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インプットの抑制に努める

最近、日記本の面白いものをいくつか読んで、自分もそのようなものをまた書こう、ともう何度目にもなるが思っていた。のだけど、そんなふうに思ってから何ヶ月も何も書くことができないまま時間が過ぎた。広島に行ったり、沖縄に行ったり、都知事選があったり、その他いろいろな公私にわたる忙しなさがあったのもあるけど、それ以上に直接的な原因になっていたのは、おそらく情報を取り込みすぎていた、というか無分別に何もかもに触れていたからだと思える。それはSNSであり、YouTubeであり、いずれにしても自分から選び取った何かではなく、漫然とテレビを眺めるのと同様に、ただひたすら目の前を流れる情報、または感情の奔流を飲み込み続けたことによって、自分の中にあるものを吐き出す暇がなくなっていた、ということなのだと思う。

そのようなときにPCの前に座っても、何も頭に思い浮かぶものはない。というか、何を思い浮かべてもそれを面白いと思えない。というか、自分にとってはまあ面白くはあるが、文章に書かれたそれが面白くなるとは思えない。というか、単純にそれを書くことを面白いと思えない。それで、仕事でもないし、そんな無理をする必要もないかと思ってその都度やめていた。

しかし、しばらくしてから初めに書いたように、その理由はそれなのではと思い当たった。つまり、いろいろ吸収しすぎていた。というか、吸収はべつにいいのだが、とくに好きでもないものを必死に飲み食いし続けていた。なぜそんなことをしていたのかと言ったら、べつにやりたくないことを無理にやっていたとかではなく、人生の最大の目的がそれだと思っていたからで、言い換えると常に驚きを求めていた。自分が知らない何かに触れたかった。そのひとつの方法として、未知のものがひたすら流れてくるメディアを眺めていた、という感じ。

それはそれで必ずしも悪いことではなかったとも思うが、それは同時に自分の中にあるはずの別種の楽しみを奪っているようでもあり、100の楽しみを失う代わりに10の楽しみを得ていたというか、ずいぶん割に合わないことをしているようにも思えてきたから、一旦それはもうストップして、自分の中にあるもの、あるいはすでに一度は触れた何かを牛が反芻するように味わい直す、というのが良いのではないかと思い、それをやり始めている。

何かを摂取してしまうと、それが好きなものでなかったとしても、消化をする必要が生じ、そこでどうしたってエネルギーを使う。どうせ摂取するなら好きなものをそうしたいし、それがないなら無理に変なものを食べなくてもいい。それで余ったエネルギーを、こうしてもともと自分の中にあったものをアウトプットすることに使えたらそれで良いのではないかと思っているところ。

書いてなかったけど、最初に書いた最近読んでいた日記本のひとつは以下。面白かった。
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