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電話会社をauからmineoに引越してどのぐらい安くなったか

以下の続編というか、経過報告。
note103.hatenablog.com

細かい作業はけっこう好きなタチながら、電話会社や料金プランなどの精査は面倒で仕方なく、ついつい後回しにしていたものの、2年ぶりの更新月が来たので「これを逃したらもう動けなそう」と思って一念発起でauからMVNOのmineoに引越したのが去年の11月。

すでに半年が経っているけど、その引越しによってどのぐらい月々の電話料金が安くなったのか、あるいはなっていないのか、結構みっちりチェックしたので記録しておく。

昨年との比較

まず結論から言ってしまうと、去年の同じ時期に比べて、端末代(iPhone6sの本体およびAppleCareにかかる代金)を除いた額が月々4,500〜5,000円ぐらい安くなっている。

具体的には、こんな感じ。

mineo(2017年) au(2016年) 前年比
1月 1794 6710 -4916
2月 1859 6623 -4764
3月 1730 7012 -5282
4月 2270 6688 -4418
5月 1730 6623 -4893

なお、現在ぼくはmineoの

Dプラン/デュアルタイプ(データ通信+音声通話)/3GB

というプランで、その他のオプション(留守電など)はすべて未契約。

ちなみにauからの引越しだと、通常はAプランを選びそうなものだけど(AプランのAはau、DプランのDはdocomoのようなので)、今回はテザリングが必須なのでDプランにしている。

その辺の経緯については、前回の記事をご参照。(再掲)
iPhone6sの電話会社をauからmineo(格安SIM)にナンバーポータビリティで乗り換えた - 103

で、その月額費用はこれを書いている現時点(2017/06/30)で1,728円、またそれとは別にユニバーサルサービス料が2円らしいので、1730円か。
そしてそれとは別に、通話をすればそれだけの通話料がかかる。

ということは、ええと、上記で今年1730円ぴったしの月はまったく通話してないということですね。
どんだけ……(ひきこもり)

閑話休題
あらためて、上記のauとの違いを見てみると……だいぶ違いますねえ〜。

まあ、ぼくは普段全然ケータイの通話もしなければネットも自宅のWi-Fiを使っているので、外で仕事をしている人とはいろいろ環境も違うと思うけど、逆に言うとぼくみたいな生活様式の人にはそれなりに参考になるかも。

これは前回も書いたかもしれないけど、とにかくぼくはauの頃からほとんど通話はしてなくて、通話料の欄がそもそも存在しない月や、あっても160円ぐらいの月が大半だったので(手元の記録にあるかぎり一番通話料がかさんだのは2014年後半の作業が超ピークになった時期の3,500円ぐらい)、そういう生活をしていた自分にかぎって言えば、大手キャリアのあのボリュームある定額料金を払い続けるというのは、やはりちょっとお布施感があったというか、端的に無駄だったというか、無知や惰性をお金で買っていたというか、そんな感じがあったかなあ……と思ってしまう。

とはいえ、それで後悔しているのかというとそうでもなくて、上記の二社の違いにしても、今回ちょっと時間をとって精査したからわかっただけのことで、わざわざ精査しなくても、あるいはずっとauのままだったとしても、べつに誰も(ある意味自分を含めて)困らなかったわけで、今の段階でこうして切り替えられたというのは、それだけでもラッキーだったのかなという感想。

過去3年分との比較

さて、上ではとりあえず前年との比較をしてみたけど、せっかくなので3年分さかのぼってみた。
たぶん、この機会にやらなかったら一生そんなことしないので……。

で、結果は以下。
まずは金額だけ並べてみる。

mineo(2017年) au(2016年) au(2015年) au(2014年)
1月 1794 6710 8215 4774
2月 1859 6623 8171 4732
3月 1730 7012 8192 4627
4月 2270 6688 8452 5236
5月 1730 6623 8344 4801

次に、各年と今年との差分が以下。

mineo(2017年) au(2016年) au(2015年) au(2014年)
1月 1794 -4916 -6421 -2980
2月 1859 -4764 -6312 -2873
3月 1730 -5282 -6462 -2897
4月 2270 -4418 -6182 -2966
5月 1730 -4893 -6614 -3071

はいはい。ええと、なんか2015年と今年の差がすごいですね。一律6,000円以上安くなってる……。

逆に(というか)、2014年との差は他に比べると結構少ない。
まあ、トータルで見たら今より3,000円前後高いんだけど、それでも他に比べると控えめな印象。

で、なんでかなーと明細の内訳を突っ込んで見てみたら、これ、ダントツで差がある2015年だけ、端末代金の分割支払いをしてないんですね。

言い換えると、ぼくは2016年にiPhone6s、2014年にはその前に使っていたiPhone5の端末代をそれぞれ分割で払っていて、もう少し詳しく言うと、2014年10月にiPhone5の分割代金を支払い終えてから、2015年11月にiPhone6sの分割代金を支払い始めるまでの約1年間、端末代を払う必要がなかったんだけど、その期間の電話料金がグン、と上がってるということ。

