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やる気の研究

取りかかるべきなのに取りかかれない、というモチベーション管理のコツが少しわかった気がする。

何らかの作業をやりたい、と強く思えるのはどういう時かというと、その作業が上手くいった時の状況を想像できてる時のようである。ではそういった想像をいつできるのかというと、その作業をしているときが一番想像しやすい。

 

つまり、取りかかる前にそんな想像をかきたてることは不可能ではないが困難。というか非効率。その作業を実際やっているときの方がずっと容易に「もしこれが上手くいったら・・」と想像できる。

 

例外的に、まだやってもいないのにそれをやりたい、と思えるのは目の前で自分以外の誰かがそれを上手くやってる時。

他人が上手くやっている姿を見ることにより、自分がそれを上手くやった時のことをありありと想像できるからまだやってもいないそれをやろうと思える。

しかし大半の場合はなかなかそんな状況には遭遇できないので、やってもいないのにやる気になれることはほとんどない。

 

よって「やる気が出たらやる(出るまでやらない)」という取りかかり方を選択したらいつまでも取りかかれない方が自然。

やる気はやってない時に自然発生するものではなく、それをやってる時に後追いで出てくる。その傾向を生かした方が効率的。

 

具体的な方法としては、取りかかるきっかけはやる気以外の何か(時間とか他人の行動とかの外部的な出来事)に託してとりあえず始めてしまい、その後に発生するやる気を使って持続&加速する、というのがラクに思える。

