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 きのうは朝日カルチャーセンターに、河合隼雄先生と茂木健一郎先生の対談を聞きにいく。対談ではあるが、これは茂木先生が今後進めていく講座の第1回でもあって、いわば特別講義のようなものだと思う。
 河合先生を間近で見られる機会なんてそうそうあるものではないので、もう相当前から予約していたのだが、その日がきのう、やってきた。
 準備は万端、最前列でお二人のお話を拝聴する。本当にいろんなことを考える。素晴らしいお話や雰囲気がばしばし出ている。それを受けてまた頭の中でずーーっと考えている。良い点はいっぱいあって、それはまたちゃんとしたテキストにしよう。やっぱりほら、ブログは修正が効かないから。→それはつまり、ブログっていうのが、ちゃんと時間をかけて直すことに重きをおかないメディアだってことだ。だからくだらない!というのでは勿論なくて、それはそれ、その適正を生かしてのテクストのアップが求められる。というか僕は求める。
 だから、ちょっと悪い話もしよう。悪いって、何が?それは、僕が「やだな」と思ったこと。さっき初めて茂木先生(というか、ここからは茂木さん)のブログ(http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/)を拝読したら、コメント欄やトラバでの感想にはその日の賛辞ばかりで、あれ?もしかしてぼくの感じたことって、あすこに行かなかった人にはこのままじゃぜんぜん伝わんない?って思ったのと、やっぱりなんというか、これは僕がこのところずーっと考えていることに超かかわるんだよなー、と思うから言うのだが、当日の「進行」にはちょっと問題があった(という書き出しはなんだか月並みな・・・批判型アクセス礼讃ブログのような)。それは進行役を務めた茂木さんひとりの問題ということではなくて、やっぱり朝カル全体、さらにはお客さん全体、さらにさらには、そこにはいなかったけれどそこにいたお客さん「のような我々(もちろん僕も含める。でもそれは”僕のすべて”ではなくて、”或るときの僕”だ)」全体の『姿勢』にまつわる話だと思う。


 それはなにかって、じつはこれ、すっごい具体的な話なのだが、質疑応答の時間は40分で、質問希望者はと言えばもう沢山いた。バーッて手が挙がって、そのうちの誰を指したらいいのかわからない。そこで茂木さんは、朝カルの人に「そちらから指名してください」ということを言うのだが、まず第一にそれってどうなのか。芸能人の記者会見ならともかく・・・とふと思う。第一、挙手の様子がいちばんよくわかるのは、1メートルほど高みにある舞台上なのだ。だから係の人はろくに指名なんてできなくて、結局それでどうなったかっていうと、一般の人に関しては、そのいくらかを河合先生が指名されている。
 「一般の人に関しては」・・・とは、どんな意味なのか。つまり僕が次に「え?」と思ったのはこのことで、壇上の茂木さんは、残り時間が少なくなった頃に(少なくなった頃に。)ふと、会場でみんなと一緒に聴講していた研究者の池上高志氏に向かって「じゃあその辺の話で、池上さん、何かありませんか?」といきなり指名する。それからどうなったのかと言えば、池上さんは延々と、よくわからない話をしている。複雑系なのだ。悪口じゃないよ。ていうか、よくわからないのは僕だけだったろうか?
 じつのところ、僕はべつに池上さんがむつかしい話をしたことをどうこうと言っているのではない。ただ、それは本当に彼がそこで質問したいことだったのだろうか?ということだ。話の流れ上適格だから、池上さんに貴重な意見を頂こう!と、茂木さんが会の内容の充実を図ってそういう段取りを踏んだのかもしれないとも思う。でもそれは、他の質問希望者たちがしたいと思っている質問以上の何かである可能性をはらんでいたのだろうか。僕にはそうは思えない。池上さんの話は、結果的には、そこでなければできない話では、ぜんぜんなかった。結果的にでなくても、そこで成される必要があったとも思えないし、なぜなら池上さんに比べたら、他の人たちには河合先生に質問をできる「次の機会」にめぐりあえる可能性が明らかに少ないからだ。(ちがいますか?)


 とはいえこれは旅のはじまりで、おんなじことが、なんともう一回繰り返される。ずっと手を挙げていた人たちはどう思ったろう?やはり会場で聴講していた鏡リュウジさんを茂木さんは指名して、「せっかくだから、何かないですか、鏡さん?」と訊く。・・・なぜ鏡さんなんだ?ひょっとしてギャグ。いやギャグではない。繰り返すけど、僕は茂木さんにも池上さんにも鏡さんにも、個人的な恨みとかはぜんぜんない。本当の敵っていうか、本当に「やだな」と思う相手は、たぶんどっか、別にいる。どっかもっと、別のところに。でもこの時の流れというのは、本当にちょっとどうかと思った。いや、ちょっとじゃない。
 だって、鏡さんも池上さんも、他の人たちに比べたら、もっとずっと河合先生にコンタクトを取りやすい人たちじゃないか?茂木さんを経由してとか。いやホントに。しかも、鏡さんてべつにそんな、自分から挙手してたりしたわけじゃないのにさ。なのに、なぜだ?会の充実を図ってだろうか。だとすれば、それってあまりにも、聴講者たちを軽んじていると思うのだけど、そんな見方って偏狭だろうか。


