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 昨日は合同ゼミ@京橋映画美学校
 今回はかなりチャレンジングな内容、頑張ってるんじゃないか、俺。意識的に「段取り」を排して臨んだのだが、そうすると「どうなる」のかよくわかってとても良かった。どうなるのかと言うと、自明の価値に沿ったものはできない、ということで、言い換えるとサービス(アミューズメント性というか)的には質が落ちるってことだ。名前のつかない、無為とも言える微妙な時間が流れる。退屈とさえ言えるかもしれない。それは僕が普段当然避けようとする状況だ。でもどうして、それを僕が避けようとしているのか、となるとあまりにも自明で当たり前すぎて、自分でもよくわかっていない、退屈を避けてじゃあどこに行っているのかといえば、べつにとくに何でもいい、ただ暇つぶしで好きとも言えない何かに漂流しているだけだとは言える。で、それはいやだ。いやだから、というか「いやだ」ということしかわからないから、その「避ける」を避けようと思ってそうしたのだが、そうしたら「どうなる」のかわかった、という話だ。
 自分が主役の自主ゼミなんだから、退屈でも微妙でもサービスなしでもいい。主役と言うとまるで舞台上の主役のようだがそうではなくて、お客様は神様です的な、つまり意識的な「鑑賞者」足りえる存在としての主役である。その場所が、内容が、進行が、「どう」なのか、判断してよい立場にあるお客さん・鑑賞者をここでは主役と呼んで、そういう人に自分がなって良い場所としての自主ゼミであり合同ゼミである。
 そこでは、「考える」ことが肝要だ。無闇に、どこへも向かわず、ただとりとめもなく「考える」ことが。そんなの、知らなくて参加してしまって付き合わされてやだなー、という方がいたら本当に申し訳ないと思う。後半は若干エンタな展開になったので、用があって前半で帰られた方にそういう方がいらっしゃったらとくにそう思う。でもあの微妙な前半1,2時間が、昨日の実は一番オイシイところだったのかもしれない、と僕自身は思っている。社会内価値とか自明とか自粛とか、そういうことについてみっともなく考える必要があると思うのだ。
 今後はどうなるんだろう。いやもう、全然わからない。エンタということに関しては簡単な解決策がすんなり見つかって、アイポッドウォークマンを持参している人がいたらそれで充足できると判明。3名でもいたらそれで2時間ぐらい愉しくやれるんじゃないか、いや本当に。ただそれはそれとして、このゼミに関してはエンタとかアミューズメントとかとはべつに(或いはそれも含めてなのか)、毎月やろうということ以外僕にはやっぱりわかっていない。そこでは何と言うか、大したことが行われているわけじゃない。でも「何か(なにか)」は行われている。そんなの当たり前なのだが、当たり前のことを当たり前だと扱わないで、つまり見なかったことにしてしまわずに、凝視したり注意を散らしながら横目で集中して見てみることで、当たり前じゃない何かが出てくるって気がしてる。のか、どうか。判断保留、判断保留・・・。次回は8月19日か26日で、26日はMARASICA(マーラシカ)のライブなので重なりたくないが、26日になるかも、という次第。また告知します。