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大統領がその賞を受賞したのは核兵器をなくそうよって公言したからに決まってるじゃないか。むしろ今までそのことが騒がれなさすぎだったのだしこの授賞/受賞がきっかけになってその凄さに気づくってぐらいでいいはずなのにまだ平熱な感じなのがもどかしい。いやもどかしくはないが、あいつなんてまだ何もやっていないのにあんなに大した賞をもらえるなんて納得できない、何もしないでもらえる賞ならオレだってワタシだってもえらえるはずなのに、ということだろうか?どうも大統領と自分を同じ状況にあると仮定してあたかも我がことであるかのように置き換え考えられている空気が不思議だ。それは今までのその国の大統領にはできなかったことだしその人以外に今後だって誰ができたかよと思う。何十年いや100年経っても誰もそんなこと言わなかったって結果だとしてぜんぜん不思議に思わない。僕の立場で核はいけないよねー、とかいうのはまるで簡単だがその僕があの立場でそれを言えるかと考えれば相当難しい、というか意味がわからない、という感じだがその人はそれを言ってその夜のニュースを見て僕は比類なく驚いたのだ。
口だけなら何とでも言える、とはじつは夢の中での出来事で現実ではない。現実でそれをやってリセットのきかないところでそれをやって「ほら、何とでも言えるだろ」とは誰も言わない言う必要すらない。その賞はその人をただ普通に応援しているだけで認めたとかではない。一緒にじゃあ、頑張りましょうかといったのであってつまりその賞の人も核兵器をなくそう、と公言したにすぎない。彼を好きだとかその前任者を嫌いだとかそんな「身近」な話ではないだろう。もっとなんというかやるせない話だろう。その賞には実際なんの力もないことをその賞の人たちはその周りの人以上に知らなければならず実際知っていて諦めながらしているだろう。自分の代では完結しない計画を立てており暴風の吹くなか飛ばされないようにしながらあっちだよね目的地は、といい合いながらだいたい同じ方向に少しずつ歩いている。大事なのは、誰だってその暴風の側でもあり歩く側でもあるということだ。その賞は何ももたらさないだろ本当は、妙な仕方でいっとき話題になったってそれだけだ。ただちょっとは支えになるかもしれない、つまり自分だけではないのだ、とその人はあらためて確認できるかもしれない。その人だけの問題でなくその人のような誰かがほとんどその人以外のすべての中にもあってそれに関する話だろう。