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 なんと、1週間あいたのだった。まあ、珍しくもないか。よく、「なかなか更新できなくてスイマセン」みたいな記事を見ては「どういう意味だろう?」と思っていたが、あれは半ば自分に向けて言っているのかもしれない、と思った。今。なかなか更新できなくてスイマセン。
 なんせ、Twitterにはまっていたのだった。設定とかウルトラ難しくて(主観)、だって英語だし!インスタント・メッセージ(メッセンジャー?)とかそういうのも普段ぜんぜん使わなかったものを、むしろメイン的に使いながらのツールというか遊び(SNS?)なので、足を踏み入れるかどうか迷う、というのも含めて随分はまっていたのだった。
 そういう時、結構な割合でGo.してしまう。怯みもするが、いや、相当怯むが、なんとなく「見る前に跳べ」的心象になっている。ところで、僕は「見る前に跳べ」的な言説というか思い込みが凄いきらいなのだ。でも自分ではやっている。どっちもある。
 このところ欲望、というものについて、別に考えたい訳でもなく向こうから「考えて」とやってくるから想っている。多くはやっぱり欲望の問題に回収できる。欲望と言えば、伏見憲明さんと竹田青嗣さんである。伏見さんの欲望問題、という本を、竹田さんの盟友である西さんがなぜか解説していたサイトを見つけて読んでいたが、そこにもやはり竹田さんの名前が幾つもあるのだった。
欲望問題―人は差別をなくすためだけに生きるのではない 『欲望問題』をめぐるスペシャル対談◎西研(哲学者)vs菅野仁(社会学者)

 しかし欲望の話はなんせ、今いちばんホットな話なので僕には、これはもうここではしない。今いちばん考えている事はいろんな理由から言えない気がする。あれこれの事にも勝手にユリイカ!とか思うのだがそれも言えない。でも、言えないからサイトを更新していなかったのではなくて、それは二度目だが言うの、それはTwitterのせいなのだった。
 Twitterにそれじゃあ、どれだけ僕がハマったのか、と書き始めるとこれは書ける。なぜなら、そんなにハマっていなかったからだ。どっちもある。かと言って、熱が冷めたようなものかと言えばそうでもなく、つまりそれはきっかけとして大きかった。見る前に跳べ、に戻れば、あ、これ全然関係ない話に繋がりますが、よくトークショーとかシンポジウムで質疑応答のコーナーになると、必ずどうしようもない質問をしてくる人がいる。「してくる」とここで書いたが、同じ聴講者であるところの僕にそれなりの何かを迫ってくる、という意味でまさにそれは質問「してきてる」。で、そういった質問をする人と、しない僕とのあいだにどういう違いがあるのかと言えば、勿論(というか)、良し悪しではない。そうではなく(と、言ってみたい)、単に彼らが、向こう見ずなのだ。そしてTwitterの設定をしている僕はと言えば、まさにその向こう見ずな人、なのだった。
 そう言えば、これまた関係ないんですけど、いや、ちょっとある。この前、友人とそのまた友人とお茶を飲んでいたら竹田さんの話が一瞬出て、「竹田じゃ駄目なんだよ」という発言が聞かれたのだが(かなり恣意的な抜粋です)、いやー、本当にあるのか、そういう言説、と思った。竹田さんの評判が、ある種の域から悪い、ということは情報としては知っていたけど、あるんだ、本当に。と思った。
現象学入門 (NHKブックス) そのように、言ったり思ったりすることは構わないに決まっているのだが、素朴にそこで疑問に思う。つまり、どうして駄目なんだろう?
 と言っても、どうして駄目なのかまったく想像できないわけでもなくて、これはかつて大谷さんが岸野雄一さんとのトーク@『大谷能生フランス革命』で言っていた事とも繋がるのだが、竹田さんの言うことが「そのまま」だからだ。簡単、と言ってもいいのだが、これを平易、と言うと、竹田さんの本を読んだ人から「全然易しくない!」という見当違いの(でも確かに妥当な)クレームが出たりもするので、あまりそうは言いたくない。竹田さんの話の「簡単さ」は、言葉の平易さとか平仮名を多くするとかいったことではなくて、姿勢の単純さ、シンプルさ、という「あり方」の言い換えなのだ。で、そういうシンプルすぎるほど「そのまま」で「誰が考えてもそうとしか言えない」ものを求める姿勢を見て、そんなの誰でも知ってる(から駄目だ)という印象をある域の人は持つかもしれない、と確かに想像はできるのだ。
 が、それは論理としては想像できるという話なので、現実を生きる目の前の人がそう言っているのを聞くと、え、どうして? と、そのままの気持で思ったりする。うーん、それって・・・いや、その人はいい人だったんですけど。というか僕はいい人にしか違和感を感じないのだ。友だちとか。