103

節酒の試み

2月に広島、5月に沖縄へ行ってきた。2月はYAPC、5月はRubyKaigi。

yapcjapan.org

rubykaigi.org

どちらも素晴らしかったが、とくに記憶に残ったのはやはり地元の人たちとの交流、というか酒の酌み交わし合いだった。

広島ではどこかゆっくり酒が飲めるお好み焼き屋はないかと探して、宿から5分ほどの雑居ビルの奥にある小さなバーに入ったら、そこは仕事帰りに飲みに来る人々が集う店で、マスターやその客たちと仲良くなり、翌日の夜はそこで知り合った人から勧められたバルで一緒に飲み、二次会は前日に行ったそのバーへまた行ってさらに飲んだり鉄板で焼いた焼きそばを食べたりして過ごした。

沖縄でも食事のできるバーに入って飲みながら夕食を食べていたら何人もの未知の人々と知り合い、話すうちに「次行こう」とそのまま地元の人しか知らないような店にタクシーで連れて行かれ、大将が出すテキーラと泡盛のロックを際限なく飲み、別の日には山羊汁を食べに入った店でママが際限なく注ぎ足す泡盛をこれも飲み続けた。

普段行かない土地に行くとただでさえ羽目を外しがちになるが、そこへまた感じの良い人々がいてぎゃあぎゃあ笑いながら話したりしていると、ああこの時間がいつまでも続けばいいのにと、いつまでも酒を飲んでしまいこれがいつしか習慣として体に染み付いてしまう。

20代や30代の頃は飲めば飲んだだけ翌日に酷いカウンターを食らったものだが、最近は飲みながらも無難にチェイサーを入れているせいか、それだけ摂取しても以前ほどは酷くならない。しかし、体や脳には明らかに強い負担をかけているはずで、以前ほどカウンターを感じないというのは、つまり酒に強くなったのではなく、単に鈍麻しているだけなのだと思う。負債はどんどん積み上げられているにもかかわらず、それを感じずにいるというのは、言ってみれば借金を重ねているようなものだ。

ということで、このところは普段の酒量を減らす試みを続けている。今にしても毎日飲んではいて、休肝日なんてほとんどない。自慢ではないが、広島や沖縄で地元の人たちと飲み続けてもつぶれなかったのは、この毎日の晩酌が体の土台を作っていたのだと、先の例を用いれば体の鈍麻を保持していたのだと、今になれば思う。その毎日の飲酒量を減らしてみよう、ということ。

このようなとき、先人たちはどう取り組んできたのかと、YouTubeで依存症に関する動画をいろいろ見るうちに、なんとなく雰囲気はわかってきた。結局のところ、依存的に酒を飲む人々に共通するのは「忘れたい」という点にありそうだ。現実を受け入れがたいから、その現実をいっときだけでも忘れるために酒を飲む。いやこれは酒に限らず、SNSでも買い物でも薬物でも、依存というのは基本的にそういうものなのかもしれない。

自分ももちろん、その例に違わない。大量に・長時間飲まずにいられないほどのものではないが、24時間シラフでいることには耐えられない、と思う部分がある。家の片付けとか筋トレとか勉強とかに依存するならまだいいのかもしれないが、今のところそういう素養はなさそうだ。

それでも意識し始めてみると、量を減らすこと自体はそれほど難しくもない。以前から思ってはいたが、最初にある程度飲むと、もうその後はただのどが渇いているだけで、べつにそれを酒で潤す必要はない。わかってはいたが、そんなときに手元にソフトドリンクを用意していないので、畢竟手元の酒を飲んでしまっているという感覚はあった。そこで、そういう瞬間にノンアルなり水なり、アルコール以外のものを飲めるように用意してみたら、それがけっこう効果を上げている。

数ヶ月後にどうなっているか、覚えていたらまた報告したい。