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0911日記

1) 編集者の末井昭さんの日記で、見沢知廉さんの話少々(9/11付)。おとといのペソ大式典でちょっとだけ話に出た。
 →http://www.sundial.co.jp/cgi-bin/byakuya/suei/read.cgi

2) コルトレーンの『ブルー・トレイン』を聴いてます。これとあとソニロリのニュークス・タイムなぞ。いいのは何だ、ポップだからか。簡単カワイイ曲を超絶テクでやるというのはしかし、ちょっと哀しくないか。そんな思いながら、ずっとそればかり聴いてます。ケニー・ドリューのやんちゃなフレーズが好きとか言うのは、カッコつけているだろうか。

3) 今日は一日バイト。夏に入ってから一番大変だったな今日は。とくにランチ。何でかっていうと選挙の投票所の近くに店があるからで、その行き帰りとかに寄ってきたりするわけですよ。ものすごい大変で、スタッフみんなテンパってるんだけど、そういう時ほど料理の評判が良くってこれって一体なに?みんな、酔っ払ってるのか、なんか、そういうのに。アイツに踊らされてるんじゃないのか!?

4) バイトークを続けると、業務用洗剤が合わないのか、手が、右手が、業務用タワシを持つその右手が荒れちゃって腫れ上がっちゃって凄い見た目になってます。見た目だけじゃなくて、痛いし沁みるし痒いです。なんじゃこれ。尿素のいっぱい入ったハンドクリームを塗って、タクシー屋さんがつけるような手袋をはめて今これ書いてます。キーが綺麗になるかもしれない。

5) 哲学者の竹田青嗣さんが書いた、井上陽水とか中島みゆきとかユーミンとかサザンとかの評論書があって、いま隣の部屋におきっぱなのでタイトルとか書かないですけど、ものすげー面白いです。えっと、この面白さは、『憂鬱と官能〜』とか『東アル』とかと凄く似ていて、サブドミナントとか同主短調上からの召還とかの楽理話こそ出てこないですが、言ってることがすんごく似てる。うまく言えないんですが、同じ国の人が喋ってるって気がして、そんなことは実は大谷さんのフランス革命テクスト版の拙註釈トップで触れてたりもするのですが、あれはこの本を読む前のことなので、これを読んで想像を絶して裏付けられてしまったというか辻褄を合わせてしまったというか、とにかく超オススメですこの本は。えっと、タイトルとかはまた改めてエントリーします。
 もうなんと言っても、ここに出てくるみゆきやサザンやユーミンの曲をすべて聴いてみたくなりましたから本当に。ユーミンといえば、こないだ森山直たろう先生の代理で緊急登板したaikoのFM番組で、ユーミンの『ダウン・タウン・ボーイ』が流れて、これを選曲したaikoってやっぱりどう考えても凄いなって思いながら、これ作ったユーミンってどう考えてもすごいよな、とか思いました。
 aikoといえば、今進行中のペソ大という音楽ゼミの課題として「ポプ研」というのをやるつもりで、これは簡単な話「ポップ・ミュージックをザクザク分析しまくろう」という試みなんだけど(この他には「ザビ研」を企画していて、これは勿論ウェザー・リポートのザビさんの研究会)、その「ポプ研」を企画する際に念頭にあったのは何をおいてもまずaikoで、この人の楽曲には印象だけど兎に角ブルーノートが無茶苦茶頻出している。とくにアルバムの曲(つまりシングル以外の)にそういうのは多いと思うけど、例外的に、ヒットしたシングルの中でブル調(あの書籍ではなくて、ブルーノート風という意味です)筆頭なのは『桜の時』で、それこそブルース調と言ってしまってよかろうイントロから始まって全編前のめり傾き続けるこれって猛ジャジー・ナンバーなのではないか実は、と思っていて、そういう彼女のジャズ資質をガッチリ把握してみたい。
 というところで思い出すのは、フジテレビでやってる音楽番組『僕らの何とか』とかいう音楽番組で(『僕たちの』でしたか)、aikoがジャズアレンジの自曲を歌ったときで、コンセプトとしてはまさに、彼女の楽曲のジャズ側面にスポットを当ててこそのものだったのだろうけど、これが惨憺たる結果で、たぶんジャズファンにもaikoファンにもなんらアピールするところはなかったのではないか。と思っていて、この理由は簡単でジャズの面白みというのは「壊れているところ」であって、例えばaikoのヒット曲を全部それ風に追ったところでそれはジャズ風であってもジャズではない。ジャズにするなら歌詞をバッサリ切ったり、演奏しているそれがどこの部分(メロディ)なのか聴き手にまったく判読できないようなフラグメントを経た後に「キメ」にたどり着いたりとかいう「余裕」や「遊び」がないとつまらないのに、まるで学校の宿題を読み上げるようにただ作り直しているので本当にダメだったというか、彼女の楽曲の「ジャズ風で尚且ついいところ」を、「ジャズ側からのアプローチによってかえって見えづらくしてしまう」という愚行に帰結してしまった。
 そういう時は、昨日かおとといにたまたま見たのだけど、ピーター・バラカンが司会をしている英語の教育番組に出ていた山下洋輔先生のジャズ版『シャボン玉(童謡の)』などを聴いてみたら良いと思う。それはジャズであり童謡であり、そのどちらに依った人にとっても、もう一方の良さを知らしめるものとなっているので。