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他者と死者―ラカンによるレヴィナス 内田樹さんの『他者と死者』を、おととい地元の本屋さんで買ってそれから結構ずっと読んでいる。これが先に挙げた『科学の剣 哲学の魔法』とも近親性が高くて、というか響き合う部分が多く、内田さん本人もそこで採り上げられているレヴィナスラカンをよくわかっていない(とご本人が言っている)のにも拘らず、語られていることは非常にわかる、というか面白くって仕方がない。僕は、内田さんはエッセイストとしてコメンテーターとして有能な方、なのだと思っていたけど、いやそうじゃなくて、考える人として、また書く人として、とても良い人だと思った。
 もしかすると他の「おじさんがいろいろ拙見述べましょう」的な流れの良い文言のほうが彼のキャラクターとしては広く浸透しているかも、ブロガーだし(これ)、とも思うけど、この本におけるそれは難しい言葉群なのに何だか耳に心地良い。意味が分からない部分も、昂揚と美しさに魅了されるというか部分的には圧巻、というか、何だ、すんげー面白い小説を読んでるみたいな充足感じゃんか、と感じたりもする。
スペインの宇宙食 で、ここからが一番わかりやすくてまた言いたい話なのだが、前から思っていたんだが、内田さんの文章を読んでいると菊地さんこと菊地成孔さんの文章を非常にダブって思い出す。スノッブな感じとか演出の入れ方とか、周りの人々への姿勢、つまり世界の見方とか、なんかそういうものが似ている。フランス現代思想ラカンという具体的な共通項もそう思わせる一因なのかもしれないが、文章から立ち上がるカラーや香りにはとくに重なる印象が流れてる。
 で、菊地さんと内田さんはそうはいっても今のところ接点ないよな、年は7歳違うのか、とか思っていたが、最近の内田さんの日記で、菊地さんのアルバムに何度か登場し(スポークンワードやヴォーカルで)、また菊地さんがよくオススメしているブルースの本『ブルースに囚われて』の寄稿者であり、またじつはペン大の生徒さんでもある、慶応大学で英米文学の講師(たしか)、大和田俊之さんのことが出てきて、内田さんと大和田さんの交流がはじまったってことが書いてあったから、別にこれをきっかけに、ってことでも必ずしもないのだが、何かの一つの兆候というか、そのうちセッションとかあるかなとか思った。だからといって、菊地さんの本を好きな人が内田さんの本を読んだり、その逆をすることをここで勧めたくもなるのだが、むしろ似たような感じなんだから(とすれば)被って読んでも目が覚めるような驚きの体験とかではなく予定調和に近い確認作業があるだけだろうかなどと思ったりもしている。