ええ〜……なんで〜……という感じなんだけど、そこにはauの割引プランというのが影響していて、2014年と2016年の分割代金を払ってる間は月々2,500円程度の割引が発生していたんだけど、件の2015年時点ではそれが発生してないので、相対的に電話料金が高くなってしまってるということ。

で、最初の方にも前提として書いたように、上の比較表っていうのは「端末関連代金(本体+AppleCareの分割支払い額)を除いた額」だからそうなるというか、ここに端末の代金も足して総計で比較すると、案外2015年も他の年に比べてそれほど高くなるわけではない、という仕組みになっている。

いや〜……そう考えると、やっぱりキャリアの各種プランというのはそれなりに上手いというか、混乱を誘うというか(笑)、本当にじっくり精査できる人じゃないと全貌がなかなかわかりづらいものだなあ、という感じがしてきますが。

結局なにを見て判断すればいいのか? → 端末代を除いた電話代

ただ、いずれにしても、キャリアがいかに幻惑的なプランを立てたとしても、第一に「端末代金は不変」であること、そして、「固定された月額料金が高かったらいくら割引きしてもらっても無意味」、というのが、この過去3年分の数字を並べて至った結論ですね。

だって、その端末の分割代金を支払っている間に適用された約2,500円にしても、たしかにそれを毎月引いてもらったらデカイなあ、って素朴に考えたらそう思うけど、でもぼくのau時代って定額分が毎月7,000円〜8,000円はあったので、まあ焼け石に水というか、元の額が高すぎますね。

あとは、キャリアの方はいろんなプランやキャンペーンが盛りだくさんな分、1年に何度もそれが切り替わっていくので、「今自分がどの項目にいくら払ってるのか」を把握するのがかなり難しい。

今回は上記のとおり、少し時間をとってじっくり検証したから「あれ……使い方はいつもと変わってないのに、なんでここから急に金額が増えてるんだ?」って違いに気づいたり、その原因を突き止めたりできたけど、普通はなかなかそこまで出来ないですからね……。

一例としては、ぼくは毎月紙の請求書を発行してもらっていたんだけど(確実に記録を保管できるので)、ある時(というか2015年10月)からその発行手数料が値上がりしていたり(税抜50→200円)、かつその前月から、それまでは紙の請求書代も「電話料金」の一部だったのが、なぜかそこから外れて独立した額になっていたり。

それもなんでだろ? と最初は思ったけど、それによって「紙の請求書代は値上がりしたけど電話料金はその影響を受けない(むしろ下がってる)」という状況が生まれていたりして……なんかau、しょうもない小細工してるなあ〜……と思ってしまいましたが。
(もちろん、それが本当に目的だったかはわからないけど、少なくともそういう現象は生じていたということ)

あるいは、2014年4月に消費税が8%に上がったタイミングで、電話料金にかかる消費税額も当然上がるんだけど、その時になぜか課税対象の内容も変わっていて、5%の頃には上記の割引額(約2,500円)もその課税対象に入っていたんだけど、8%になってからはそれが課税対象から外れてしまったので、必然的に消費税額も増えたり(それまでは通話ゼロなら毎月200円程度だった消費税が500円超に)。

でも、明細を見てもその辺の変更がなぜ行われたのか、とかはよくわからない。
いや、きちんと確認すればどこかに必ず明記してあると思うんだけど、まあ、普通そんなに細かく見れないじゃないですか。

というのはしかし、だから大手キャリアはダメだという話ではなくて、ようは情報量が多すぎるというか、大手のサービスを使うと気にしなければならない対象が多くなりすぎる、という話。

キャリアが示す各種のプランや、キャンペーンがフィットする生活や仕事のスタイルの人もいるだろうし、あるいは通話や通信料がぼくなんかよりずっと多い人にとっては、もしかしたらmineoとかを使った場合にはかえっていろいろ手間が増えてしまうこともあるかもしれないし。

なので、auを悪く言うつもりもなければ、mineoは非の打ちどころがないとか言いたいわけでもなく、ただ現状ぼくの環境では上記のような感じでした、ということ。

mineoにしてからは電話料金のことで気にする対象がすごく絞られて、シンプルなサービスになったのが精神的にラクだし、ぜんぜん通話とか使わない自分にとってはプランもフィットするもので、かつ非常に安くなったし、良い引越しだったなと。

ギガが余る

あえて言うなら、ぼくの場合は3GBでも全然データ量が余るので、もう一段階下のプランでもいけそうなぐらいなんだけど、mineoの3GBより少ないプランって1GBか500MBで、しかしそれらの料金って3GBとほとんど変わらないんですよね……月に100円か200円ぐらい安くなるだけ。

その一方、もしデータを使い切ってチャージすることになったら、100MBあたり160円ぐらいらしいので、ええと……20〜30倍ぐらい? すんげー、割高!

