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 後藤繁雄さんの編集教室スーパースクール関連のブログを並行してやっているんですが、だんだん内容がわかってきたのでご紹介します。
 http://ss13.g.hatena.ne.jp/note103/
ポール・ボウルズの告白?シェタリング・スカイを書いた男? [DVD] 下のほうでペン大生にして英米文学の(というジャンルで良いのでしょうか)大和田さんとやり取りさせてもらいながら思い出したのは、そこで話題に挙がっている山城むつみさんの奥様の旧いお友達がやはりこのスクールの卒業生だったということと、今僕と同じ期に通っている同級生は飯野友幸先生の教え子で、今回のスクールでみんなでやることになった企画「一人一冊、本を作る」でその方はジェイン・ボウルズ(『シェルタリング・スカイ』なんかを書いたポール・ボウルズの奥さんで作家さん)について評論本を書くのだということでした。16ページで。
 ジェイン・ボウルズについてはUPLINKで以前上映された映画『ポール・ボウルズの告白 −シェルタリング・スカイを書いた男− 』の紹介ページ(これ→http://www.uplink.co.jp/film/bowles/index.html)にテキストがあったので転載します。

Jane Bowels(1917-1973)
ポール・ボウルズの妻、作家。NYの裕福な家庭に生まれるが、父親の死後、一人娘を溺愛する母親のもとで育てられる。その後、落馬が原因で骨折した膝の治療のためスイスへ渡る。2年間の治療でも完治はせず、足を少しひきずって歩いていたという。1937年、ポールと出会い、翌年結婚。お互い同性愛の傾向が強く、常に別々の部屋で暮らしていたが、お互いの作品や経験について語り合い強い絆を保っていた。48年にモロッコに渡り、タンジールの市場でシェリファと出会う。シェリファの独特な魔術的魅力にとりつかれたジェインは、彼女に宝石や家まで買い与えた。58年、過度の飲酒とマジューンの常用のため、心臓発作で倒れる。そのため、失語症、視力障害、右半身麻痺に陥る。いくつもの精神病院での治療、そしてポールの献身な看護の甲斐もなく、73年スペインのマラガで死去。 ジェイン・ボウルズの才能は、二十代のころから、トルーマン・カポーティや、テネシー・ウィリアムズなどから高く評価されていた。22歳で処女長編『二人の真面目な女性』を着手、41年に脱稿。その後、『グァテマラの牧歌』(1944)『戸外の一日』(1945)『プレイン・プレジャーズ』(1946)を出版。しかし、「ポールは簡単に書くけど、私には難しい」と友人たちにもらしていたように、ジェインにとって、書くことは苦痛に満ちた作業だったようだ。
http://www.uplink.co.jp/film/bowles/cast.html