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0912日記

1) id:gosekkyさんのはてなで、コンボオルガンのオークション(!)を開催していたので挙手するも、何日か遅れてしまっていたようだった。これも時の運というか縁モノなのでそれは仕方ないとして、オルガンと言えば、じつは実家にあったそれこそ2段組のかなりオールド・ファッションなオルガンが、音がしっかり出るのに「邪魔だから」という理由で知らないうちに捨てられていたということがつい半年くらい前にあって、これは泣いた。その少し前に音が出ることを確認して、「あれ、全然音出るじゃん」といずれ貰うための伏線を張っていたつもりだったのだが、メタファー・パーセントが濃すぎたのかもう何処にもない。かつて黒電話に掛けられていたような国籍不明のカバーが今ではどの家の電話からも消えつつあるように、そのオルガンにもそういうのが掛けられていて、それごと多分名も知らない街へ消えた。急にそんなことを思い出す。

2) 今日は一日何もなかったのだけど、水を沁みこませた綿のように重心がまったく移動しない。それで仕方なく、図書館で借りてきた『新潮』の9月号をパラパラめくったりするのだけれど、今回巻頭に登場した青山監督の『サッド・ヴァケイション』というのは、ジョニー・サンダースから取ったのだろうか。『ユリイカ』の続編である以上にただそれだけが気になる。青山監督と言えば博多であり、博多と言うまでもなくそれはシナロケでありメンタイ・ロックであり、シナロケと言えばCBGBであり、CBGBと言えばニューヨーク・ドールズである。だからそうかと思ったが、ちゃんと読んだらわかるのだろうか。わかるのかもしれない。飛ばし読みながら、もうすでに言われ果てていることだろうけど、この人は「中上健次」になりたいのだろうか、などと思ったりもするが、それだってちゃんと読めばわかることだろうか。
 『新潮』はほどほどにして、後藤繁雄先生の『独特老人』を久しぶりに読み返す。読み返すとは言いながら、実はガッツリ読みきった事はない。だって、濃厚すぎるのだ。この本は13年ほどをかけて(準備を含めたらもっとかもしれない)編まれた超大河インタビュー集で、2800円ごときで読めるというのは何というか、幸運であるとしか言いようがない。中で例えば埴谷雄高先生は、死者を、SFのようにではなく「具象的な風景の中に、不思議じゃないように登場させる」と言っているけれど、でもそれってさっき閉じたばかりの『新潮』9月号で完結したばかりの古井由吉さんがやってらっしゃることだな正に、とか思いました。何も出来ないときにはこういう本を読んで滋養を蓄えたらそれでいいと思う。ジョージ・ラッセル山下洋輔さんが療養中にそれぞれの理論を立ち上げ練り上げたように、そのときにしか出来ないことをそのようにしたら多分いい。

3) 昨日紹介できなかった、竹田青嗣先生の著書は『ニューミュージックの美神たち』という名前で、88年に書かれた、なんと17年前の本でした。17年か・・・。
 あとがき対談ではなんと陽水氏その人にインタビューしたりしていてこりゃー凄いや面白い、と思うのだけど、個人的に一番驚いたのは、竹田さんが思いきり村上春樹の『ノルウェイ』や『世界の終わり』を論考の対象として採り上げているということで、こんなにガッツリ『ノルウェイ』について書かれているなんて、知らなかったというよりただその事実に驚いています。
 僕はそれこそ『ノルウェイ』に関しては千本ノック/万本ノックの如き読み返しているので、例文が挙げられても見憶えがないということはないのだけれど、それを竹田先生が挙げては論じるというこのリンク感に目の前がくらくら(ハスミ先生風に言えば正に眩暈)してきます。そこで言われているひと言ひと言は、『ノルウェイ』という点においても、竹田先生という点においてもすでにウォーム・アップ済みの状態なので、常に臨戦態勢/現場担当者として読めて、それが嬉しくも楽しかった。
 ところで竹田先生は中で『ノルウェイ』を、”ストーリーとしては(略)青年の恋物語というにすぎない”と仰るのだけど(勿論それだけではないからわざわざ論じているのであって、それはその前後できちんと語られています)、似たようなことを以前聞いたことを思い出す。というのは、「あんなのはただの恋愛小説で、くだくだ回りくどく語っているだけでは」という指摘であったのだけど、小説は論文ではないのでフィクションとしての事実をくだくだと積み上げることで「ただの」話を構築するところに意義がある。そう思ったことを急に思い出す。

4) 前述の竹田先生の著作では、唐突に以下のような引用があって、かなりのインパクトを持って受け止めてしまった。

気絶した人があると、水だ、オードコロンだ、ホフマン滴剤だ、と叫ばれる。しかし、絶望しかけている人があったら、可能性をもってこい、可能性をもってこい、可能性のみが唯一の救いだ、と叫ぶことが必要なのだ。


竹田青嗣著『ニューミュージックの美神たち』P219に引用された、キルケゴール著『死に至る病』より)

 こういうことを井上陽水(の、たとえば「今夜」)を論じながら持ち出してくるのが面白すぎる。