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断片的な語り部

仕事

有休のメンバーがいて薄めの体制。なかなか大変な問い合わせもありどうなるかと思ったが、案外サクーっと済んだ。同僚に凄腕の人がいて、だいたいその人に頼ってしまった感じもあるが。

明日は入れ違いのように自分が有休。

仕事はなんだかここ数ヶ月でさらにスキルアップできている気がする。同じことしかしていないのに、立っている場所が自動的に変わってしまっている感じ。いろんなものが自然に見通せている。高い場所から深い場所まで。あるいは近くから遠くまで。以前は気づかなかったことに自然に気づけている。不思議だ。

自分は物事に慣れるまですごく時間がかかる。しかし慣れると、それなりの力を発揮できる。ようやく慣れてきたのか?という気も。あるいは別の理由かもしれないが。

筋肉痛

今日には随分収まっている、という見込みだったが、全然だった。とにかくしゃがむときに内転筋がすごいことになる。歩いているときも昨日とかほどではないが、ちょっとたどたどしい感じ。金曜でもまだ痛い気がする。

schola

最近の日記、私事が立て込んでいるのもあって公開できるネタが少ないな・・と思っていたが、scholaを作っていたときのことで、共有できていないことが沢山あるよな・・とふと思った。このまま自分が死んだら、誰もその役割を果たさないであろうこと。べつに本を書いたり作品として残したり、ということを考えているわけではないが、何らかのかたちで残しておくべきなのではないか、と思えることが多少なりある。そういうのを、もし思い出せたらそのつどパッと書いておく、とかでもいいのではないかと思ったのだった。

前にも書いたかもしれないが、15巻を出すちょっと前だったか、坂本さんや小沼さんと話しているときに、そういうメイキング的なものを本にでもまとめたらいいのでは、という話があって、scholaはもともと30巻の予定だったから、そのちょうど半分の15巻が出るあたりでそういうのをやったらみたいな、もちろんそんな本格的な企画みたいなことではなく、なんとなしの話の流れでそういう話題が出たこともあった。

その時は「そうですね〜・・」と、嬉しい話だと思いつつほんわか相槌を打っていたが、実際には「でも大変だろうなそれは」とも思っていて、何しろ普通に出していくだけでも年に1冊がギリギリなのだから、それに加えて「振り返り本」も書くなんてほとんど不可能だろう、という。それに、書くとなれば書くべきことは山のようにあるわけで、さらにはそれを思い出したり記憶を裏付ける資料をまとめたりするのもまた大変な時間がかかるだろうし、という。

しかしそれでも、自分にしか扱えないものというのもあるのは確かで、たとえば5巻で細野さんと幸宏さんがそれぞれどんな希望リストを挙げていたのか、とかその話し合いの資料としてどんなものが持ち上がっていたかとか、第1希望の何という曲はなぜ収録されなかったのか、とかそういう話はその場でフリーランスとしてそれらの話を取りまとめていた自分ぐらいしかまともには記録も記憶もしていないはず。言ってみれば語り部的な役割というか、それをできる能力があるからこその語り部なのではなく、たまたまその場にいただけという、結果的にそれをできるのが自分しかいない的な意味での語り部というか。その意味で、これはひとつの責任なのではないか、やりたいとかやりたくないとか、気が乗るとか乗らないとかに関係なくやらざるをえないことなのではないか・・みたいなことは時々思う。自分が公にしなかったらこのまま地の底に沈み込んでいくだけで、後世の誰もそれを知らないままになってしまうだろうという。

しかしそれ、何度も書くが本当にやろうと思ったらどれだけ大変なことになるか。実現したかったら、3〜5年ぐらいは他に何もしないでそればっかりやってるみたいな環境がなければ無理だろうとも思う。だからというか、今できることがあるとすれば、何かそういうのを思い出すたびに部分的にパッとどこかに書いていく、断片的なものをひとまずはただ残していく、ということぐらいなのではないかとも思う。