なので、まあ現時点でも全然、以前に比べたら高いとかではないし、今月もデータ余るな〜……って、それぜいたくな悩みかもしれませんが、ぜいたくに悩みつつ使っているという感じですね。

ということで、ダラダラした感じになりましたが、ひとまずここまで。
どなたかの(あるいは未来の自分の)参考になれば幸いです。

おまけ

前回の最後にも入れたんだけど、mineoの紹介キャンペーンというのがあって、以下のリンクから契約に進むと紹介者と被紹介者双方にAmazonギフト券が1,000円分贈られるそうです。
機会があれば使ってみてください。
紹介アンバサダー 紹介される方専用ページ|特集|格安スマホ・SIM【mineo(マイネオ)】

文系について(2)

前回の内容は以下。

note103.hatenablog.com

けっこうな量になったので一旦そこでやめたのだけど、もう少し続きがあった。

補足

  • まず補足なのだけど、前回は「基本情報技術者試験を受けたのがきっかけで文系について考えるようになった」的なことを書いたのだけど、よくよく思い出してみると、実際にはそれより少し前にTwitterで「国語をちゃんとやれば論理的思考が身につく!」みたいな話を目にして疑問を持ったことがきっかけだった。
    • そのツイートは今ざっと探したけど見つからなかった。似たようなのはいくらかあったが。
  • 疑問、というのは個人的には「国語をやって論理的思考が身につく」とはあまり思えないということ。
  • 国語をやる、というのは基本的にはとりあえず「文章をよく読む」ということだと思うのだけど、いろんな文章をたくさん読んでわかることっていうのは、結局「いろんな人がいる」ということに尽きるのではないかと思っている。
  • 少し言い換えると、「いろんな考え方がある」ということだけど。
  • 一方で「論理的思考」というのは、ぼくにとっては「よくよく考えれば誰だってそう考えるよね」というものであって、その意味では国語より算数に近い。
  • 「1個100円のリンゴを2つ、1パック300円のイチゴを1つ買った。合計いくら?」みたいな感じ。
  • これで回答者によって答えが違ったら困る。
  • そして論理的思考とは、そういう「回答者によって答えが違ったら困る」ものだと思う。
  • しかし国語で、というかいろんな文章を読んでわかることというのは、「え、そんな考え方があるのか!?」という驚きであり、その体験を通して「自分の知らない世界がまだまだ広がっている」という事実を知ることだと思う。
  • あとは、今は「忖度」という言葉が空前のブームだが、「この人はクチでは賛成しているようだけど本当はイヤなのかもしれない……」とかいうふうに、他人の気持ちをいろいろ想像するようなことも国語の勉強を通して学んでいけるとは思う。
    • 「主人公の気持ちは次のどれか?」みたいな問題とかまさに。
  • 話を戻すと、だからその「国語をちゃんとやれば論理的思考が身につく」という論はよくわからない。その論は果たしてどこまで論理的なんだろうか。
  • ちなみに、前回の文章でぼくは

文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う

  • と書いたのだけど*1、これをもう少し言い換えると、文系というのは「その豊かな想像力を駆使して飛躍した論理を操る」ということになって、それはまた「論理的ではない話をあたかも筋が通っているかのように話す」ということになる。
  • で、上記の論についてもなんとなくそういうフシがあるのではないのかなあ……という印象を持ちつつ、「いや文系っていうのはそうじゃなくて、こういうことじゃないのかな?」という感じで前回書いたようなことを考えはじめた気がする。

前回の続き

  • さて、それはそれとして、前回の続きとして記しておきたいことがあったので、以下ではそれについて。
  • どうも一連の論旨として、いわゆる「文系」の人に悪いことばかり言っているような気が自分でもするが、それはべつに目的ではない。
  • では目的は何かというと、「文系や理系に関する話がいろいろあるけど、大半はそもそもの文系・理系の定義が曖昧すぎるだろ。もうちょっと前提を一致させてから話してはどうか? というか少し考えてみようか?」みたいなこと。
  • 実際には、前回の最初の方にも書いたように、ここでそういう定義というか再定義を行いたいわけではない。
    • そんなことしてもいろんな人のオレオレ定義と突き合わされて「それは違う」と言われるだけだろうし。
  • それで前回やったのは、「多くの人は大体こんな意味で言ってますよね?」的なイメージをざっくりまとめるということ。
  • それで出てきたさしあたっての結論が、たとえばさっきも挙げた

