- 連想でどこまでか、書く
1. 講義録サイトの
講義録とは関係のないページを書く。
ひとしきりやって区切りもつけて、明日見直してよければ公開の段取り。
2. 段取りといえば
村上春樹のことも好きなYo-Kingさんは、かつて『ダンドリくん』がすごい好きだって、いとうせいこうや桜井さんとやってたスペースシャワーTVの『ヒマラヤ』というウルトラ面白かった番組で言ってたなあ。
記憶が錯綜して、その中で連想してるからわかりづらいけど、『ヒマラヤ』には朝日美穂が『勉強』出したころ(それってほとんどデビューか)にゲストで出てて、でもあの頃のYo-Kingさんは本当に「神」のようにウルトラ面白かった。俺は(俺はと言う)あのときの彼は1秒1秒、”クリエイト”というものをしながら生きてたよな、と思ってる。不可能なんてないってことを、真剣に実証してた。
勿論だからと言って、今はそうじゃないとか言うわけではなくて。
ただその時というのは、いろんな要素がかみ合って、すべての瞬間に、彼が結果的に生じさせた奇跡があったなーっていうことだ。彼の触れるすべて、見るすべて、思う、喋る、作る、笑うすべてのそのすべてが、無限大の可能性とともにあった。
ちなみに当時の彼らの曲と言ったら『エンドレスサマーヌード』とか『愛のオーラ』とかで、「僕はもう無敵なのさ」なんて歌い出しって、やっぱりあり得ない。でも僕が本当に真心に盛り上がったのはその少し後の『サティスファクション』だったけど、それの入ったアルバムはそこまで上がらなかったな。
3. 『ヒマラヤ』
って番組では、毎週Yo-Kingさんの突飛かつ人生を実験室に置き換えた頑張りの一形態であったギャグ(いま思えば「一人ごっつ」の頃の松本人志の姿勢と似てるな)に、いとうせいこうがまたすごい頑張って傍観したりついてったりしてとてもスリリングだった。
それにしたって何でこんなことをそれこそ頑張って書いているのかと言ったら、きっと僕は忘れなくてもほとんど完全にほとんどすべての人の頭からそれが失われるからだ。(元からないものがその先も生じないことを ”失う” という言葉で演繹して表すことができるのだとして、という言い方だけど)
1997年〜アレ(大江健三郎風)がここには確かにあったのに、そしてそれは「神」によるジャンプ/奇跡であったのに、もう幾年かすれば間違いなくなくなる。それはもはや哀しくさえない(クリシェ)。それは、徹底した無感覚(夢)を貫くかそうでなければ、虚構上のセンチメントに包含された喪失感によってしか味わうことのできない(その奇跡が大きければそうであるほど効果の高い)快楽装置として機能するかのいずれかのかたちでしかありえないのだし、あるいは初めっからそのためにってことでさえあったのかもしれない。
4. でも本当に思うのだけど
そういう冗談みたいにイイ番組を、各放送局はもっと財産として扱わなければならないんじゃないかな。もし扱いに困るんだったら、どんどん所有権を譲渡するべきじゃないかな。
『ヒマラヤ』のスピードは2004年(もう7年前だ)にあってはいくらかそのエッジを緩めるかもしれないけれど、でもそれがあったことを知らせることは、「人」にとってきっと有益だ。
むかしJ-WAVEで『a radio show named "SATURDAY"』という小沢健二の番組があって、それもやっぱり奇跡と可能性の番組だったな。
でもそれが再放送されることはなくて、それはもう誰が悪いとかどの状況が邪魔してるとかじゃなくてただ「そう」なんだろうな。
でもやっぱり録音を保有してる誰かが邪魔を跳び越えてその財産の輝きを「人」に知らしめるべきだとは思うな。小沢健二は本当に毎秒面白いことを言ってその情景を僕の目の前に現出させてくれていたから。
5. ふっと過去の
幻影から解放されて、何か本でも音楽でも薦めようと思うのだけど、聴いているのは前に挙げた『ブーメラン』だし、読んでるのは古本で買った『エンタクシー』だし(面白いよ)、画像出して華飾ろうという目論見は脆くも・・・あ。
いや、駄目だ。探したら画像なかったや。
それはもっといい機会に。(でも今思いついて朝日美穂の『勉強』のジャケ載せました)
では。
note103 | 日記 | 03:19 |