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ミクシの石川實(いしかわ・みのる)コミュ。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=424412
いつスタートしたのだったか、石川さんの情報というのが、まあ今もそうだけどそれにも増して全然ない頃で、せめて知ってる人同士で情報交換しようよ、どんな番組に出るとか、どんなイベントの司会をするとかさ、そういうのを共有しようよ、みたいな気持もありコミュを立ち上げたのだけど(実際にはそのすこし前から別の石川コミュが存在していたのだが、僕が設置する際に事前に探したときにはそのコミュ名が僕の念頭に置いていたのと微妙に違って検索にひっかからなかったのと、あとからそれに気づいたときにはすでに僕の設置した方にメンバーが随分多かったので結局パラレルで運営することにした、という事もあったのですが、ともあれ僕がコミュを設置したその時点においても)、そのときはまだ石川さんにはいわゆるレギュラーみたいな番組がなく、というよりちょうどその頃までFM富士で素晴らしい番組をやっていたんだけどそれが終わってしまったところだったりして、石川さんを好きな人はみんな好きなのに彼の情報にアクセスする方法がどこにもない、ただネットとかで「いま何してんだろ?」とか「すきだー」とか言うことしか本当にできなかった。
ので、上述のように仲間を探したりしたのだが、幸運にもその後、石川さんはインターFMとかJ-WAVEとかあるいはついこのあいだまでTOKYO FMで朝の帯番組『SKY』を担当されたりしていて、まあ帯なんて始められた際にはついに俺も意識が飛んで妄想みたか、というほど信じられなかったし喜んだ。
とはいえ朝の5時から8時という時間帯でプログラムのすべてを追って聴いていたのは最初の2週間ぐらい、あとは「ああ、石川さんもがんばってるなー」と併走するような、または自分とは別の競技にひた走るアスリートを見るように意識していたのだが、その帯番組もつい数日前に終わりを迎え、気がつくと最初は2、3人だったコミュ(って当たり前だが)も今は400人を越している。さっき見たら409人。
409人が多いのかは知らないけど少なくはないだろう。アクティブユーザーというかいつも閲覧しているのがその2割ぐらいだったとしても(無根拠だが)80人がそれを見たり書いたりしているわけだ。(だから無根拠だが)
その80人のコミュの中でいま一番盛り上がっているのが、上記の『SKY』番組終了に関するトピックで、とくに勢いがあるのは「番組の復活を願う!」みたいな「スタッフさんにそうお願いしました」的なそれである。
それはもちろん、良いと思う。願ってもよし、叶ってもよし。でもな、と思う。でも一年半、聴けたじゃないか。いや聴けなかったとしても(オレ聴かなかったし)、その番組が放送されたという事実には失われえない価値があるじゃないか。そのうちサクッと消えるかもしれないけど、毎回番組放送後に石川さんが記していたブログもまだ見れる。
http://www.tfm.co.jp/sky/ishikawa/
もしこのブログが消されちゃったら、僕にしても「いや、そんなすぐ消すことないのでは。とりあえずもう少し残しておいてくれないか」とか、思うよ。無限ではないけどそんなに会社さんに負荷のかかることじゃないのでは、とか勝手に想像しながらさ。
しかし番組の復活? それって、完全にその会社さんというか他人が、自分以外の誰かが少なからぬ負荷を背負ったり動いたりしなければ成立しない目標だ。それってヤバい。それを願う? ああ、ヤバいよヤバいよ(ほり)、そんなことを求めるなよ、と僕は思う。そしてふと、そんなことを求めるなよ、とそのコミュの人たちに求めてるのかオレ。とも考える。そうかも。いや、これ提言。べつに誰かに言うこと聞いてほしいわけじゃない。こういう選択肢も、しかしあるぜ、という話。そういう風に思念が一極集中するのヤバいって、と言っている。ましてや誰かに何かを「やって」とお願いしといてその相手が「できません」と言ったときの「なんでだよ!」とかなりそうな構造ってダメ、ぜったい。
そういうこと、石川さんはきわめて慎重にしつこく厳しくやわらかく、だめだよ、って言ってきたのではなかったか。いや、番組復活を願ったり行動したりするのがダメだとここで話しているのではなくて、言われた誰か(求められた誰か)が動かなきゃ成立しないような目標は目標として未熟なんじゃないかって話。赤ん坊が「おなかすいた!」と泣く。構造的にはそれと地つづきなんじゃないかな。自分はどうだ? 自分にできることは、他人を動かすことなのか? 自分にできることは、自分を動かすことじゃないのか。それならできるだろう。できるから上手くいくんだよ(ぱくり)。他人が自分の思う通りに動いて成功、なんてそんな目的、ちゃちで子どもっぽい迷惑な振る舞いだよ、という視点もほしい。そういう視点のあるところに住みたい。それでわざわざ水を差すような、空気も読まないこと書いてる。