文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う

  • であり、あるいはこんな感じのこと。

  • ちなみに、このツイートをしたのは以下のツイートを見たのがきっかけだった。

f:id:note103:20170529000058p:plain

  • (その人やいいねした人を責めたいわけではないのでIDとかは隠してる)
  • 上記に近い感じだと、「文系は怠け者」とか。「勉強を嫌いな人」とか。そんなイメージがありそう。
  • しかし言うまでもなく、実態がそんなふうであるはずはないよねえ。という話がここから。
  • 前回も書いたように、基本的には「文系」というのは「いわゆる理系以外はぜーんぶ」みたいに扱われているとぼくは感じている。
  • しかしそれを前提としてしまうとさすがに話を進めづらいので、ここでは古文書などを読み解く歴史家を例として考えてみたい。
  • 江戸時代とか室町時代とかを専門とする研究者がいたとして、その人は一応、普通に考えたら「文系」だと思う。
  • 現代において様々な過去の出来事がわかるのは、そういう人たちが頑張っているからで、だから「文系は怠け者」とか「無能力」みたいな指摘はこの時点ですでにあたらない。
  • また、歴史を扱う論文や学会などでは当然、「このデータとこのデータが揃ったら、まあ結論は誰が考えてもそうなりますわね」という、いわば再現性のある結論に対して皆が合意するはずだから*2、その意味では「いわゆる理系」がそうであるように、文系にもまた論理性や科学性というのは普通に宿る。
  • 翻って、「いわゆる理系」の道を歩む人の中にもまた、「怠け者」や、あまりその分野には向いていない(つまり周りからは無能力だと思われてしまう)人もいるはずで、そういう特徴が文系だけに認められるとは考えづらい。
  • そしてそこから言えるのは、結局のところ「文系・理系」というのは、大学の学部とか進路をざっくり分けるためのものとしてはそれなりに有用かもしれないものの、少なくとも人間の有能・無能を分ける観点にはならないだろう、ということ。
  • いわゆる文系にもいわゆる理系にも、それぞれちゃんとやってる人もいれば怠けてる人もいるだろう、文系だからどうとか理系だからどうとかはないだろう普通。という、書いてみるとそりゃそうだ、としか言えない話になってしまうのだが。
  • ただし、それでも算数的な「計算」というのはなかなか体力や経験を要するもので、なおかつ「算数が得意/苦手」というのはそれぞれの人生を大きく分けかねない要素であるようにも見えるので、その辺が上記のような「文系dis」につながる要因になってるのかな……という気もするが。
  • そして、ここで不意に出てくるのが「体育会系」と「文系・理系」との関わりである。
    • 前回は文脈上「体育系」と書いたのだけど、一般的には「体育会系」の方が使われがちな言葉だと思えるので以下ではそうする。
  • 体育会系というのは、どうも「頭では何も考えてない人たち」のように使われがちの言葉だが、実際には前回提示した「楽器の練習」などの喩えからもわかるように、「算数」や「計算」をはじめとする「学習」というのはどれも非常に体力を使うものである。
  • よくマンガでもTVでも、いまだに「勉強のできる子(=ガリ勉・秀才)は体育ができない、体力がない」みたいに描かれがちだが、実際は勉強するにはめちゃくちゃ体力や忍耐力が必要なので、本当に勉強をやっている人はスポーツ系の部活動をやっている人たちと同じような肉体的努力を普段からやっている。
  • それがわかったのはぼく自身が最近になっていろいろ資格などの勉強をしているからで、言い換えるとまあ、ぼくはこれまで全然勉強しない「怠け者」であり続けていたわけだ。
  • その怠け者だった自分がちょこちょこと勉強を始めて思ったのが、「勉強って、こんなに疲れるのか!」ということで、これも前回少し書いたが、それまで知らなかった知識や考え方を覚えようとすると、とにかくすぐに眠くなる。
  • 一瞬話がズレるが、よく中高生が授業中に眠ってしまうが(いや、自分は大学でもよく講義中に寝ていたが)、あれは怠けているとか、勉強を軽んじているとか、ましてや先生を馬鹿にしているとかではなくて、「勉強しようとしているからこそ猛烈な眠気に襲われている」のかもしれない、とそのとき初めて思い当たった。
  • 話を戻すと、だから「体育会系」というのは少なくとも「理系に対置する」ものではなく、また「文系に包含される」ものでもなく、理系でも文系でも一生懸命勉強なり研究なり仕事なりしている人は体育会系的であり、やってない人は怠け者である。
    • 単純に「怠け者=悪」と言いたいわけでもないのだけど。
  • さらにここでもう一つ、「芸術系」というのも並べて挙げておきたい。
  • 芸術系というのは、くり返し述べているように美大の油絵科に入ったぼくなどはまさにそれと言えるだろう。
  • あるいは、ミュージシャンを目指してバイトで食いつないでいる人とか。
  • またあるいは、マンガ家、小説家、俳優、アイドル、ダンサー、映画監督……そういった表現者の人たちもそう言えるか。
  • こういう人たちはどうなのかというと、やはり芸術系だからといって皆が皆一生懸命なわけでもなければ、逆に皆が怠けてるわけでもなく、ちゃんとやってる人もいればテキトウな人もいるはずである。
  • まあ内容が内容だけに、「一生懸命やってれば夢は必ず叶う」とも限らないのがつらいところだが(何が当たるかわからないというか)、ここでもまた、結局「〜系だからマジメ/不真面目」とは言えないということ。
  • ついでに言うと、上では歴史の研究者を文系の例として挙げたが、では税理士や建築家は何系だろうか? 彼らは様々な数字や公式を使うように思えるが、理系だろうか? 漁師はどうか? 消防士は? 靴職人は? ……とまあ、文系にも理系にも当てはまらない人々は世界にずいぶん多くいるように見える。
  • つまり、前回の話の続きとしてここまでは言っておきたかった、というのは、「文系・理系で分けられる対象なんて世界のほんの一部に過ぎなくて、分けて意味がある観点といったら『ちゃんとやってるか/やってないか』とかじゃないの?」みたいなことだった。
  • とりあえずそこまで話が辿りついたので終わろうと思ったが、今読み返したらちょっと言い足りてないところがあるな、と思ったのでそれを書いて終わる。
  • 少し前に以下のような話題があって。

