寄付なんてするとは思っていなかった。1〜2年前まではほとんど無職のようなものだったし。将来に感じる不安も半端なかった。年金ってなに?という感じだった。それでもぼくは、自分がアーティストのようなものだと思っていたから、いやアーティスト活動はしてないが、精神というのか、んー、ちょっと違うな、出自というのか、自分ではどうにもコントロールできない属性みたいなものとして、どこにも所属できない根無し草みたいなものだと思っていたので、安定なんて得られなくても仕方ないと思っていたが、結果的に会社員になり、他人に寄付、つまり「お金で貢献」できるようになっていたから、してみようと思ってやり始めている。
金額は大体、ひと口千円から5千円ぐらい。毎月継続的にやるものは、千円〜1,500円ぐらい。単発でやるものは5千円前後まで。で、月当たりの上限を1万5千円ぐらいまで、と大体だけど決めている。
先月、2020年3月に行ったのは以下。
単発支援
団体 | プロジェクト | 金額 | URL |
---|---|---|---|
わっぱの会 | ソーネ基金設立支援 | ¥3,720 | https://camp-fire.jp/projects/view/241885 |
江原河畔劇場 | 江原河畔劇場設立プロジェクト | ¥5,000 | https://www.makuake.com/project/ebara-riverside/ |
継続支援(すべて月額)
団体 | プロジェクト | 金額 | URL |
---|---|---|---|
ビッグイシュー | ビッグイシュー基金 | ¥1,000 | https://bigissue.or.jp/ |
ビッグイシュー | オンラインサポーター | ¥1,000 | http://bigissue-online.jp/archives/onlinesupporter.html |
つくろい東京ファンド | つくろいサポーター | ¥1,000 | https://tsukuroi.tokyo/ |
難民支援協会(JAR) | 難民スペシャルサポーター | ¥1,500 | https://www.refugee.or.jp/ |
今月は現時点で以下に支援してる。
単発支援
団体 | プロジェクト | 金額 | URL |
---|---|---|---|
東京アンブレラ基金 | ネットカフェ休止要請への対応 | ¥5,000 | https://congrant.com/project/umbrellafund/1540 |
継続支援
団体 | プロジェクト | 金額 | URL |
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Colabo | サポーター会員(年会費) | ¥6,000 | https://colabo-official.net/support/ |
結果、先月は13,220円、今月は今のところ15,500円(新規11,000+継続4,500)。月当たりの上限を1万5千円にしていると言ったけど、2万円ぐらいまで考えておいてもいいのかも。どうも上限の手前で、対象を吟味しすぎるきらいもあるし。
寄付をするときに、ついつい、相手に「少ないですが・・」とか「ささやかですが・・」とか言いたくなる。でも、それは言っちゃ駄目だ。「そんなことないですよ!」とわざわざ相手に言わせることになるし、何よりそれって、自分を否定している。たとえ自分自身からであっても、恒常的に否定されたら傷つく。傷ついたら、もうそれを続けようとは思えなくなる。だから、そんなふうに自分を否定するようなことを言ってはいけない。
千円で相手の役に立つだろうか? まあ、立たないかもしれない。でも、それでもいい。目的は、役に立つことですらない。いずれは役に立つかもしれない、その「いずれ」に向けて今をつなぐこと、今この時点から、その「いずれ」までの間に橋を架け続けることが目的だ。そのためなら、1円だっていい、Twitterでシェアするだけだっていい、ブログに書いてアップするだけでもいい。
ロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』という本があって、「自分はいわゆるフェミニストとしては劣等生だが、それでも自分なりにフェミニズムについて語ってやる」みたいな話なんだけど*1、寄付するときにはそのことをよく思い出している。
- 作者:ロクサーヌ・ゲイ
- 発売日: 2017/01/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
自分は慈善家としては評価されないかもしれないが、それでも自分なりの慈善活動をする。それでいい。まずは自分のためにする。それがやがて、価値ある成果を生み出す助けになるかもしれない。それでいい、というかそれがいい。
最初にも書いたように、ぼくだってどうなるかわからなかった。ぼくもあちら側にいたかもしれない。かなり、リアルにそう感じる。今もその風景、どこにも住む場所がなくなった自分の姿が、重く湿った、冷たくぬるぬるとした空気に体を包まれる自分の姿が、手を伸ばせば触れられるぐらい、すぐそばに感じられる。だからぼくは、ぼくに支援している。ぼくだったかもしれない誰かに。ぼくやその人を含む、社会全体に。
寄付に限らず、たとえば何かを買うという行為であっても、持っていた金が自分の身から離れていくというのは、それなりにつらい、というか痛い。これまた、寄付をするときにいつも思い浮かべるイメージがあって、それはアンパンマンが自分の顔を食べさせるシーンだ。アンパンマンは顔を食べさせると弱ってしまう。でも食べさせる。なぜだ?それによって、得られるものがあるからだ。身を切るつらさという言葉があるが、それが寄付であっても、たった数百円であっても、金が自分から離れていくときには体の肉が引きちぎられるような痛みを感じる。でも、その痛みにこそ意味がある。命を分けている、という感覚が切実に、具体的に身に生じる。金には血が流れている。ぼくの血が。だからありがたがってほしい、という意味ではない。そんな痛みがあっても尚やるだけの価値がある、だからやっている、と言いたい。
社会がよくなってほしい。困ってる人が助かってほしい。その困っている人は、いつかの自分だ。過去の、あるいは未来の。自分を助けるために、他人を助ける。それだけ。見切り発車で、軽い気持ちでやってる。
*1:と言いつつ全部は読んでないので違うかも。バッド読者・・