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仁藤夢乃著『難民高校生』を読んだ

正味4〜5日で読んだと思う。大変濃密、かつ考えさせられるところの多い良書だった。ちくま文庫版を読んだが、その文庫版あとがき、そして小島慶子さんの解説もよかった。

ただし、このちくま文庫版は電子化されていない。文庫版あとがきまでを含めて一つの作品というか、セットとして読むべきものだと思うので、これが電子化されて誰でもスマホで手軽に読めるようになるとよいのだけど。(実際、読みたいと思ってから読み始めるまで、取り寄せ期間を経て数日かかった)

一方、単行本の方はデジタル化されている。値段も600円程度なので、とりあえず電子版を、という人はこちらを。これだけでも十分に内容は詰まってる。

恩人とも言える阿蘇さんとの出会いは、著者にとって大きなものだったと思うが、大事なことは、その阿蘇さんが必ずしも「すべてを変えてくれた」というわけではない、ということだろう。著者はその人と出会うまでに、自分の人生を変えるために高校を辞め、高認を受験するために河合塾コスモに入り、そこで初めてその人物に出会い、やがて生き方が変わっていく。これは何も、道を歩いていたら突然その人に巡り合ったとかいうことではなく、元々自分で人生を変えようと試行錯誤していたからこそ、その先にその出会いがあったということで、もっと言えばそういう元々の希望、姿勢がなかったら、同じ人に会ってもこのような作用は起きなかった(何も感じなかった、受け取れるものはなかった)に違いない。そうだからこそ、著者はその後にその人がいない場面でも、どんどん自分の道を切り拓いていく。

見方によっては、ここに書かれている数々の行動、実践は、一人の積極的でポジティブで社交的な、生まれつきそういう性質・能力を持つ人の武勇伝のように受け取ることも可能かもしれない。つまり、自分にはこんなことはできない、この人は特別だからこのようなことができるのだ、と。しかし、仮にそうであったとしても、あるいはそうでなかったとしても、それは本書や仁藤さんの活動について語る上で、あまり重要なことではないと思う。重要なことは、本書を読んで、「こんなふうに生きることもできるんだ」と知ること。自らの固定観念を壊して、新たな可能性というか、広がりを得ること。とくには、今この時点で、かつての著者のように苦しい時間を生きている人が、そこから逃げ出す方法を知ること。そういうことが実現しさえすればいいと思う。

本書には、著者やその友人が体験したつらい出来事がたくさん書かれているが、そういうことを書くときには、そのときの気持ちや状況を追体験しながら書くことになるだろうから、それはつらかっただろうと思った。しかしそれらの記述は、同じような境遇にある人たちにとって非常に大きな支えになるはずだと思う。

文庫版あとがきを中心に語られる、虐待に関する記述、およびそれがもたらす負の連鎖に関するくだりも深く印象に残った。本質的というか、根深い問題だと思える。

仁藤さんはTwitterで、Colaboの活動を当事者運動だと言っていたけど、それはそうだろうと思った。本書を読めば、それは言われなくてもわかることだが、その意味でも仁藤さんやColaboの活動を取材しようという人は、最低でもこの本を読んでおくべきだろう。

ちなみに、はじめにColaboの存在を知ったのは、たしか稲葉剛さんの以下の本を読んだときだと思う。

これについては、以下にちらっとだけ書いた。
note103.hatenablog.com

その本を読んで、このColaboという支援団体は非常に意味のあることをやってるな・・と思ってサイトをチェックして、まずはとりいそぎ、という感じでサポーター会員に申し込んだ。

公式サイト。
colabo-official.net

支援関連ページ。
colabo-official.net

今はこれに加えるかたちで、シェルター増設サポーターを検討している。

これを書いている今、Colaboは馳浩議員による同活動の視察における心ない行為のために、とても大変な様子だ。この問題も根は深く、端的に述べるには大きすぎる被害をColaboにもたらしているから、ここで詳しくは触れないが、それでも女性の議員までもが馳氏を養護するコメントを出しているのを読んで、心から失望するとともに、こうした活動が行われることの意義をあらためて感じた。

将来的には、仁藤さんやColaboのような特定の人々や団体のみが頑張るのではなく、多くの人が継続的に、こうした活動に取り組める仕組みが整備されること、また元になる被害自体を減らしていくことが理想だろうが、この国ではまだまだその素地が育っておらず、それが実現するにはしばらく時間がかかりそうだ。
これがいずれ実を結ぶまで、自分なりの仕方で支援を続けたい。