www.nikkei.com

  • ここで試みられていることは明らかに「理系」に分類されるはずだが、STAP論文がそうであったように、この研究成果を科学的とは言いがたい。
  • 一方、研究リーダーをはじめ当事者の人たちがこの研究をテキトウにやったとか、努力をしなかったのかと言えばそんなことはないだろう。
  • 何を言いたいのかというと、上では「ちゃんとやったか/やってないか」の方が(「文系/理系」の分類より)大事、と言ったわけだけど、それは「一生懸命頑張ったか/頑張ってないか」とイコールではないということ。
  • この内閣府のプログラムでは本来「科学」が求められていたのであり、「実現性はわからないが夢のある話」が求められていたわけではないのだから、どれだけ一生懸命やったとしてもこの内容だとちょっとまずい。
  • 逆の例としては、たとえば映画のラストシーンで、誰もが「この展開でこう来たら……ラストはああなるよな、普通……」と予想していたら本当にそうなった! みたいな展開だと芸術系のプロとしてちょっとまずい。
  • TVの時代劇とか吉本新喜劇のように、予定調和の面白さ(と、それでもわずかに生じるズレ)を味わうものならそれでもいいかもしれないが、「見たことのないものを見たい、体験したい」と思っている受け手に対して、想像通りのオチを渡してしまうのは逆に期待を裏切っている。
  • ここでもまた、「努力したからいいってもんじゃない」という状況は生じる。
  • つまり、上で言った「大事なのは『ちゃんとやってるか/やってないか』」というそれは、単なる努力の総量ではなくて、そのとき必要とされていることに向かってどれだけの力を尽くせたか、みたいなことを指している。