空気なんか読むな、を略してもちろんKYである。空気なんか読むか、でも、空気は読まない、でもいい。ダメだよダメ、人間にはしょーもない下らない卑劣なところが沢山あるですよ。俺だけですか? そうかもしれない。でもダメだ。石川さんをある種「間違いのない尊い先輩」とか神様みたいな存在、みたいにしちゃまずい。いいところもある、すごくいいところもある、普通の人だという事実があってこそ、発言に重みも意味もついてくるんじゃないか、とかそう思う。そう考えろ、ということではなくて、そう考えることもできるという。だから、選択肢だ。
どのようにしてほしいとか、どのように考えるべきだ、とか言ってるのではまったくなくて、でもこのような選択肢も一応置いといてくれよ、とただそう言っている。番組の復活など願うわけがない。新しい活動をやってください。言うまでもなくやるでしょうけど。やってるでしょうけど。
番組復活を願う声の中には、新しい番組やナビゲーターは石川さんに比べるとどうとか、だから前のに戻してくれとかもあるわけですが、そしてそういう発言自体はまったくあって構わなくて、そう思うならビシバシ言ったらいいとも思うけど、でも石川さんだってそう言われてた。つまり今、新しい人がそう言われているように言われていた。SKYがはじまってすぐの頃、朝からあんな暑苦しい声を聞きたくない、とか、石川さんで検索したら普通に出てきた。前の方がよかった、戻せ、とか。でもそれから番組は一年半つづいた。SKYのことを書くブログが増えた。SKYが始まった時点で「戻せ」と言っていた人たちが今どう思っているかはわからないけど、少なくともそれまで石川さんを知らなかった、今は石川さんを好きだという人がそれまでの何十倍も増えたのは間違いないだろう。
なぜか。そりゃ、石川さん自身の力によるものでもあるが、でもそれだけじゃない、やはり何より番組自体があったからで、TOKYO FMが一年半も放送してくれたからで、それは当たり前のことでは全然ない。石川さんは前任者からその決して軽くはないバトンを「ほい」と手渡され、走るだけ走ってから次の人に渡したということだ。次の石川さんみたいな人がまた、新しい空気やファンやその人たちの生活や気持を作っていく。SKYがはじまったその時に、石川さんや番組に対して「前のに戻してほしい」と言った人たちのように、今度は僕らがそう言うのか? 僕は言いません。その行為が間違ってるから、ではなく(別に間違ってない)、時間がもったいないからだ。次にやることがある。次にくるものがある。石川さんは次のことをやるし、僕だってそう。(たぶん)
他人に何かを「やってよ」と頼み、それが聞き届けられなければ成立しないような目標、願いをもつのはやめないか。そういう提言。そうしろと言うのでも、そうすべきだと言うのでもない。そういう考え方もどうか、ということ。けっこうそれは、ラクで楽しくて広々として気持いいと思うんだけど、という提案。
自分の体、右手、左足、肩、口、目、なんでもいいですけど、自分の意志で動かせることってけっこうある。駅まで歩いて何分で行けるとか、自転車だったら何分だなとか、他人に頼まなくてもできることはそんなに少なくない。人生の目標。全部は無理だが、半分ぐらいまでは、いや3割、いや2割弱でもいい、自分で動いて進行できたらいいんじゃないか。
「番組の復活を希望しておきました」と彼は/彼女は言う。それが君の望みなのか。復活しました。あーよかった。嬉しい。また石川さんの声が聴ける。以前と、同じように? 何かを希望するのは良いことだろう。そりゃそうだ。またそれが、他人の動かなければ成立しない内容だっていいだろう。でもそれは、明らかに、逃れようもなく、他人が他人の時間と体を使って動いてくれた末に果たされた君の願いだ。いいのか、それで? 自分で出来ちゃった方が早くて楽しいことだってまた、あるのでは。
石川さんの声を毎日聴きたい。文章を読みたい。番組やってくれ! と言ってやってくれるのは誰だ? 君以外の誰かだ。じゃあ、それがダメならどうすれば? 簡単なことだ。自分が石川さんになったらいい。僕はなりませんけど、それに近いことはあるかもしれない。あとサンタになれ!

  • 島本和彦「サンタになれ!」(コメントは再生してから右下のトリの絵をクリックすると消せます)

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