103

食べるよりも楽しいこと

仕事

そこそこの忙しさ。午後の一部と通常業務後の残業を費やして、編集作業をキリの良いところまで一気に終わらせた。成果は出たし、達成感もあったが、通常業務の最後の振り返りで「もっと頑張ってほしい」みたいなことを突然メンバーの一人から言われ、困惑した。・・ええ?入社してから何年か経つが、こんなことをメンバーから言われたのは初めてだった。しかもこれまでそんなふうに思われている兆しはまったく感じていなかったので、余計に驚いた。メンバー間のコミュニケーションにはそれなりに気を配っているつもりだったけど、見えていないことが多かったのだろう。長い氷河期が始まりそうだ。

昼ごはんはコンビニでチャーハン弁当的なもの。ものすごくしょっぱい。本当は近所の馴染みの中華屋で持ち帰りをしたかったのだけど、時間が合わなかったので。しかしチャーハン欲はある程度満たせた。安いし。

サブスク

このところ、立て続けにいくつかサブスク登録をした。

note.com

www.asahi.com

www.youtube.com

ばるぼらさんのnoteは開始当初から2年ぐらい購読していたんだけど、読むのが追いつかなくなってしばらくやめていた。のだけど、知り合いの編集者がよくシェアしているのを見て、また再開してみようと思った。

朝日新聞のは月額980円のもので、インタビューものなどの政治ネタ以外には良いものが多いので。政治ネタは親自民党的なものが多くて反吐が出るが。

ポリタスは数ヶ月前からだけど、これもサブスク開始当初から(Vimeoの頃から)購読していたのをやめたり再開したりしていて、また再開したところ。

いずれも「お金払っているけどほとんど見ないな」と思ったら気軽にやめて、見たくなったらまた再開、という感じ。とくに朝日新聞は暇つぶし的に読めるものが多くて(シビアなネタでも)、これはアプリがそのようにできているからなのかもしれないが、以前よりだいぶ印象が良い。プラス千円出すと「あとで読む」ができそうだが、それだけのためにプラス千円か・・むしろできて当たり前であってほしいが・・などと思って食指が動かない。外部のブックマークアプリ(Pocketとか)には連携できるので、ひとまずそれでお茶を濁している。

酒量を減らす取り組みをしている。以前はわざわざ計量カップに入れてからグラスに注いだりもしていた。涙ぐましい。しかし今はそのときよりも飲んでいないと思う。アルコール度数もいろいろ比べて少ないものを選んだり。しかしそれをしながら、なんだかタール1ミリの煙草を吸っている人のようだと思ったりもする。悲しげなイメージとともに。1ミリならもう吸うなや、と思っていた。20代ぐらいの頃。しかし煙草は、あの体から(というか口から)リアルな煙が出てくるのが良いのだと思う(たぶん)。あれをできるなら1ミリだろうが0.1ミリだろうが構わない、という気にはなる。でも、0ミリでは駄目なのだろうな。ほんの少しでも体に悪い必要がある。それはきっとアルコールでも同じなのだ。

夕飯時に、どれだけ度数が低くてもアルコールがあってほしいと思うのは、それに代わる楽しみというか、自分を満たすものがないということなのだろうか。時々、夕方にプロテインを飲んで夕飯時に食欲がないときなどは、アルコールをやめて食事だけ取ったりもするが、そう考えると単に食欲があるからアルコールを求めているだけ、という気もしてくる。

30代に入るまではずっと肥満型だったが、いつしかダイエットをしようなどと思わなくても自然に適量の食事で標準体型(どころか痩せ型)になっていた。以後、ダイエットの苦しみや焦りみたいなものはまったくなくなった。それは50代が近づいてきた今でもそう。なぜそんなふうになったのかといったら、結局のところ「食べること」がストレス解消の手段ではなくなったというか、「食べる」以外のことでストレスを解消できるようになったというか、食べる以外の楽しみを得られたから、ということなのだと思っている。では何が「食べる」以上の楽しみでありストレス解消法になったのか、と言ったらよくわからないのだが、それをあらためてきちんと考えてみるべきなのかもしれない。それを言い当てようとしたことがなかった。

なお、ここで言う「食べること」とは、「おいしいものを食べる楽しみ」みたいなことではなくて、あくまで「ストレス解消のための食」で、言い換えると「暴飲暴食」みたいなこと。