*1:厳密には、「人々が文系という言葉でイメージしているのはそういう状況なのではないか」と書いたのだけど。

*2:少なくとも方針としては。実態は知らない。

文系について

  • 以前からつらつら考えていたものの、あまりまとまらないのでまとまらないまま列記していく。
  • Twitterなどを見ていると、「文系」や「理系」といった言葉を使った話題が少なくない。
  • それはそれで面白いのだけど、どうも人によって「文系・理系」が指し示すもの、つまりそれらの定義がバラバラだったり、曖昧だったり、曖昧なままバラバラだったりしているように見える。
  • 定義が異なるまま話していると、意見が対立しているようでも実は定義を揃えたら同意見になってしまったり、その逆に見解一致していると思ったら前提が真逆だったり、そういうことが起こりうるので効率が悪い。
  • といっても、ここでやりたいのはそれらを再定義する、ということではない。
  • また、それらの言葉の起源を辿りたいわけではない。そういう関心はない。
  • ここでやりたいのは、人々が「文系」「理系」というときに、頭の中で思い描いているものは何か? ということを知ること、または仮想することである。
  • 上記のように、それらは時によってバラバラだったりするようだけど、それでも共通する「文系ってこんな感じ」というイメージがあるはずで、それを最大公約数的に、「ここからここまではけっこう共通するよね」と取り出したい。
  • それによって、上では「そういうことはやらない」と言ったものの、結果的にはそれらの言葉の再定義(の提案)みたいな感じにはなるかもしれないが、目的はそれよりも、「前提を揃えるヒント」になればという事にある。
  • まず文系・理系という切り分けについてだが、その不毛さというか無意味さみたいなことについては、もう何年も前に東浩紀さんがTwitterで言っていた気がする。
  • わざわざ検索とかはしないが、当時それをリアルタイムで見て、「なるほどな〜、たしかにそうだな」と思ったような記憶がある。
  • しかし、一部の識者が「そんなのは無意味」といったところで、人々は今なお飽きることなくそうしたカテゴライズを続けているように見える。
  • これは単純に、現行の高校や大学といった進学先がそのようにカテゴライズされ続けているせいかもしれないが、そうであるなら、まだしばらくこの先も、そういった用語が飛び交うこと自体は避けられないように思える。
  • ではあらためて、多くの人々は「文系・理系」といった言葉を使うときにどんなイメージを持っているのか?
  • まず理系について。これは単純に小学校で教わる「理科」の延長にあるものがひとつ、すぐに浮かぶだろう。STAP事件で話題になった理化学研究所でやってそうなこと、とか。
    • その他だと機械工学的なことも理系かな、という気が個人的にはする。電子工作とか。2進数とか使うようなやつ。
    • その流れでロボットを作るのとかも理系っぽい。たぶん。
    • AIとか機械学習とかも。あと宇宙的なやつ。ロケット飛ばしたり。
    • あとは数学? これも少なくとも「文系」という気はしない。
  • じゃあその逆に、「文系」ってなんだろうか。
    • わかりやすいところでは、これも小学校で言う「国語」の延長は少なくともそれだろう。
    • 文学部。英文科。この辺は文系か。
    • あと上記の理系と全然関係なさそうなところで歴史とか哲学とか。
    • その他だとちょっと微妙なのが経済学。これは一般的には文系かもしれないが、実際にはめちゃくちゃ数字や公式などを使う気がするので、個人的には文系には入れづらい気がしている。
    • それからいわゆる体育系、芸術系はどうだろうか?
    • 思うに、普通の人は(ぼくも含めて)その辺も全部まとめて「文系」に含めてしまっている気がする。
  • で、ここまでの話を踏まえて思うのは、「とりあえず理科や数学っぽくないやつはぜーんぶ文系ね!」みたいな雑なカテゴライズが人々の中にはあるのではないか、ということだ。
  • 「いや、そんなことないよ、俺はもっと厳密に分類して議論しているし、皆もそうだよ、キミが知らないだけだよ」という意見もあるかもしれないのだけど、ぼくから見ると世間はその程度の雑な前提で話しているように見えるということ。
  • そして文系・理系といった言葉を用いた議論を見てとくに気になるのは、「文系」というのがある種の蔑称として使われているように感じられることだ。
  • 「あいつは文系だから」と言えばその人を悪く言っているように聞こえるし、「私は文系なので……」といえば自分を卑下しているように聞こえる。
  • と同時に、それは必ずしもいわれのないことでもないと思えて、先日基本情報技術者試験というのを受けてきたのだけど(0.5点足りなくて落ちた)、これの勉強がむちゃくちゃ大変で、とにかく計算問題などの、上記で言うところの「理系的」な問題の理解するために多くの時間を費やしてしまい、こんなのを「基本」とかいってスラスラ解ける人たちはすごいな! と心底思った。
  • 頭の出来が違うというより、もう頭の筋力というか、頭の体力がまったく違う。ぼくの場合はちょっと考えるとすぐ眠くなってしまい、あるいは出来てもすごく時間がかかってしまうので、その都度そういうのが普通にできる(ように勉強してなった)人たちとの大きな差を感じたものだった。
  • そしてそのとき、ぼくはこれまで自分を「文系」だと思ったことはあまりなかったのだけど、つくづく「完全に文系」だったと痛感した。とにかく「計算」ができない。できても猛烈に時間がかかる。そういう筋力が育っていなくて、育てるにはこれから多くの時間と力を費やさなくてはならない。そういう場所にいる。
  • と同時に、その「完全に文系」だと自分で思ったときの「文系」とはそもそもどういう意味で言ってるんだ? と自問したのがこの記事の発端にもなっている。ぼくはどういう意味で自分を「文系」だと思ったのか。
  • それは端的に言うと、上記のような「(数学的)計算」がとにかくできないということ。
  • これをもう少し抽象化して(汎用性を持たせて)言うと、「客観的な事実やデータにもとづいて論理を組み立てることができない」ということであるように思えた。
  • 「論理」と言っても、たとえば今書いているような文章は、自分の中ではそれなりに整合性がつくよう論理的に考えているつもりなのだけど、そういう意味での論理ではなく、重点は「客観的な事実やデータにもとづいて」という方にある。
  • それは逆の視点から言い換えるなら、「非・理系」つまり「文系」というのは、「客観的な事実やデータにもとづかずになんかやる」ということになる。
  • それをさらにまたシンプルに言い換えると、「文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う」ということになる。
  • べつに特定の誰かがそうだ、という話ではない。ぼく自身の中にある「文系」のイメージを極限まで煮詰めて抽出するとそういう表現になる、ということ。
  • 「経験にもとづく」のなら過去の事実を元にしているのだから客観的では? という気もするが、ここで言うのは「自分の経験」なので、それは自分の中だけで成立している、自分がこうだと思い込んでいる過去にすぎず、客観的とは言いづらい。
  • そこで上にちらっと挙げた芸術系の話に繋がるのだけど、ぼくは美大の油絵科を出たので、それはもう「想像と経験」のカタマリのような日々だった。
  • もちろん世の中には客観的な数値やデータにもとづいて制作を行う画家もいるかもしれないが、ぼくはそうではなかったということ。とくに明確な根拠や裏付けもなく、頭で想像したことを外部に表現というか実現しようとしていた。
  • そして思うに、世の中で「文系」と言われているものも基本的にはそのような人、つまりこれといった根拠も過去の事実もデータもなく、頭の中の想像と勝手な経験則だけをもとに強引な主張を行う……そういった傾向にある人を文系と呼んでいるのではないだろうか。
  • そういう人がいいとか悪いとかいう話ではなく(まあ良くはないが)、「どうやら少なからぬ人々は文系という言葉からそういった傾向をイメージしているらしい」という、共通のイメージを前提に置くことができれば、そうした言葉を使った議論も多少は効率的に行っていけるのではないか、ということ。

