた仕事も活かせる場面が多いのでいろいろ助かる。いろいろというのは、心身ともにというか、自分の得意分野を仕事に活かせるのはやはり幸運なことだろう。

昔やっていたから、ということももちろんあるが、それ以上にこういうチマチマ文章とかを整えていくのが苦ではない、そういう傾向というか、個人的な特長があるのだと思う。それほど強烈な我慢や努力をしなくても、ある程度のものはできるということ。手を抜いているのではなく、かなり時間や労力をかけているが、他の人がそれをやった場合よりも「大変だ」とか「もうこれ以上できない」と思うまでに時間がかかる、耐性が強い、みたいな感じ。

文章が得意なわけではなく、実際には平面に何かヴィヴィッドなものを描いてあっと驚かれるということの方が多いと思うんだけど、食事するのも忘れてそれをやる、というふうにならない以上、それはやはり才能がないということなのだろう。才能というのは、結果的に何が生まれるかという以前に、その「誰にも言われていないのに気づいたら取り組んでしまっている」ということも含めて才能なのだ。それができて、なおかつ生み出されたものが人の心を打ったとき、初めてその人は「才能があるね」と気づかれる。

文章を書いたり直したりするのが得意なのは自分にとってはオマケのようなもので、文字起こしをやったり、莫大な量のメールを書き続けたことで当たり前のようにそれが身近な拡張身体になった、というようなこと。口で喋ることとPCで文字を書くことの間に大きな負荷の差がない。その差が大きい人もたくさんいるから、それを必要とする現場に行けば多少は仕事にもなる。ただまあ、「文章を書ける人」というのは「運転できる人」ぐらいには低付加価値で、収入を含めて自分に適した現場を探すのは、それもまた別のコツが必要になるのかもしれないけれど。個人的にこれがコツかなと思うのは、「時間をかける(時間がかかる前提を持つ)」ということかなとは思う。焦らず、他人から知らされたものに飛びつくのではなく、自分で探して自分から飛びつくこと。コツというか、原則か。

明日は薄めの体制。いつものようにやるだけ。健康に。

今日のドアラ

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最後の30秒で爆笑してしまった。

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ラストの「1994」が見どころ。