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0803日記

1) 今夜は菊地さんのラジオですねー。ふと気が付けば「日記」のない生活にも慣れつつあって、時間というのは(そして記憶というのは)つくづく大したものみたい。そんな忘れっぽい僕にとって恐れるべきは週末に迫ったペン大テストで、菊地さんは「これはテストっていうよりカウンセリングであって、大学受験じゃないんだから、緊張しないでやりなさいよ」といつも言うのだが、ここで失敗したらまた一年間同じクラスの円環なので、それは何が何でも避けたいのです。なので今日の昼まで一心に進めていた別の作業を一回止めて、明日からはテスト対策自習版に移行しよう。

2) 昨日は日記にも書いた通りの「偲ぶ会」。聞けば主宰の彼女はこのブログの、かつての谷川さんの詩とカーヴァーの詩の引用を読んで下さったそうで、それを「よかった」とさえ言ってくれた。よかった。
 会ではいくつかのサプライズ。僕と彼と友人の3人で喋っているところを録音したものが出てきて(あるのは知ってた)、20分ぐらいのテイクだったろうか、延々と皆で聞きました。登場人物は10年前の声と姿(見えないけど見えてくる)。僕もそう。あんまりにも恥かしくって、汗かきました。それにしても僕はどうして昔から、ああも威張っているのだろう。聞きながら、「こういう時に一番恥ずかしいのは、当時一番威張っていた奴なんだよ!」と言ったら、ウケました。でも本当にそうなんですよ。吉本隆明がばななさんに「人が集まる席(酒席)では、その中で一番腰の低い人間でいればあとで後悔しない」と教えられたとか。肝に銘じます。
 もうひとつのサプライズは、僕がかつて菊地さんの日記を数枚プリントアウトしたものが彼の手帖から出てきたことで、僕自身そんな事したこと自体を忘れていた。当時僕はその文章に打たれ、思いを共有してもらうべく彼にそれを渡したのだった。聞けば彼は時折思い出したように、それを取り出しては友人たちに見せていた。見せてはまた、手帖の奥にしまっていた。彼は或いは菊地さんのことを、その数枚のプリントにある存在としてしか知らなかったかもしれない。音源を聴いたことはほとんどないはずで、一度『デギュスタシオン』を持っていって聴かせたことがあるけれど、あまり反応がなかったので深追いしなかった。それが良かったのか悪かったのか、まあ、良くはなかったのかもしれない。いや、もしかするとそのことでかえって、文章数枚分の密度をもって彼の中の菊地像があったのだとしたら、それはそれでやはりまあ、良かったのかもしれない。よくわからない。
人生のちょっとした煩い
3) このところは何にせよ体が疲れやすい。ぐったりぐったりとしている。あ、これってもしかして夏バテか。それかクーラー病?こんな時には早寝早起きで体のリズムを取り戻そう、なら本でも読みつつ早めの入眠を促そう、ということで、本当なら読みかけのグレイス・ペイリーを読んだらいいのだけれど(でも短編集なのでそれほど”読みかけ感”がないというのもあって)、古本屋で買った1983年の文芸雑誌『海』に掲載されているカーヴァーの村上訳初出でも読もう。恋するたなだ君いや、或いは藤谷治さんの『恋するたなだ君』を読み返すのもいいかもしれない。藤谷さんの本はよく、「一気読み本」の代名詞的に語られがちだけど、こんな濃密な内容を一気に読んで何になるというのか。とはいうものの、読み手にスピードが生じていくのもよくわかる。これと同じ事がおそらくガルシア・マルケスにも言えて、僕はじつは藤谷さんの本を読みながらいつもマルケスのことを思い出している。そのことはまた、きちんと読み返してから書けたら書きたいです。