2016-09-20 Tue: 信頼を失う・お宝・Panasonic

  • 猛烈に忙しいここ半月だった。前回の日記が3週間前だったのでだいたいそれと同期している。
  • 昨日おとといぐらいは1日あたりの作業時間が年間ベスト3に入る勢いだった。
  • 今日火曜の午後3時過ぎぐらいにそのピークが一旦過ぎた。人間に戻った。という感じ。
  • じつは昨日月曜の夜にも一旦ブログを再開しようと思って書きはじめたのだったが、あまりに疲労がすごくて途中で断念した。本当に疲れると数行のブログすら書けない。
  • 今日はサッカー雑誌のインタビュー記事に関する捏造疑惑が話題になっていた。率直な感想、いたたまれない……。
  • 疑惑告発的な案件に関しては、基本的には告発する側が最後まで証明すべきだと思うが、本件については告発側がけっこうしつこく出来ることをやっている感じなので、結論的には「あとは読者が決める」という感じなのだろう。
  • 告発している側は誰でも確認できる事実を並べて「この事実をもとに推測すればこうなるよね」という論法を用いているので、受ける側も同様に、誰でも検証できる事実を並べて「この材料をもとに論理的に考えればそれは間違っていて、こう捉えるのが筋だろう」と言わないと信頼は得づらい気がする。
  • 信頼といえば、「信頼を得るには時間がかかるが失うのは一瞬だ」みたいな話がよくあって、しかしそれは本当か? と最近よく思っている。
  • もし誰かが何か一つ決定的なミスをして、そのミスした人を信頼できなくなった、なんて状況があったなら、そもそもそれまでにしてもその人に対して曖昧な根拠をもとにぼんやり「信頼っぽい何か」をしていただけでは、という感じがする。
  • ぼくにとって「信頼」というのは「シャワーでお湯の蛇口をひねればちゃんとお湯が出てくる」とか、「お気に入りのボールペンで文字を書いたらいつもどおりのインクの出方をする」とかいったことで、これを抽象化して言えば「これまで出来ていたことが今後もできることを期待・予測できる」ということだ。
  • 何か一つ、期待していたとおりの動作をしなくなったとしても、それはべつにこれまできちんと動作していたことを否定する理由にはならない。ボールペンならインクが切れたというだけのことだし、シャワーなら蛇口のネジがゆるんだのかもしれない。
  • 「信頼を一瞬で失う」というのは、それまで出してきた結果・成果・実績が立ちどころに全部「なかったことになる」ということで、しかし「全部なかったことにできるような成果」とはどんなものだろう? ちょっと想像がつかない。
  • 言い換えると、そのようなことが実現されるなら最初からそのような成果はなかったのではないか、ということ。
  • さらに言い換えれば、普段着実にそれなりの成果を出しているなら、一度や二度の失敗で「信頼=それまでに積み上げてきた実績」を失うなんてことはないのでは、と考えている。
  • 夜、「なんでも鑑定団」を見ていたのだけど、1500万円だかで購入した仏像がニセ物だったそうだ(結果だけ見逃したので家族から聞いた)。本人は「本当のことがわかったからよかった」と殊勝なことを言っていたようだけど、いやそれ、普通に売っている人、犯罪なのではないか・・?
  • というか同番組、お宝の内容を紹介するための映像部分が良くできているので時々見るのだけど、しかしどう考えてもこの「ニセ物でした、残念!(笑)」という、この最後の(笑)が理解できない。いやそれ、詐欺じゃないの? 売った人に問題はないの? ・・謎である。
  • リオ・パラリンピックのまとめ的な番組をEテレで見ていた。閉会式の様子を映していて、東京との引き継ぎパフォーマンスのところ、前半は「ああ、カッコイイね、音楽も綺麗だね」なんてふうに見ていたが、ピチカート・ファイヴの「東京は夜の七時」が流れはじめたあたりから「・・あれ」という感じになって、その辺でようやく気づいたのだけど、パフォーマンスの一番目立つスクリーンの場所にピカーンと「Panasonic」のロゴが映っていて「ああ・・」という感じになった。
  • どうしてあんなところに企業ロゴを出しているのだろう? まったく理解できない。宣伝のつもりなら個人的にはまったく逆効果だった。そのスクリーンでどんなに先進的な映像を流していようと、その前でどんなに目を見張るダンスをしていようと、どんなにカッコイイ音楽が流れていようと、暗闇の中で一番光を放って目立つ場所に置かれているのはそのロゴなのだ。周りのパフォーマンスとの同期もなければ調和もない。ただひたすら無視しようのない輝きで「このスクリーンを作ったのはPanasonicです」というメッセージを放っている。
  • どうしてあそこにロゴを出しっぱなしにしよう、と思えたのだろう。憤りに近い諦めを感じた。あまりにも視野が狭い。その場にいる選手も、パフォーマーも、お客さんも、スタッフも、すべてがそのロゴのもとに等しく軽んじられている。あの場であのロゴが燦然と輝いて、誇らしい気分になった人がいるのだろうか?
  • 実在の誰かがそうするように求めたのだろう。その人には悪意もなかったに違いない。しかしそれゆえに、救いがない。胸を締めつけられるような思いをした。

2016-09-02 Fri: Facebook休止・最近読んだWeb記事

  • 昨日金曜の作業時間は4:59:53。前日から1〜2時間減った。
  • メイン系の作業はそれなりに継続できたが、その作業時間が若干減ったかもしれない。
  • この土日はけっこう作業するつもりだったが、少し疲れが出てきているので控えめにやるかもしれない。
  • 最近はだいぶFacebookを見なくなった。以前は自分宛の通知が多少あったので、それを見ることを主目的に習慣的に見ていたが、それもだいぶ減った。
  • 今までTwitterの内容をFacebookに流していて、自分宛の通知の多くはそれにいいねがついたりコメントが付いたりするという、そういうものだった。
  • そのTwitterからFacebookへの連携をやめたら通知が格段に減り、それで見にいく回数も自然に減った。
  • べつにFacebookをやめたことによりさらに充実した人生を送れるようになりました、みたいな話ではなく、今ほんとにけっこう集中的に作業をしている時期なのでどうしても必要なこととかでなければ切り詰めたい、みたいなこと。
  • 最近読んで面白かった/いろいろ考えさせられた記事。