Mediumの使い方

Twitter共同創業者であるところのエヴァン・ウィリアムズによるブログサービスMediumについて。

サービスの開始後間もなく使い始めたけど、実際には新たなブログを作る必要などなくて、だから「書きたいことがあるから」ということではなく、「そのサービスを使ってみたいから」という理由で場所を作ったのだった。

medium.com

ちなみにこのアイコン(↑)は2008年春頃に撮ったものなので(9年前)なんとかする必要がある。

Mediumにはその後、ふと思いついた寓話的な、というか喩え話のちょっと長めになったようなやつをメモ的に書くようになった。べつにこっちに書いてもよかったのだけど、ちょうどそのぐらいの分量のものを書きやすい、という感じがあったので。

しかし最近の話題では、Mediumもなかなか運営というか収益を上げるのが大変そうで、あまり長く使えるものではないのかなあ、という印象が徐々に高まりつつもある。

www.businessinsider.jp

一方でしかし、Mediumというのは使えば使うほど、他にはないライティング体験をできる場だとも感じられるプロダクトで、競合がない以上はもうしばらく続いてほしいなあ、という気もする。

それに元々、僕自身はMediumを主なブログ発信場所にする(乗り換える)というつもりもなかったので、今後も必要に応じて使えたらそれでいいか、と思っている。

万一閉鎖されることになっても、さすがに彼らの技術力であれば、そこそこきちんとしたフォーマットでデータをエクスポートできるようにもしてくれるだろう。(そのときには、たぶんこのブログに統合する)

Mediumはどうも運営側からすると、「良質な長文」を発表する場として使ってほしい、みたいなところがありそうなのだけど、海外ではどうなのかわからないが、日本のユーザーでわざわざ「良質な長文」を書くような人というのは、今なら「note」とか「カクヨム」みたいなところ*1に書いて、直接的な収益につなげようとするか、そうでなければ自分でWordPressなどを構築するか、あるいはこのはてなブログを含む、ある種昔ながらのブログサービスでまったり更新しそうというか、少なくとも今後どうなるかわからないような海外サービスに手を出すというのは、あまり一般的ではないように思える。

それよりは、まさにMediumという名前が示すような、ブログとTwitterの間に位置するような、「そんながっつり書きたいわけでもないんだけど、Twitterの140字にも収まらないし連投もしたくない」という場合に使う選択肢としてちょうどいいんじゃないか、と思っている。

