103

誘われても狭い部屋に入らない

A「キミはりんごが好きなんだね」
私「いえ、とくに好きではありません。どちらかと言えばみかんの方が好きです」
A「みかんが好きだからって、りんごが嫌いとは限らないだろう」
私「嫌いとは言ってません。好きというほどではないということです」
A「ほらやっぱり。嫌いじゃないなら、好きなんだろう」
私「そうじゃなくて・・(もういいや)」
A「ふむ、反論しないということは、キミはりんごが好きなんだな」
私「・・」
A「ワタシのTwitterにはたくさんのフォロワーがいるから、拡散しておこう。おーい、みんな!この人はりんごが好きだそうだ!」
私「ちょっと、やめてください、そんなにたくさんの人に誤解されたら困ります」
A「ふん、違うなら、違うと証明してみろ。ワタシを説得してみろ」
私「(説得って・・どうすれば・・)」

さて、このような状況に遭遇したら、どうしたらよいだろうか。

答えはシンプルで、自分の公式見解をただ公開すればいい。上の例なら、自分のTwitterアカウントで「りんごは嫌いというほどではないが、べつに好きではない」と明言しておけばいい。

上記のAさんは、自分の部屋から出ない人だ。そして、その部屋は狭い。中には、2〜3人しか入れない。入っても、狭すぎて身動きが取れず、すぐにヒジがぶつかるぐらい、相手の顔もまともに見れないぐらいに狭い。

一方のあなたは、もっと広い場所にいる。周りにはたくさんの人がいるが、あちこちに散らばっていて、皆が皆、どんなふうに振る舞おうがべつにガシガシぶつかったりはしない。

狭い部屋では事実がすぐに固定化される。生じる現象のバリエーションは少なく、あらゆる出来事に整合性がある。

一方で、広い世界で共通の傾向を見出すことは難しい。誰かにとっての真実が、他の誰かにとっては明らかな誤りかもしれない。様々な矛盾が同時に存在しているのが広い世界だ。

様々な矛盾を前提として受け入れている世界において、矛盾はとくに「悪」ではないし、誰かのレールから他の誰かが外れることは日常であり、異常なことではない。

しかし狭い世界において、ひとつの傾向を外れることはすなわち「悪」になってしまう。元のレールに戻そう、異物は排除しよう、という考えにすぐとらわれてしまう。

狭い世界にいる人は、すぐに断言をする。正しいものは少なく、固定であるからだ。正しいものはすぐ手に取れる場所に常にあり、何がそれでないかは考えるまでもなく、反射的にわかる。

広い世界にいると、何が正しいのかすぐにはわからない。尊敬している人が、自分が嫌いな何かに夢中になっていることもある。ただそういう事実がそこにある、と知っているだけでも世界は広がる。

狭い世界にいる人は、そこから動かない。「俺のそばまで来い、この部屋に入ってこい」と言う。「お前の言うことはよく聞こえないから、もっと近くに来い」と。もしかすると、その人はそこが部屋の中であることにすら気づいていないかもしれない。すべてが整然と固定化された小さな部屋にいることも、その外に嵐のような混沌があることも知らないかもしれない。

だから、その部屋に入ってはいけない。入れば、その中の限定的な規律に従わざるをえなくなる。

その部屋の「王」はその人で、それ以外の人は家来か奴隷だ。何を言っても王にとっては取るに足らない意見でしかない。「またカラスが鳴いてるな」ぐらいにしか思わない。王にとって奴隷は人間ですらない。だから、その部屋に入ってはいけない。

このようなときには、広い世界に留まり、自分の言葉を理解できる相手に向けて、丁寧に意見を述べればいい。「私はりんごが嫌いというほどではないけれど、べつに好きなわけでもない」と。