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[岡田利規]

 チェルフィッチュの新作『目的地』公演は本日でひとまず終了。岡田さん、メンバーの皆さん、おつかれさまでした!ということで、もうネタバレ関係もいいだろうと少しだけ昨日の感想書きます。
 いきなり本論から書くと、これは多分第3回だけではなくて第2回の「大谷能生フランス革命」註釈論考にも沁みてくるであろう僕の現在の通奏低音的テーマになってしまっているのだが(そしてそれは、実は先に挙げた新潮11月号における大江健三郎インタビューとも深くリンクしているのだけれど)、僕はチェルフィッチュの芝居を見ながら「人生とは?」ということを考える。それはチェル(以降チェルにする)を語る際に挙げざるを得ない「言葉と身体」の関係とか「ダンスと演劇」の関係とかいったこととおそらく同列にありながら、でも僕は芝居を作る人間じゃないから更に別の場所へ敷衍しながらそのことを考えている。
 でも最初に断っておくと、「チェルの芝居を観ながら人生について考えた」からと言って、それが今回の『目的地』において触れられていたある種のテーマ、ないしストーリーと上滑りするように繋がっているのかといったら全く違って、ここで僕の言う「人生」というのは他でもない僕の人生であって、他の誰かに演繹使用できる概念のことではない。
 思うに、岡田さんがチェルの登場人物にダンスにも似たしぐさを指示するのは(それは厳密な振り付けではないという意味では指定というより指示なのだが、しかしかといって曖昧なものを目指しているわけではない、という意味では指示というより指定に近い気もする)、それが我々人間に生の喜びをもたらす糧となる「美しさ」を現出させるためなのだが(主観)、その経緯なり結果の一つであるところの本公演を観た後で僕が思うのは、「我々はどうして生きているのか」ということで、何でそんなことを考えるのかというと、面白くて美しいものを観てしまうと僕は「どうしてそんなものがある必要があるのか」ということしか考えられなくなるからで、それは多分僕だけじゃないんじゃないだろうか。といっても、昨日の公演中に関しては僕の頭の中は空っぽ、というか真っ白、というか銀色で、目の前で展開していく光景を目や鼻なんかからズルズルと体内に入れてはどこかからろ過するように出していただけで、考えることはその後にやっている。
 話を戻すと、頭の中で「我々はどうして生きているのか」なんてことを考え始めると、ひとまずの帰結として「それしか出来ないから」というちょっと消極的風な答えを用意することしか出来ないのだが、その問いが「では、この人(たとえばチェル)はどうしてそんなことをしているのか」となると、「それは、”使い果たす”ためだ」という、若干上がり気味の答えになる。思うに、今回の『目的地』公演を進めるにあたって、チェルはその「使い果たす」をかなり実直に行ったはずで、それは「実直に行っている私」を演出する方向とは真逆にある姿勢として、注意深く、と同時に果敢に行われたのだろうと思う。ちなみにここで言う「果敢」さ、というのはこれは結構わかりやすい意味なのだがそれは革命レポートの註釈に回すとする。
ユリイカ2005年7月号 特集=この小劇場を観よ! なぜ私たちはこんなにもよい芝居をするのか で、さっきも書いたように僕は公演を観ている間は何も考えていなかったのだけど、ひとつだけ考えていたのは岡田さんが『ユリイカ』の「この小劇場を観よ!」に寄せていた論考に書いていた”イメージ”(ないし”シニフィエ”)のあり方ということで、それは「語られる言葉、目に映るしぐさの後ろには、膨大な量の”イメージ”がある」といった話なのだが(主観)、ではそのイメージはこの目の前で行われている芝居の一体どの辺に位置して、またはどのように取り巻いているのかしら?ということを考えていた。それでその結論を言ってしまうと、実は初めの内、『ユリイカ』を読んですぐの頃の僕は、それ(イメージ)を「家の土台」のような、足元のものとしてあるのではないか、と想像してみていたのだが、そしてまたその想像は、「自分を形作っているのは、過去なんだよ」という簡易に捏造したテーゼを元にしたものなのだったが、芝居を観ているうちに「いや、それはこの照明のように、雲の上からシャワーのように降っているのではないか」と考えるようになった。なったのだが、今こうして書いている内に今度はまた、「いやいや、でも家の土台っていうのもやっぱり悪くない想像じゃないかな」と思い始めていて、さらには「過去が頭の上から降ってくるって想像も悪くないような気が」とも思い始めて、結局のところそれならそれは、全方位から取り囲みまたすり抜けるような形で、あたかも宇宙に流れるニュートリノのようにして体の中外を存在しているという想像ではどうか、と思ったけど、でもそれは「ニュートリノ」という言葉を使ってみたかっただけかもしれない。

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