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0802日記

1) 今日はこれから彼の彼女の家に集まって、彼がのこした由無し物を整理・鑑賞する会を催す予定。そう言うと何だか「偲ぶ会」のようだが、前回、丁度先週くらいだっただろうか、「偲ぶ会やろう」と集まった際にはどうしようもない写真やくだらないエピソードをあげつらっては爆笑するばかりだったので、今回もそれに近いだろう。早くゆく者は多くの人に愛し返される機会と笑い返される機会を同時に手にする。のこされた者らは彼をして、自らを思う機会を手にする。生きているうちに出来ることは、生きているうちにしか出来ない。留保も繰越しもない。それはかつてないインパクトをもって僕に迫る。あんなに悲しいことはなかったし、苦しい体もなかった。そこでは観念の戯れは何の足しにもならない。必要なのは、やさしさだ。きっと僕はまた観念の世界に戻るだろう。しかしそれは以前と同じものではない。現実とは僕の想像力などではとても描ききれないほど変容の激しい世界のことで、固定された背景装置の事ではなかった。成分要素は流動しながら入れかわり、常に新たな生命体として僕らをとらえようとしている。

 それで、君はいったい何を望んだのだろう?

 それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって

 愛されるものと感じること。


 これまで僕が向こう側にあるとしていたものは、こちら側から歩いて着ける地続きにあった。オンもオフもない。

 わたしの いちばんすきなひとに

 つたえておくれ

 わたしは むかしあなたをすきになって

 いまも すきだと

2) おとといはバイトを一日して過ごす。猛暑の厨房でボロボロになるまで、というか、なっても働く。

3) 翌月曜は目下のプロジェクトをコツコツ進める。ペン大勉強会平日版を予定していたが、中止願いを余儀なくされる。みんなごめん。無理すれば出来ないことはないのだけれど。

4) 久しぶりに映画。河瀬直美監督『沙羅双樹』。今までに観た河瀬作品で一番面白い!と思ったが、考えてみたらそんなに観ていない。もっと付き合ってみたい作家さんだと思いました。

5) はるきち先生が訳したグレイス・ペイリーの実質デビュー作、『人生のちょっとした煩い』がようやく刊行されたので読書。作者にとっての初期作品が多いということもあってガチコチした印象も強いけれど、圧巻の独特世界。寝る前に少しずつ読むと幸せです。

6) このところの僕が一番頼りにできた文学は、レイ・カーヴァーの『カーヴァーズ・ダズン』と、その訳者でもあるはるきち先生の『ノルウェイの森』でした。そこには僕の求めたすべてがあったし、逆に言えば、同様に死を扱っている宗教的なライト・エッセイなどはこれに比べれば何も言っていないに等しい。小説にはそういう力があって、保坂先生もきっとそういう意味で小説をメイン事業に据えているのだと思う。
 大学1年の頃だったか、同級の女子に「本とかどんなの読むの」と聞かれたので『ノルウェイの森』だと答えると、「えー!それって高校生が読むものだよ、キミ」と言われたことがあったっけ。当時の僕はそれで少なからずショックを受けたものだったけど、以来丸10年折に触れ読み続けてもその輝きが色褪せることはないし、重要性はむしろ高まるばかりだ。ここには論理も因果もなくて、ただ小説だけが持つことの適う、切実な祈りがある。彼女は以後、この作品を読んだろうか。あるいはその以前をも含めて、一度も読まなかったかもしれない。それはそれで、よいのだけれど。