103

2004.10.25 Monday @JGM-14th


1. 今日のバイトは

 なんだか永遠のように長く感じられた。
 もう、いつまでも終わんないんだから!泣く。というか倒れそうになる。
 でも、それを持ち堪えたのはBGMのおかげで、今日は頭の中で中村一義の『金字塔』とナンバーガールの『オモイデ・イン・マイ・ヘッド』を流していた。どっちも傑作だ・・・。
 『金字塔』はほんとに好きな曲で、中村さんの1stの1曲目に登場したときにはコードに乗せて歌詞を朗読してるだけなんだけど、2ndとのあいだにツナギ的に出たシングルの時には、同じ歌詞を今度はきっちり譜割りして歌ってる。主題歌
 それって実にコンセプチャルな姿勢だ。思いついたときはそのアイディア具合に”やった。”と思ったかもしれない。アルバムを総括するような内容の曲を、アルバムの後に、アルバムと同名のタイトルで、今度はシングルとして(厳密には『主題歌』という曲とのダブルタイトルのシングルとして)発表したのだから。
 ついこの前、100sとして出した『Honeycom.ware』はすっごくよくて、でもそれはコンセプターとしての良さではやはりない。もう、音楽家としてイイのだ。買わなかったけど。(カップリングがなんか・・・よくわからなかったな。)


2. 話を戻して

 ナンバーガールの『オモイデ〜』もすごい。頭で復唱するだけでゾワゾワっと上がるのがわかる。名曲すぎる。
 たとえばサンボマスターの『そのぬくもりに用がある』なんて稀有の傑作だと思うけど、それはこの後どうすんだろう(これ以上のものが作れるのか、こんなの作っちゃって)?という不安を残す”刹那い”良さだった。

(実際その不安はいまのところは払拭されていなくて、サンボがすっごい人たちなのはそうなのだとしても、MISIAがデビュー曲を越える名曲に巡り会えないように、彼らもその邂逅を果たしていないと思う。でもそれが悪いとか言うつもりは勿論なくて、なぜならそれだけの曲をすでに残してくれてるからだ。で、話をもいっかい戻すと、)でもナンバーガールの名曲具合というのはそういう刹那とは少し離れたところにあって、それはある種の”届かなさ”(サンボは届いたその場所に)を査証しているとも言える。ママ・セッド
 
 『オモイデ〜』の良さは言ってみれば再放送的な、追体験としての良さで、それはレニクラがロック界の新古典/アーカイヴ主義として登場したのと同じ地平に立っている。それはかつて誰かが鳴らした感動で、ナンバーガールが初めて上げた産声ではない。我々はすでにそれを聴いて知って好きになっていて、あたかもカラオケでやけにうまい異性の友達が熱唱するのを心ならずもじん、として聴いてしまうように、或いはそんな卑近な喩えを避けるなら、それ好きだったんだよー!と言いたくなるような過去の知られざる(知られていてもいいけど)名曲を、現代の”名手”が上手にカヴァーしてくれたら、それが僕の言いたい喩えだ。具体的には、そう、タック&パティシンディ・ローパーの『Time After Time』を歌うとか、そういう。ベスト・コレクション

 だから、ナンバーガールの名曲の量産性に対して、僕はサンボに対して抱くような不安はない。『トランポリン・ガール』とか、遡って『タッチ』とか、これじゃまるでカラオケだってくらい、見事なグッと来る曲がいくらでも出てくる。カラオケがいいとか悪いとかいうことではなくて、そしてそのバンドが解散して別の活動がすでに軌道に乗ってるとかわからないとかいうことでもなくて、イヤだイヤだと思っていたのはカラオケではなくて、カラオケの”場”で流れている具体的な”音”だったのだということに、『オモイデ〜』をバイト先で頭に流し涙しながらに気付いたっていう話だ。話です。