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そうかな 小田和正の武道館ライブに行ってきました。素晴らしかった。
 小田さんの声は上手いとか綺麗とかいう次元を遥かに超えた「別」のどこかに立っていて、早い話が記憶を喚起する。聴き手は、というか少なくとも僕は、彼の日本で唯一人の(ということはつまり世界でも宇宙でも唯一の)声によって届けられるフレーズを一声一声パクパクと食べる。3分間ポップ・ミュージックは単品で並ぶアラカルト料理で、時々大皿の(長尺の)メインディッシュがやってくる。
 僕はこれまで小田和正の楽曲をあんまり本腰入れて聴いたことはないけれど(つまりCDを買ったり、それを一枚通して聴いたことはないけれど)、何が驚いたかって、総ての楽曲が良かったのだ。6時半から少し押して始まり、9時半頃までの正確ではないけど決して短くはないステージが、本当の本当に全然長く感じなかった。そりゃ、「あっという間だった」とまでは言えない。というか、もしあれだけやってお客に「あっという間だった」と言わせたらそれは或る意味「満足させられなかった」とも取れるかもしれなくて、何を言いたいかというと、しっかり満足させられてしまったという事だ。
 繰り返すけど、それだけの長い時間、次から次へと楽曲を投入していってその総てが良質というのは、もの凄いことなんじゃないだろうか。何せ僕はとくに彼のどこが好きとかいう所謂「ファン」ではなく、だから「逆にいい」とか、そんな良さを含めない、「全部良かった」なのである。「あれ?」と思う瞬間が一筋も現れない楽曲群。あるのか、そんなこと。あるのだ、そこには少なくとも。
 小田さんの歌の説得力は凄い。ここで言う説得力というのは、どんな内容の歌詞かとか、そういう事に関わりなく、聴き手を納得させてしまうような力と言ってもよい。というか、歌詞はといえばどれも非具体性に貫かれていて(「好き」とか「愛してる」とか「君が(どうこう)」とか)、聴き手はその巨大な空の器におのおのの記憶を盛り込んでは、自らを主人公とし得るそれを永遠に近く味わい返していくのだ(と思う)が、それを後押しする圧倒的な「風景を作り出すパワー」というのが、その歌(と、勿論演奏)にはある。この凄さは本当の話、CDだけではわからないと思う。昨日も書いたように、CDにはCDにしか出来ないことがあるのだからそれはそれでいいのだけれど、しかし小田さんの声が本当にあれだけ唯一無二であることを、果たしてCDからどれだけわかるものだろうか。思うのだけど、もし僕だったらCDから流れてくる声が美しければ美しいほど、「一体どんな加工処理をしたんだろう?」と疑うような気持が強まっていくのではないだろうか。でもそうじゃないんだ、本当の本当にあんななんだ、むしろステレオから流れる以上にクリアにダイレクトに胸を打つ(比喩ではなく、具体的に打つ!のだが)ものなんだ、という事がわかるのはやっぱりライブで、そういう種類の体験が出来て良かった。
 という事を書くと、「ライブの方が良い」って言ってるように聞こえてしまって反発を呼ぶかもしれないけれど、「ライブの方が良い」のはここでは本当にそうで、でも小田さんはあんましライブしないらしいし(伝聞情報)、聴き手一人一人の家まで行って歌ってくれるわけでもないのでその点やっぱりCDは必要だ。よかった!
 というここまでがとり急ぎの備忘録的感想で、実際にはその何倍ものいろんなことを考えたり享受したりしたので、そういうのは培養しながら今後にフィードバックできたらいいと思う。