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ものすごい文章、社会問題

有休明けの一日。朝、昨日連絡をもらった家族へ連絡。心配はあるが干渉しすぎないようにとも思う。

仕事はなかなかの多忙。最近なぜか忙しい。お客さんが増えているということで、歓迎すべきことだが。お客さんが増えると一つひとつの対応が雑になりそうでそれが懸念にはなる。

昼飯、あまり空腹ではないが何も食べないと夕方に空腹になって対処できなくなるので、ちょっとコンビニまで。しかしとくに求めるものもないので20円値引きされたツナマヨおにぎり。120円ぐらい。もっともスタンダードなツナマヨが、20円も値引きされてまだ120円とは。物価上がった。恐ろしい。

筋肉痛はようやく収まりつつある。そろそろまたジムに行きたいが、そのチャンスはまだしばらくなさそう。

『絶対毎日スエイ日記』を100ページまで。900ページぐらいあるので、まだしばらく楽しめそう。

プログラミングスクールの宿題の修正をしなければならないが、モチベーションが上がらない。プログラミングでモチベーションが上がらないなんて。これは多分、現在取り組んでいる課題が「自分が作りたくて作る自分のもの」ではないからだろう。しかし学校なのだから、それ自体は仕方がない。その対応中の修正対象は、「これさえ直せば終わる」というものではなく、ちょっとイチから考えなければいけないところがあり、それがハードルになっている。1時間でも集中すれば、それだけでもだいぶ進むとは思うのだけど。

最近、松本亀吉さんのブログを何日か続けて読んでいる。こちらも日記ものとは言える。亀吉さんのブログは更新されるたびにSlackに通知されるように設定してある。今年に入ってからは毎月1ヶ月分の日記を公開する感じになっているみたい。何月かの日記でさらっとヒゲの未亡人の名前が出てきたので少し楽しくなった。
kamekitix.exblog.jp

亀吉さんの文章を初めて知ったのはいつだったか。『BUZZ』かもしれないし、別の何かだったかもしれないが、とにかくものすごい文章。硬軟の取り混ぜ方。圧倒的な客観性。単行本の『歌姫2001』を読んだのは大学生の頃だったはず。なぜなら、大学の後輩にそれを貸したまま返ってこなかったから。それはべつに問題なくて、なぜならぼくも心ならず借りパクしてしまったものがいくつもあるから。「歌姫」はその後中古で買い直した。

昔、新宿ロフトだったか、プラスワンだったかもしれないが、大谷能生さんや雨宮まみさんと一緒に亀吉さんが出演するイベントがあり、観に行った。大谷さんとの共著『大谷能生フランス革命』を持参して、イベント終了後に亀吉さんに献本しようと思っていたのだけど、イベントの途中か、終わってすぐぐらいにひと足先に帰っていて、渡すことができなかった。もう帰っちゃったみたい、みたいなことを教えてくれたのが雨宮さんで、そのまま新宿駅の方に向かって一緒に帰ったのを覚えている。後から、あのとき雨宮さんにその本を渡せばよかったと何度か思ったが、そのつど「でも、他の人にあげるつもりだったものをあげるのも失礼だったか」とか思い直す、そんなことを何度も繰り返した。雨宮さんにはその後、渋谷アップリンクでイベントの打ち合わせをしているところにたまたま遭遇して「ああ!」と驚きつつ挨拶したのをよく覚えている。そういう一瞬が嬉しい思い出として残っている。

こんなニュースを見た。
nordot.app

マイノリティ保護を目的とした法案のはずが、マジョリティによる差別をより強化する内容になってしまったという話。自民党公明党・維新・国民民主といった人たちがLGBTに関する「自分たちなりの理解」を増進すれば、それはたしかに差別を助長するものになるだろう。しかしそれを許容・後押ししているのは一人ひとりの有権者でもある。現在のヘル日本を形作っているのは有権者にほかならない。そんなの駄目だよ、と一人ひとりが言うしかない。

こんな話をしても、全然面白くない。誰も楽しい気持ちにはならない。今までこんなことを考えてもみなかった人が、これを読んでそうだ、そうだ!なんて思うことはないだろう。むしろ疎ましがられるだけだ。でも、放っておけば世界が楽しくなるというわけでもない。それどころか、場はどんどん腐っていってしまう。それを少しでもマシにしたくてこんなことを書いている。味方を増やしたいわけではない。勝ちたいわけでもないのだ。ただ単に、今のままでは駄目だろと思うだけだ。今のままでいいと思うのか?と思うだけだ。