bylines.news.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

  • Twitterで匿名アカウントにプライバシー侵害をされたが泣き寝入りせず訴訟を起こし、勝訴したという話。
  • いかなる正義感によるとしても私刑として非公開の個人情報をさらすのは許されない。
  • というか、そういうのは自分が匿名でいられるというほぼ絶対的な前提があってこそできることだと想像されるので、その前提が一部であれ崩れたのは良いことだと思う。
  • ちなみに匿名アカウントの人にどう対するか、みたいな話は以前に書いた。
  • 匿名の相手と戦ってはいけない - 103

www.tokyo-np.co.jp

  • 東京オリンピックが今さら中止になっても何も嬉しくないというか、むしろリオの様子を見るうちに「東京もうまくいってほしいなあ」と思うようになったが、それはそれとしてこの2億円に関するJOCの姿勢はひどい。
  • 調査チームはできるかぎりのことをしたのだろうし(本人がそう言うなら)、その結果として報告内容が中途半端になってもそれは仕方ないことだと思うけど、この報告を受けて「疑念は払拭できた」はさすがにナイだろう。
  • というか、かえってJOCの本件に関する認識がそのようなものだ、ということを示しており信用を落としている。
  • 当時認識していなかった行為が後になって問題視される、ということは人間には避けがたいことで、ミスがあったならミスがあったとして対応すればいい。この場合であれば仏検察に最大限協力した上で、もしもその結果に不服があるなら裁判等できちんと争うとか。
  • そういうことをせず身内で適当なことをして「もう終わりました」とするのは「やっぱり何か隠してるんかな〜」という疑念をかえって増やしてしまうだけだと思うのだが。

チケット転売問題の解決法 大竹文雄の経済脳を鍛える 日本経済研究センター

  • チケット転売の件。問題を整理しつつ、最後には具体的な案も提示されていて面白い。
  • 行動経済学に関する部分は基礎的なというかあるある的な事例を出している感じだけど、行動経済学はほんとにこういう人間のソン・トク勘定的心理を扱っていて面白いのでお勧めできる。
  • このブログでもしょっちゅう抜き書きなどしているので「ダニエル・カーネマン」で検索してもらうとけっこう出てくると思う。

