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自転と公転

このところはひたすら作業。基本的にはschola第11巻の作業。第10巻があと10日ほどで出るからその宣伝的なことも考えたり相談したり。

第11巻はアフリカ関連。第10巻は映画音楽。映画音楽については曲目も発表された。どのタイミングでどこまで公開するかはいつも悩む。誰の演奏によるどんな曲が収録されるのか。今回は比較的早く公開した。何しろ曲数が多い。しかし早すぎても楽しみを奪うところがある。AppleはiPhone4でそれをやられた。良くも悪くも。

現在何をどこまで作っているか、というのもどの程度まで公表するか悩む。早すぎても楽しみを奪う。しかし遅すぎては届かない。正解はたぶんないが改善の余地はつねにあるだろう。あえて正解を定義するなら正解を探し続けることだけが正解だということにならざるを得ない。

第10巻はかつてなくスムーズに作業を進められた。計画を緻密に立て、メインスタッフと昼夜を問わず情報共有を行い、ある程度までは理想的に進めることができた。とくに、楽曲の許諾交渉はつねに困難を伴うがこれが史上最高に大変だったにもかかわらずそこそこスマートに進行できた。最後の数日は映画にでもなりそうなほどスリリングだったが、それにしてもそれまでの実行過程が盤石だったからこそそこまで出来たのであってスポーツ選手が毎日練習してこそ本番で最良のパフォーマンスをできることに近い。その意味では毎日よく練習をした。

一方、反省点も深く濃い。許諾関連にリソースを注ぎ込みすぎて残りの作業の余裕が相当限られた。多方面に迷惑をかけた。最終的には数日間連続で睡眠を削りなんとかしのいだがいずれにせよまったくスマートではなかった。だから第11巻ではこれも含めてきっちりやり遂げたい。

周りから見ると、「なぜそんなところに時間をかけるの? 無駄じゃないか?」と言われるようなことが多くある。それは実際、誤った思い込みによる無駄な作業かもしれないし、避けがたい後悔と迷惑を自他に対してもたらすかもしれない。
しかし、誰にでも価値の分かる行為だけをやっていたら「それ」はできない。そんなことする意味が分からないよ、という人をなだめてはすかし、時には説得し、必要だと思うことを少しずつでも着実に積み上げていかなければ「それ」はできない。必ずしも全員に納得してもらう必要はない。本当のことを言えば、ある種のひとには邪魔さえしないでもらえたらいい。内容を理解し、支援してもらえたら言うことはないが、それがなくても完成させることはできるだろう。

邪魔をするひとは、邪魔をしようと思ってしているわけではないケースも多い(と思う)。そして、それこそが大きな問題だ。時には「よかれと思って」余計なことをする。また、そのような人は具体的なアクションの良し悪しではなく自らの意思、つまり自分の「つもり」を重視している。二言目にはそういう「つもり」ではなかった、と言う。しかしもちろん、ぼくはそのようなことに関心はない。これは自己愛の問題につながる。

自己愛とは地球の自転のようなもので、しかしプロジェクトの目指すところはそのとき公転に喩えられる。邪魔をするひとは自転における円運動を一番気にしているが、プロジェクト・マネージャーは公転の軌跡を気にしている。だからそのようなときには「きみ自身の自転については聞いていないんだ」という気になる。

進行中のプロジェクトについてどこまで透明化するか、ということは繰り返しになるが難問だ。ある種のお客さんには楽しく生きてもらわなければいけない。少なくとも商品に触れてもらっている間は。そのための方法をつねに考えていかなければいけない。