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1128日記

円盤大学へ。ゲストはオフノート主宰の神谷一義さん。
円盤大学は今回を含めてあと5回(多分)ということで、次回次々回はペン大と被って行けないという事情も鑑みて何が何でも今日は行っておきたいと思って行ったら本当に素晴らしい内容でした。
僕はオフノートのことは良く知らなかったので行く前にせめてもの、と思って検索かけたりしたのだが全く全貌というものがわからなくて、今日行ってみたらどうしてわからなかったのかがわかったような気がした。オフノートは、というか神谷さんのお仕事というのは、本当に面白い。どういう意味で「わかった」のかとか「面白い」のかとかはまた書けたら書くし、ここに書けなくても「大谷能生フランス革命」註釈とかその他とかで何とでもフィードバックされると思います。
印象に残ったのは岸野さんの言う「絶対的な価値」という言葉を巡る話で、「個人だけに通用する価値」ではない、共有できる絶対的な価値、というものが今失われている気がする、それ(共有できる絶対的な価値があるということ)は妄想に過ぎないし、時代時代においてのかりそめのものかもしれないけれど、でも。というものだ。
その例として*1、好きな女の子がドルフィーを好きだからという理由で、話を合わせたいから、気に入られたいから、別に好きでも何でもないけれどドルフィーを買って聴いてみる。或いは、かつてアグネス・チャンがお蕎麦を食べてるシーンをTVで見たらその様子があまりにもかわいくて気になってアグネス・チャンのレコードを買ってしまったということがあったとして、それは非常に尊い行いなのではないか、と仰っていたのだけど、それはつまり、他人が「イイ!」と言ったものに乗ってみるということ、大勢の人間でひとつの「絶対的な価値」を共有することを、恐れずにやってみることの可能性、についての話だったのだと思うのだけど、同じ文脈の話を岸野さんのサイト内BBSでされた際にも「オウムのことがあってあんまり大きな声では言えないけどさ」みたいなことを仰っていたことを思い出しつつ、それは本当に面白い話だと思った。
また、今後のことなのでここでは書かないが、神谷さんの仰っていたこれからのオフノートおよび神谷さんの活動の展望や、これは今後の事ではないのでザッと書くが、オキナワの島唄の「しま」のことやジンタやチンドン(とその違い)の話、それからそれからつれれこと市川と葛飾の関係などなど、あ、あとあれ、ライブとCDにおける作品性の違いや「充電期間」やあれやこれや、むむむ、本当に面白かったです。
3時間。

*1:ところで、岸野さんのお話には「たとえ話」が多い。そこで思い出すのはかつて何かの対談で(と言いながら実は何の対談か憶えている。憶えているのだが関係ないので言及しない)写真家のホンマタカシが「たとえ話って面白いなーと思って」と言っていたことなのだが、それとは全然関係なく、たとえ話というのは、言葉で説明することしか出来ない今回の公開対談のような形式において何かをよりわかりやすく説明する為の、『図説』のような役割を多分果している。その「たとえ話」を出す事によって、話者は聴取者に、具体的な映像(のようなもの)を、なるべく共有できる図として提供して、それを参照しながら論を進めるのだきっと。