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前回そとでビール飲んで以来じゃないか、というぐらい久しぶりのソト飲みは前回の企画の第2弾で、何周もひっくり返るような話をきいた。
中学生の頃にはまだ肥満児で、ぼくは友だちに対してなんというか、いまほど自分っていうことの自信(ないし傲慢さ)みたいなのはなかったっていう気がして、ぼくのままではあれこれやっていなかったように思うのだが、ぼくのままだったらやっぱり色々怒られて、立ち直れなかったかもしれないからそれはそれで良かったのかもしれない。
いまの僕はジタともに認めるフリーダムである種via jeuxだが、当然のことながら本人はいつもじごくである。星新一の小説に、青酸カリのカクテルっていうのが至上の美味で、死ぬとわかっていても人々が飲んでしまう、という話があって今でも覚えているが(星新一の小説で覚えている一番の話は別にあるけどそれはここですでに言ったかもしれないし言っていないかもしれない)飲めば死ぬのがそのカクテルで、いまのぼくのリスクをも含め想定できればまた変わってくる部分もあるだろう。僕の最大級の失敗というのを、ここでした場合一体なにが起こってそれを引き受けることになるのか。まあぼく自身はそれを見ようとしていないわけなのだけど。
ぐちゃッ、と、いとも簡単につぶれる幼児性を大事にかかえたまま動いている。役に立たないどころか足を引っ張る声にいつも引きつけられている。それを手放そうとも思っていない。レベル1から上がらない、最初で最後の私の人生。右足の次に踏み出すはずのわたしの左足がいつまでも視界に出てこない。体が前傾しまもなく地面につっぷす。ストーカーという映画をVHSで見たのは大学のときだったか。一秒でも面白いとは思わなかったそれをいま思い出している。イイ匂いがした。クリアな。味わわなかった記憶を追い、感謝と喜びを伝えている。希望はない。何も考えていないだけだ。一本の大根のような、一本の思想を「それだけ」と思っては、あるいはそこへ引き戻されたとしても「結局ここか」と思っては、やはりもったいないと思う。価値はない。大きな失敗が待っている。対策も準備もない。年をとるだけだ。おぞましい。いつものように、進みはしない、それを求めてもいない、目の前をただよう、本棚から落ちた埃が眼前の左から右へ少しだけずつ、移動しているそれのようにただ移動している。