 このお二人を併せて何分が過ぎただろうか。僕は池上さんの箇所は永遠に終わらないんじゃないかと思ったほどだ。でもこれは、しつこいんだけど、池上さんのせいじゃない。だって、「本当に言いたいこと」じゃないんだもの。それをその場で機転を利かせて会場をワッと言わせてスマートにまとめてカッコよくしめるなんて、パフォーマーじゃないし彼の本分でもないのだ。そんなこと、ぜんぜんできなくていい。というか、できたら変だ。つまり、そこで時間が幾許か過ぎて、「規定の時間」がフツーにやってきて、挙手してる人はまだ沢山いたけど、茂木さんは「じゃあ時間なんで」と言って、半ば強引に終わっちゃったのだ。
 時間通りに終わるのが悪いわけではないが、この終わり方はあたかも「僕は終わりたくないんですけど、会場の都合で・・・」といった仕方だったからで、くだらない!!と思った。延長することが正しいというのではなくて、だって、まる2時間とか、水だけ飲んで喋りっぱなしなのだから、それはお二人とも疲れるだろうし早く休んでくださいとも思うのだけど、でもそれなら、「疲れたから終わります。質問できなかった方、すいません」となる方がずっとマシだ。え、さっきの名のあるお二方の質問のおかげで、私が質問できる時間がなくなったの?と思った人って、いるんじゃないかな。いやべつに、その質問できなかった人の質問内容を聞きたかった、という話ではなくて、そういう「ルール」とか「常識」みたいなものを身代わりにおいて、自分は悪くないよーって感じにするのがすごく「やだな」と思うのだ。
 そしてそういう流れを、「しょうがないよね」というふうに受け入れちゃう場の雰囲気もすごく「や」だ。だって、たとえば「会場の使用時間」って、誰が決めたんだ?人間だよね。片付けるのも人間だし、カギを閉めるのも人間だよ。なのに、一体何に気をつかって人生に一度しかない機会を諦めなくてはいけないのだろう?ルールはいつしか当初の目的を見失って、人々を抑圧しがちだけれど、それに自覚的に対処している人って、どれぐらいいるだろう。僕はえらそうに言ってるんじゃない。けっこうはっきり言ってるだけだ。
 常識やルールというのは、常に変更可能であるべきだ。常識とかルールっていうのは、何か理由があって、効率化とか簡便化とか理由があってできるもので、それが機能しなくなったらガンガン変えていかなくてはならないのに、一度決まった「ルール様」に人間の方が合わせているから、しかもそれに無自覚だから、こういうホラーのような不幸が起こる。「しょうがないよね」って、しょうがなくないよ。ぜんぜん。


 自分の感じていることが、そういった固定化された常識から外れていたとき、それって本当は、固定化された常識とかの側を変更する必要に迫られているのだが、「常識とかルールというものは、動かせないものだ」って思い込んでいると、自分がオカシイんじゃないかって、人は考えはじめてしまう。しかも、「それは動かせないものだ」って思い込んでいるのが自分のまわりも含めた多くの人だったりするんだから、これってかなりリアルなホラーだ。現実なんだから。
 それはまあ、どう考えたって常識から外れているっていう認識もある。「俺って、高速で走ってくるトラックの前に飛び出すのがなんか好きなんだ」っていう人は、どこか問題があるかもしれない(かもじゃないかもしれない)。でも、僕がここで言うのは、もっとなんか、狭くて、微妙で、くっきりした、間違ったルールのことだ。


 本当はこの文章、茂木さんのブログ(ココログ)にトラックバックしようかなーとも思ったのだが(ココに→http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/04/post_211a.html)、それってなんか本質的に違うなって思ったのでやめました。本質的にっていうのは、つまり、「間違っているのにも拘わらずまかり通っている、常識から見たらメリットとも言えるけれど、本当のところではぜんぜん自分が求めていないもの」のことで、そういう本質的には求めてもいないものが、やって来る可能性があるからだ。
 うん、まあ本当なら、できることなら、あの会場で僕と同じように感じて、でもブログ検索とかしても誰もそんなこと言ってないからっつって、私ってオカシイのかしら?とか思ってた人にはこの文章を読んでもらいたいし、言い換えれば、「おーい!あなたみたいに感じた人はここにもいるよー!!」ってふうにお知らせしたりしてあげたいのだけれど、世界中にいるそういう人にそんなアナウンスをするよりも、なんというかもっとちゃんとこういうことについてまとめたり、或いはまとめながらさらに考えてみたりすることの方が、いまは大事な気がするから、そういう作業を邪魔されないように、このまま、いつもこのサイトを見てくださってる人にふつうに読んでもらえたらいいかな、と思ってふつうにエントリーします。