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京都と人生のCM

先週土曜から今週火曜まで、京都に行っていた。その感想というかレポートをずっとブログに書いていたのがようやくできて、公開した。

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なにしろ時間がかかったが、後回しにしていたらもっと時間がかかっただろうから、これが最短だったと思う。後回しにすると、どんどん新しい記憶で頭の中が上書きされていくので、すぐ書けば数秒で描写できた出来事を書くのにその何倍も時間がかかり、なおかつ精神的にもキツくなっていく。最も少ないエネルギーで感想を書くには、すぐに書いてしまうのが一番である。

京都はのんびりしているところで、鴨川沿いののんびり具合には感動してしまった。鴨川には排除ベンチがない。排除ベンチとは、ホームレスが寝っ転がれないように奇妙な肘掛けや柵なんかをベンチの途中に設けている「人が座ることを拒否するベンチ」のことだ。東京でそれを見つけるのはたやすいが、京都市ではそれを一度も見かけなかった。

何もせず、ただぼんやりするだけという事から遠く離れていたな、と初めて気づいた。なんというか、録画した番組を見る時に、CMを飛ばしながら見るような生活を何年も続けていた。あるいはネトフリなんかで連続ドラマを見る時に、オープニングをスキップしながら本編だけを見続けている感じ。それは果たして本当に効率的で、それは本当に自分が見たかったものだったのだろうか。鴨川でテイクアウトのコーヒーをすすってはあんパンをかじりながら、自分は久しぶりに人生のCMをゆったり味わっている気分になった。息ぬき。周りの目を気にせず、緊張感から離れ、何も生み出さなくて良い、何の価値の提供も求められていない、何も吸収する必要がない時間。CMを飛ばして何を得たかったのか、オープニングをスキップして何を手に入れたかったのか。本編だけをダイレクトに順列につなぎ続けて、そんなにも早くたどり着きたかった「ゴール」とはなんだったのか。そんなことをふと考えた。

鴨川沿いの土手から見た風景。穏やかな川、対岸には数人の若者。その向こうにはどこまでも広がる青空。
鴨川沿いの土手から