そういう、ライトなブログ(または長めのTwitter)というポジションで、何らかいい感じの使い方というか、モデルを示してくれたら、なにか新たな道が生まれやすくなるのでは、とは思っているのだけど。

それで思い出したけど、Tumblrもその辺のミスマッチというか、サービス提供者の考える使い方と、ユーザーの望む使い方があまりマッチしていないような印象がある。サービスの開始後しばらくはそんな雰囲気はなかったが、最近は単純に、Tumblrを使った読みづらいサイトというのが目に入りやすくなっている気がする。(自分の観測範囲だけかもしれないが)

いずれにせよ、とりあえず来年の今頃(あるいは数ヶ月後?)にMediumがどうなっているか、この記事を読み返しながら状況を突き合わせてみたい。

*1:noteもカクヨムもどういうサービスなのかよく知らないのだけど。大体で書いている。

Theピーズのマイベスト10曲

1/8に10年以上ぶり(たぶん)のライブ、かつ人生初のピーズのライブを見に行ってから、

note103.hatenablog.com

その後もなかなかピーズ熱が収まらないでいたら、Apple Musicでピーズの曲が聴けると聞いて、

同サービスは以前に使って「使いづら・・」と思って使用ストップしていたのだけど、これまで使っていたサブスクリプションサービスのSpotifyの方にピーズがなさそうなので、しばらく乗り換えてみることにした。

ちなみに音楽サブスクリプションサービスについては以下に少し書いたことがある。
Spotify無料プランの感想 - 103

で、持っていなかった『マスカキザル』や『トドメをハデにくれ』などを中心に聴いていたら「やっぱり曲いいなあ」といろいろ思い出したので、そのまますぐ頭に浮かんだ順にベスト10曲を選んでみた。

この際、わざわざアルバムの収録曲とかは見返さず、また聴き返しもせず、ただ本当に頭に浮かんだ順に挙げた。

あとこういう場合、カウントダウン方式にするのが定石な気もするけど、リストを考えるときには1位から順に考えたので、普通にその順(好きだと思った順)に書いていく。

すぐに聴けるようにYouTubeを貼っているけど、オフィシャルなものはないようなので、いつ消えてしまうかわからない。
AmazoniTunesストアで買える収録アルバムのリンクを動画の下に貼っているので、フルで正規録音を聴きたい場合にはそちらからどうぞ。

ちなみに、最初は1曲ごとにコメントを付そうかとも思ったけど、大変な労力になりそうだったので、やめておいた。

2. そばにいたい

youtu.be

グレイテスト・ヒッツ Vol.2

グレイテスト・ヒッツ Vol.2

3. シニタイヤツハシネ

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とどめをハデにくれ

とどめをハデにくれ

トドメをハデにくれ by thepees on Apple Music

4. 線香花火大会

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リハビリ中断

リハビリ中断

The ピーズの「リハビリ中断」を iTunes で

5. 日が暮れても彼女と歩いてた

www.youtube.com
トドメをハデにくれ by thepees on Apple Music

6. 君は僕が好きかい

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クズんなってGO

クズんなってGO

クズんなってGO by thepees on Apple Music

7. どっかにいこー

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マスカキザル

マスカキザル

マスカキザル by thepees on Apple Music

8. ヒッピー

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The ピーズ

The ピーズ

The ピーズの「The ピーズ」を iTunes で

9. 絵描き

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アルキネマ

アルキネマ

Arukinema by thepees on Apple Music

10. バカになったのに

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グレイテスト・ヒッツ Vol.1

グレイテスト・ヒッツ Vol.1

次点

  • 今度は俺らの番さ
  • このままでいよう
  • バイブレータ
  • ブリロー
  • 世紀末のうた
  • とりあえずここはいい気持ち

ジャケット(Amazonへのリンク)を貼って気づいたけど、たまたまながらかなりアルバムがバラけた。
つくづくキャリア全体を通して名曲を歌ってきたんだなあ、と感じる。
(次点には初めて買った『グレイテスト・ヒッツ vol.2』からの曲が多いが)

そして『アンチグライダー』以降はちゃんと聴いてなかったなあ、とも。
この機会に追いかけてみたい。

アンチグライダー

アンチグライダー

赤羽39

赤羽39

後者に収録されている「焼きめし」、めっちゃカッコイイ。

そしてピーズは来たる6/9に武道館公演。興味を持った人はぜひどうぞ。
thepees30th.com

先行予約の抽選を以下で1/25の23時までやってるみたいです。
http://ticket.pia.jp/pia/ticketInformation.do?lotRlsCd=29129

Theピーズ ベスト10(2017/01/15)