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1002日記

1) 夕方からバイトだったので、午前中は大谷さんの革命レポート第2回の書き起こしをつつがなく進める。思うのだけど、最近とみに指の動きが速くなってきている。ブラインド・タッチとは言うけれど、本当にある意味見ない方が速いんじゃないかぐらいの。速いんじゃないかってぐらいの。
 午後に入って急に心身ともに疲労モードに入ったので、休憩。非常に暗い気分にさえなる。というか明日のペン大の準備(というか予習)がまるっきり出来ていないのと、もう開講まで1週間を切っているペソ大(自主ゼミ)の、実質初めての勉強会(前回はただの飲み会だったから)となるその内容の構想や、開講場所の確保やメンバー間の手配・段取りに関するエトセトラがいつしか雪だるま式にすげーープレッシャーになっている。吐きそうだ。でも我慢して寝ました、3時間。
 そんな時に思うのは、頼むから面白いアイディアとか浮かんでくれーーってことで、考えるだけでワクワクするようなイメージや未来を想いたいのだけどまったく出てこないこれが。出てくるもんかってぐらい素(す)なのだ。寝るということは寝るということでしかなくて、ひんわり腰が痛いのもただそのまま。呆れるほど爽快なブランニュー・スプラッシー・アイディアが浮かんだらどんなに清涼だろうかと思うけど何も起こらずじりじりと時を過ごすことしか出来ない。僕は岡崎京子の『リバーズ・エッジ』とか、市川準の『ノーライフ・キング』とか風間志織の『メロデ』とか涙が出るほど好きだけど、そういうのはこういう時には何の役にも立たないんだってことがちょっとわかる。何の役にも立たないんだ。
 そうしてようやく思うのは、それが時間を過ごすということなのだということで、もう2日もすればそんなジリジリしたことを考えていたということさえ忘れてる。『リバーズ・エッジ』も『メロデ』も、薬理的に使用されるのでは作られた方にも申し訳ないというか、薬理が悪いというのではないけれど、僕はそんな風にそれらを愛でたいわけではないという意味でもやはりそれらは使えない。それは時の流れのまにまにあった草の葉のようなもので、僕は歩いて或いは自転車で、ただ偶然通りかかった町の脇に咲くそれらを目にして「あー、いいねえ」とか思ったりするようにあとで出来る範囲において思い返したりしているだけだ。ここにあるのは同じように歩いたり乗ったりして時間を過ごしてただじりじりと3時間ほどたまに夢を見たりもした後に「あーそんなことしてたねー」とか言うことだけが出来るというそのことだけで、しかもそれは決して悪いことではない。

2) グレイス・ペイリーの『人生のちょっとした煩い』の続きを、最近寝る前に読んでます。物語を欲する時がある、と糸井重里は言っていたけれど、まったくそうです僕もそう。手元に小説がこれしかないのでこれだけ読む日々です。