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本の読める店、fuzkueに行ってきた

2020/1/11に渋谷で岸野雄一さんの新春恒例ライブがあり、これは毎年フルボリュームにつき終わる頃には体力が使い果たされており、帰宅するのが大変、ということで今年は近くに宿をとってラクをした。

翌日は午前11時チェックアウトで、家族からお土産を頼まれていたのでそれをゲットした後、ただ単調に帰途を歩むというのはなんだかつまらない上に、時間的にそろそろ正午。というぐらいで空腹にもなっていたので、以前から一回行ってみようと思っていた初台のfuzkueに行ってみることにした。

fuzkue.com

階段を2階へ上がっていくと、細長い感じのお店で奥にカウンターがあり、左手にはさぞかしゆったりできそうなソファも空いていたけど、そのときはもうお腹が減っていて定食を食べよう、と初めから決めていたので、たぶんソファよりイス席の方が食べやすいだろうと思ってそちらに座った。

食事ができるのを待っている間は、前日のライブでもらった折込チラシを一生懸命読んだり、物販で買った林以楽(リン・イーラー)さんの詩集を読んだりした。元々の予定(というか)では、iPhoneのKindleアプリに入れっぱなしの積ん読電書本を読み進めよう、なんて思ってもいたけれど、そのチラシ1枚1枚や詩集だけでもそれなりの読みごたえがあり、何よりもうカラダが随分くたびれていたので、半ば眠るようにしてそれらに目を通しながら休んでいた。

食事は非常においしく、珍しいぐらいに綺麗に平らげた。基本的にぼくは少食で、大体会社の昼休みに近所の飲食店で買ってくる弁当などは3〜4割残して、タッパに入れて持って帰る(それで夕飯に合わせて食べる)ぐらいだけど、この定食は非常に好みに合っていて、なおかつたぶんちょうどいいぐらいに空腹だったこともあって、絵に描いたように最後まで食べきった。

本を読むことは、考えてみるとそもそもそんなに目的ではなかったというか、求めていたのは時間というか、空間というか、そういう「何もしなくて良い場所」、「何からもアクションを求められない時間」、あるいは「自分から動き出すまでは動き出す必要に迫られない状況」であって、fuzkueさん風に言ったらひと言で「静かな時間」としか確かに言いようがないようなそれで、とくに頑張って本を読んだりしなくても十分に豊かな雰囲気の中、何かを考えたり、考えなかったりしながら大体2時間ちょっとぐらい過ごした。(「何もしなくて良い」という環境に置かれると、普段考えたくてもなかなか考えられないある種のゾーン、みたいなものに思考の中で触れられる感じがする)

それでもつれづれに読んだ、店内に置いてあった本というのはあって、以下とか。

すべては映画のために

すべては映画のために

懐かしい。昔、2〜3本ぐらいDVDで見た。大切にしていた感覚がそこにある、というのを思い出した。

他にもジョナス・メカスの本とか、あと自分が座ったそばには南米のいわゆるマジック・リアリズム的な本や、トマス・ピンチョンなどがたんまり並んでいて、これらが大学の図書館に同様に並んでいて圧倒されたことを、生々しく思い出した。

店内・店員さんの雰囲気もとても良く、その感じの良さというのは、単にfuzkueさんならではの、あのオリジナリティに満ちたコンセプトによるものというよりは、たぶんここはかなり大事なところだと思うけど、何よりも第一に「どうすればお客さんに心地よく過ごしてもらえるか」を常に考えているからだろうと思った。

もしもそれ以上にコンセプトとか、店の目指すべきイメージみたいなものを優先していたら、それはお客さんを大事にすることと見た目はよく似ているが、やっぱりまったく違う感じになるんじゃないかと思う。

帰ったら、家族から「fuzkueはどうだった」と聞かれたので、「うーん、毎週行きたいぐらいだ」と伝えた。会社の最寄駅から都営新宿線で数駅で行けるところにあるから、それも不可能ではないが、仮に難しいとしても、1〜2ヶ月に1回は行きたいなあと思っているところ。