2016-09-01 Thu: 苦手なものが減る過程

  • 今日木曜の作業時間は7:15:46。先週はこのぐらいから4時間台にペースダウンしていたけど、今週はどちらかと言うとのぼり調子。まあまあ集中できている。
  • ただし、成果はかんばしくない。いたずらに時間が過ぎていく。焦る。ストレスが高まっている。
  • 対策は・・? ない。我慢して続けるしか。
  • 昨日に続きscholaの話。
  • 今作っているのは16巻目。クラシックにポップス、民族音楽と地域も時代も性格もバラバラの音楽を幅広く扱うこのシリーズに携わってまる8年半経った。
  • さぞかし音楽に詳しくなったでしょ? と思われるかもしれないがまったくそんなことはない。
  • ぼくというコップの大きさは8年前から変わっておらず、その器の「中身」がただ毎回入れ替わっているだけである。
  • 前のぶんを捨てなければ次が入らない。自分では捨てているつもりなどないのだけど、時間が経つとすっかり忘れている。
  • ちょっと調べる必要があって過去に編集した座談会などを読んでみると「こんな内容だったっけ〜・・」という感じになる。いつもなる。
  • だから詳しくない。そもそも覚えていない。
  • 言うまでもなく毎回真剣に作っている。おかげで髪も随分白くなったし、薄くもなった。全部scholaのせいである。
  • いや、8年半という月日のせいかもしれない。
  • ただ、全部忘れているとしても、かつて自分という器の中に入れたそれは、二度と苦手なものにはならない。
  • ふたたびコップに喩えて言えば、そのコップには以前入れた飲み物の匂いが残っている。こびりついている。
  • なにしろ半年とか1年とか、毎日毎晩同じコップで同じ飲み物だけを飲んでいるようなものである。すでに液体は一滴も残っていないが、その匂いはかすかに、しかし確実に残っている。
  • クラシックも、ジャズも、ベートーヴェンも、現代音楽も、アフリカや、日本の伝統音楽も、だからもう怖くない。
  • たとえば日本の伝統音楽。もし今、三味線や浄瑠璃や能の専門家が突然目の前に現れても、それなりに対応できると思う。ぼくはいまだにそれらの素人だが、もう「自分が何を知らないのか」を知っているから。
  • ジャズもクラシックも現代音楽もそう。ぼくはそれらを、その等身大以上には恐れていない。それが「どのようにすごいのか」について、詳細は知らないながらもアサッテの方向には認識していない。
  • それまでの人生で一度も魚屋に行ったことのない人は、魚屋で「どんな野菜を売っているのだろう?」と想像してしまう。魚屋で売っているのは野菜ではなく魚である。素人とはそれを知らない人である。
  • そのようにして無用な苦手意識を減らしてきた。あくまで結果的にであって、それを目的としたわけではないが。
  • 2013年からプログラミングの勉強を始めて、同夏にYAPC::Asiaに初めて参加し、それをきっかけにPerl入学式という有志のプログラマーたちが運営する無料のプログラミング講座に通いはじめた。
  • ぼくは不良メンバーで最近はほとんど現場に顔を出さなくなったが、Perl入学式のおかげでまた一つ苦手意識が失われた。コンピューター関係の何が難しいのか、そのうちの何を自分が知らないのか、以前よりはわかっている。
  • 去年の春からは簿記の勉強を始めた。2級には落ちたが(2回)、3級には受かった。
  • 以前から金の計算が苦手で、それは自分が金に関心がないからだと思っていたが、そうではなく計算ができないことを実感したくなかったからだった。
  • 今は源泉徴収の額も積極的に検算している。数字は曖昧な解答を出さないことがわかったから。企業の決算書を見ながら実際に電卓を叩き、報告どおりの数字が出てくるとけっこう驚くが、べつに驚くことではない。
  • これはプログラミングにも通じる。おかしな結果が出たら、プログラミングの途中に必ずそうなる理由が潜んでいる。
  • あらゆる分野を克服することが人生の目的ではないが、苦手なものが減るのは悪いことではないだろう。

