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そういえば今日、タワレコのイベントが始まるまで会場でかかっていた曲のうちの一つがものすごくいいな!と思ってたら帰り道でiPhoneから流れてきた、数日前にヒアホンの付属CDからiTunesに入れといた蓮沼執太さんの「Earphone and Headphone in my head」という曲で、入ってたのかよ、と驚くのと同時に「やっぱり」と思った。まるで佐々木さんが演奏してるんじゃないかというぐらい佐々木さんを通してでなければ出会えなかった感じの音楽だ。2006年の初夏、ムサビの佐々木さんの授業にもぐってDVDでgroup_inouのパフォーマンスを見た時に似たなにか。あのDVDいいですよねー(仏革にも書いた)。あのDVDを見た時、きっとこの曲をつくった人はYMOを好きなのに違いない、と思ったけどYMOのことなんて何も知らなかった私がそういうことを思ってその数年後(かな)にそれについて調べて寄稿しているのだから妙だ。

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人間はどんどん弱くなっている。もう村の外れの川まで水を汲みにいく必要のない生活を送っているのだからその流れは戻らない。しかし一方、強くなりたい、と思う力もきっとなくなりはしない。というより予感として、蛇が自分の尾を飲み込むようにそれらはリンクしてリングになっているのではないか。TVはもういらない、と言った人の行く末が「TVが一番面白い」と言えてしまう人であるようなその構図。TVはもう同じような仕方では面白くはならないかもしれないが、TVにしかできないことをしていくことできっと息を吹き返すし現場の人はそのことをしか考えていない。TVをTV扱いしていない人だけがそれを悪くするのだろう。
人間はどんどん弱くなっている。もう村の外れの谷川までデカくて重い桶を抱えて水を汲みにいく(そして帰りにはさらにずっと重くなったそれを抱えて帰る、そんな)必要のない生活を送っているのだからその流れは戻らない。だが同時に抵抗を続ける人もいなくはならないだろう。振れ幅は大きくなっていくかもしれない。いろんな人が出てくるかもしれない。いや、今までもそうだったそのことがわかりやすくなっていくだけなのかもしれない。大きくは変わらないだろうがちょっとずつは変わるだろう。きっと取り返しのつかないかたちで。それは北と南、西と東のように真反対を向きながら、しかし一周してつながりもはや「方角の概念が無効になってしまった」時になって初めてわかるようにやはり一つの現象を言い表す異なる言い方に過ぎないのかもしれない。

新宿で時間が空いたのでいくつか大きめの書店を回った。ジュンク堂さんにはこのところ幾度かお邪魔して、今日は休日でさらにカオスだろうと思ったので遠慮して紀伊国屋書店さんのタカシマヤの方と、新宿通りの本店に行ったりした。本店には紀伊國屋ホールがあって、以前菊地さんと大谷さんのイベントを見に行ったことがある。音楽書の階で今後の作業の資料になるものをすこし買い、階段で6階を通り過ぎようとしたときに、ああ、「じんぶんや」という活動をウェブでよく見るな、と思って中に入ったら凄かった。紀伊国屋さんは凄い、とあらためて、というかこのレベルにおいては初めて思った。疲れていたからかもしれない。ともあれ「みすず書房」のフェアをやっていてひっくりかえった。背の高い、大きな棚をいくつもならべて相当な数のみすず書房の本が、在庫僅少本を含めて一堂に会していた。これは凄いフェアですね!と店員さんに言おうと思ったが皆さん非常に急がしそうに立ち振る舞われていたので遠慮した。その後、ユリイカのバックナンバーが一堂に会している棚にも遭遇したので「まずい」と思いながらしっかりその背表紙群に魅入ってしまった。まずい、というのはつまり「お金、なくなる」ということだ。
とにかくみすず書房フェアにはおどろいた。企画と実現をされた方々に感謝を伝えたい。

チャット・クライアントをiChatからAdiumに変えてみた。前にも何度か使ってたけどテーマ(背景色とか)がいまひとつやなー、と思っていたら相当いろいろカスタマイズできるのだった。チャットは一日中起動している。
Skypeも使ってなくはないけど使ってない時間の方が多い。今はjabberがラク。でもAdiumなのでmsnのメッセンジャーとかも受け取れる。winの人はAIMでもmsnでもGoogleトークでもその辺からコンタクトしてくれたら私がラク。Macの人はそれに加えてmac.comでもOK。宛先は別途聞いてくれたら教えます。(というかjabberGoogleトークは私のGmailアドレスだが)
それはそれとして、そういったものを使わなくてもTwitterとかmixiのDMやメッセージ機能をつかえば、メアドなどの連絡先をわざわざ知るまでもなく連絡し合うことができるわけで、それはやはりすごいことだ。連絡を取りたい相手がいて、その人の名前(id、アカウント)だけでもわかっていればいい。はてなsns機能を増し増しにしつつあるということで、きっとそのうちはてなidを持ってる人同士のメッセージ送受信ができるようになるんだろう。(というか現時点で出来ないのが不思議なほどだ)
「私のSkypeIDは・・・」とか「私のメアドは・・・」なんて言わなくても済むのがやっぱりいいな。その点においてTwitterはけっこうラク。Twitter上で出会ったときにはすでにその人の連絡先を知っているようなものである。Twitterでなくてもいい。それ的な何かであればいい。さっき書いたmixiもそうだし(しかし私の興味のある人の何割かはmixiをやってないかやっているにしても私は知らないし知りたいとも思わない)、最近ではfriendfeedのbetaページでダイレクトメッセージ機能が付いてておどろいた。

今日は新宿タワレコ佐々木敦さんと岡村詩野さんの「音楽雑誌なんかいらない!」トーク。そのトークのタイトルにとくに意味はなくて、きっとないだろうなーと思ってたらやっぱりなかった(でもそのタイトルとまったく関係ない話をした、という意味ではなくて、その話しかしなかった)。あえて言うとすれば「(ある種の)音楽雑誌なんか〜」とか、「(ある意味においては)音楽雑誌なんか〜」ということになるんだろう。
お二人とも非常に面白かったんだけど、岡村さんの言われることや書かれることというのは僕個人の嗜好とかと重なりながらズレていて、そのズレた部分は今後もズレたままだろう(むしろ距離は広がるばかりだろう)と思えるかたちの深い溝を間にはさんでいるのだが、だからこそというか、興味ぶかい方である。至言はいくつもあったけど、「存在意義のないものも存在するべきなんですよ」というのが良かった。(岡村さん)