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生とは可能性のこと、死とは返事をしなくなること

あるとき、ある人が死んで、そのことを残された人がどうやって実感するのかといったら、それはその死んだ人が、もう「返事をしない」ということによってではないかとふと思った。


生きている間であれば、仮に何年もの間こちらから呼びかけず、またその結果として長く声を聞かなかったとしても、とくに何かを感じたりはしないものだが、それから先どのように、どれだけ呼びかけても、叩いても、揺り起こしても、二度とその人がこちらに向けて目を開かない、声を出さない、気づきもしない、新しい反応をしないのだと、知ったときにおそらく、何物によっても埋められない欠落、喪失を全身で感じることになるのではないかとふと思った。


返事とは、だから生きていることそのもので、返事とは、だから生き物の可能性を映し出すもので、実際の音声や文字などの信号として受け取っていなくても、その可能性が残ってさえいればまだ聞こえているものであって、しかしその可能性が途切れた瞬間から、それまでに長い間、ずっと耳鳴りのように響いていたその人の音が、突然やんでしまい、それが人の死ということなのではないかと、あるときふと思った。