2016-08-31 Wed: シャフリングのような編集作業

  • 今日水曜の作業時間は4:33:23。昨日火曜は6時間を超えて6:06:12だった。
  • 昨日はメインの作業をほぼできず、今日はメインの作業を集中的にやったのだったが、トータル時間は今日の方が少ない。不思議である。
  • このところのメインの業務はschola(スコラ)といって坂本龍一さんの音楽全集の制作である。
  • http://www.commmons.com/schola
  • 坂本さんが次世代に残したい音楽をCDブック形式でリリースする、というこのプロジェクトもかれこれ16巻目。スタートは2008年だからまる8年になる。今ぼくは41で、その頃は33だった。当たり前だが。
  • 当初は年に3冊(巻)出していたが、徐々にペースが落ちて今は年に1冊がようやくである。理由はよくわからない。以前から全力で走っていたが、今も全力で走ってそうなっている。
  • 制作メンバーはむしろ増えている。二つ前の14巻の頃はぼくの負担が最も大きくて、原稿の編集はもちろん、著者陣との連絡からスケジュール全体の進行管理まであらゆることを中心的に担ったが、今はそうした作業をサポートしてくれる人が1〜2人いる。(数え方によって変わる)
  • とくに、前回から書籍・雑誌編集のスペシャリストがフルタイムではないが恒常的にサポートしてくれるようになった。これが革命的な変化で、労力はともかく精神的にめちゃめちゃラクになった。
  • 「労力はともかく」というのは、これまで一人でやっていたことを複数人に分担するわけで、わざわざ言語化する必要のなかった知見を伝える作業というか、いわばマネジメント的な業務が新たに発生せざるを得ず、それを勘案すると単純に「人が増えたぶんラクになった」とも言えないということ。
  • それでも大きな違いというのは、やはり「業務内容について雑談できる相手が増えた」ということで、これは何にも代えがたいメリットである。
  • 「ここにテン入れるとくどいですかね?」とか、「ここの漢字はひらいた方が読みやすいですかね?」とかSlackで気軽に聞ける。
  • 実際には、そういった疑問に「正解」はない。というか、ぼくがそれを正解だと言えば正解になる(責任者だから)。でもそれを信頼できる誰かに「聞ける」ということがもうかけがえのない恵みなのである。
  • 何年前だったか、8巻が出る前後に主要スタッフが一部入れ替えになって、新たに入ってきたその人が良くも悪くもテキトウな風合いをもっていてとても助かった。ぼくもテキトウなのでお互いに気を遣わず、本当に大事なことについて、不毛な形式や手続きを経ずに、ダイレクトに、すぐに相談することができた。
  • その頃はSlackではなくSkypeを使った。
  • まあ、丁寧語や礼節は最低限必要なのだが、それでも結局は「最後に仕事がうまく収まれば仲は良くなる」。
  • いくら相手の気持ちや「今何を考えているか」を想像したってわかるわけがないし、それを気にしすぎて本当に言いたいことを言えないまま肝心の業務が進まず、仕事が失敗したらその相手に対して「失敗した仕事を共にした(そしてその原因になった)そいつ」みたいな印象を持ちかねない。
  • 1巻から現在に至るまで、ぼくの担当作業はどんどん増えた。周りの人たちから任せてもらえた、ということなのでとてもありがたい。経験値も高まった。
  • その間、ずっと継続して担当したのは、大きなところでブックレットのメイン・コンテンツである「座談会」と、巻末付録的な「年表」で、しかし元々は「年表」の作成担当みたいな感じで声をかけてもらっていた。
  • 「座談会」というのは坂本さんとゲストの専門家の方々が話した内容をテキスト化したものだが、1巻の制作中にふとその進行状況を聞くと、どうも最初の文字起こしをする人というのがまだ決まっていないようだった。
  • そもそも進行状況を聞いたのは「誰もやらないんだったら俺がやろうかな」と思ったからだったので、「じゃあやりましょうか」という感じになった。
  • 坂本さんが喋った、これから本になるはずの音声ファイルを自分が起こすなんて! まったく夢のような気分だった。その頃の自分に「夢」と言えるものはなかったが、夢が叶ったかのような気分になった。
  • その後、いつのまにか文字起こしだけでなく原稿の仕上がりまで任せてもらうようになった。ぼくから頼んだわけではない。「たまたまそこにいた」だけだ。ぼくを信頼してくれる人がそれを任せてくれた。
  • さらにいつのまにか、同様の感じでブックレットすべてのページに責任をもつようになった。そしてさらにいつのまにか、ブックレット以外のことも……。
  • ブックレットのページ数は上限が決まっていて(基本P120)、いつもそれに収めるために頭を悩ませる。
  • 内容が豊穣すぎて収まらないのである。
  • しかしあれこれ試行錯誤して最後には何とかそれに収める。これはほとんど魔法のようなもので、後になってみると「どうして120ページに収まったんだろう?」という感じになる。
  • 座談会の原稿も同様で、「今回は最大でもこの分量に収めなければならない」という上限ページ数があり、しかし坂本さんたちはどんどん面白い話をしていくので、普通にまとめるだけではまったく収まらない。だからそれをグングン圧縮していくのだが、この作業がとてもつらく、面白い。
  • そしてこれもまた、気がつくと綺麗に収まっている。なぜ収まっているのかはわからない。「眠っているあいだに別の人がやってくれた」という感じである。
  • 村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という小説に「シャフリング」という作業(というか何というか)が出てくるのだけど、ぼくが座談会の原稿を作ってるときってまさにそれをやっている感じに近い。
  • シャフリングについてはわざわざ説明しない。すでに知ってる人は「それか」と思うだろうし、知らないけど興味があるという人はいつでも読んでください。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)