103

無償で仕事をしてはいけないという論理

優秀な人間が安い賃金で働くと相場が下がって周りの人が困る、みたいなことは以前からよく言われる。

「高い技術には高い報酬を要求しましょう」という意味だと考えれば真っ当な話ではあるし、技術力は高いが無知でもある人が損をしないようにと与える助言としては有効かもしれないが、それによく似た別の話なのではないか、と思った事例があったのでメモしておく。

比較的最近公開された以下の記事に対して、

cybozushiki.cybozu.co.jp

以下のようなブックマークコメントがついて、

f:id:note103:20171031094334p:plain

インタビューを受けた西尾さん自身や徳丸さんから以下のような回答もあったのだけど。

お二人の反論(というか)というのは、どちらも「いや、もらってますから」という内容なので、結局ブックマークコメントにあった「無償で仕事するな」という主張にはむしろ同意であって、その上で「誤読ですよ」と言ってるわけだけど、このやり取り(というか)を見て思ったのは、「んー、まあ、でも無償でやる人がいてもそれはその人の自由では?」ということだった。

そもそも、元の記事ではそのタイトルにもあるように、「相応の見返りがあれば、それがお金でなくても構わない」みたいなことを言っているのだから、回答するのであれば「今回のケースではたまたまお金出てるけど、自分が納得すればやっぱりもらいませんよ」でいいのではないだろうか。

しかし実際には「いや、お金出てますので・・(誤読ですよ)」みたいな反応になっていて、それだと結果的に記事の主旨(お金が出なくても自分に利益があればやる)とは反対の方に向かってしまうのでは、とも感じる。

まあ今回の場合、仮に西尾さんが金銭報酬を受け取っていなかったとしても、それで困る「他の方」がいるとはちょっと想像できないし、その意味で当のブックマークコメントというのは記事の作り手側とずいぶん前提がずれているようにも思えるので、本来であれば反応のしようがない話であるようにも思えるのだけど。
(前提がずれたまま反応するから変な回答になってしまう、ということ)

その上でもう少し続けると、冒頭にも書いたとおり、「優秀な人が安い賃金(または無報酬)で働くと相場が下がって周りが困る」というのはよく聞く話で、それが「搾取されている優秀な若者」に対するアドバイスとかなら意味はあると思えるが、「お前がそんなだとコッチが迷惑するんだよ」ということになると、ちょっと話がおかしくなってくる。

「周りが困るからそんなことをするな」と言ったところで世の中それを聞いてくれる人ばかりではないし、その頼みを聞いてくれない人が悪意を持っていようといまいと誰もその流れを止められない、ということもあるわけで。

かつて馬車を作っていた人たちは自動車が発明されて「そんなもの作られたらウチの商売が成り立たなくなるからやめてくれ」と思ったかもしれないけど、そんな願いが聞き届けられることはなかったし、ガラケーで商売していた人たちはdocomoまでもがiPhoneを売りはじめるとは思っていなかっただろうし、つまり「やめろ」と言ってやめてくれる人ばかりではなく、誰もが自分のことを一番に優先して生きている以上、それは自分にとっても相手にとっても息苦しい、出口のない要求という気もする。

どこかの誰かが、他のすべての人が困るとわかりきっているにもかかわらず自分の利益を最優先して「無償で良い仕事」をしはじめたとき、「悪いのは市場を荒らしたアイツであって自分ではない」と思いたくなるのは自然だし、そう言ってみるのも自由だが、それを聞いて誰かが助けてくれるとも限らない。

「君は本当はもっと多くの報酬をもらえるのに〈やりがい搾取〉されているよ」という忠告と、「俺が困るからお前はお前のやりたいようにやるな」という要求との間には、わかりづらいが確かな違いがあるのではないだろうか。