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 文庫棚をザクッと整理していたら『志の輔旅まくら』が目に入って、でも気にせず整理を続けたが、あとから徐々に気になってきてついに手に取る。Why 志の輔がこんなとこに?たぶん、実家からピックアップしてきたのだが、読み始めたらこれがまごうことなき傑作。めちゃくちゃ面白い。本なのに声が聴こえる!やっぱりこれだから書き起こしってあなどれない作業である。今まさに毎日やっているが、書き起こしって、何だか「下仕事」というか、「誰にでも出来る雑用=出来たからといってあまり価値はない」と思われがちなんじゃないか、という気がするけれど、それは「文章は誰でも書けるが文豪は少ない」とか「シャッターは誰にでも押せるが真の写真家は少ない」とか言うのと同じで、「出来る」って事と「ちゃんと出来る」ってことは全然違う。別に書き起こしの社会的立場や捉えられ方を向上させたいとも思わないが、やる人によってこうも違うのか、ということを明らかに感じる。誰が起こしたのかわからないが、これは本当よく出来ていて、久しぶりに本を読みながらクククと笑う。それは地味にこみ上げるようなやさしい空気で、爆笑とか腹よじれる、とかいった宮沢章夫『彼岸からの言葉』や中島らも『たまらん人々』で体験した笑いではないが、やっぱり笑いの大きなパラダイムの一つを示している。でも、パラダイムって何?いや、つまり矛盾した二つの事象を予断も躊躇もなく同時に投げつけられることで生じる強力な凄みある笑いっていうのが落語的な笑いにはあるようで、これは「まくら」の本なのにそれが出ていてやっぱりすげーなーとか思う。よくある落語の真骨頂的ネタで、「暗闇にヘタ」というのがあるけど、まあそうした「発想の呪術的なまでの飛躍」とも言えようか。しかも志の輔さんはそういった話を本当に低い低い腰と目線から放っているので、その本質性に安心も加わってある意味無敵なのである。真剣に読んでしまうので一篇読むたびにちょっと疲れるのだが、それはなぜか退屈というか倦怠を伴う疲れで、きっと落語がある種のルーティンを味方につけた芸術ジャンルだからだろうが、そうやって疲れているのについ「次、次も」と読み進めてしまって、読み終えてしまった頃には朝で、相当疲れた。