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ラストFMが有料になるっていうけど、無料のときからさほど使ってなかったのでかまわない。というより、ここ一年ぐらいで日本語版もけっこう面白くなってきて、ここからのサービス向上次第で日本にももうちょい広がるかどうか、かな、とか勝手に思ってたので、これを良い機会に動きがまた出るのだろうって思う。とりあえず僕はこれまで使った感じから判断できるラスFにお金払って使用しようって気にはなっていないけど、それはラスFの望むところでもあるだろう。

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言葉について毎日考えるが、「同じ日本語を使っているのだから伝わって当たり前」という思い込みが結構、なんかしらの行き違いや炎上的なものに出逢った際、鍵になっている気もする。翻訳。すべての対話は翻訳でもある。「一人一民族」と言ったのは誰だったか。そうであるなら、「一人一言語」でもあるだろう。起源が同じラテン語だから、ディテールが違ってもところどころ似ていて通じてしまう、なんてことがあるように、あるいは同国内でも方言とかいって全然わからないことがあったりするように、同じようで違ったり、違うようで同じだったり、ということが、「国」とか地域とかで分かれるとわかりやすいのに、個人個人ってことになるとわかりづらい。僕がこうして書いているこの言葉はやはり、一番その内容に近いかたちで理解できるのはたぶん今の私だろう。あとの人はその近似を拾っていく。
これがまた少し時間を経て、もう僕自身にすら誤解され、その頃には他の誰かに、結構近いところを拾われるのかもしれない。
同じ国の、たとえば同じ日本語を使ってしゃべっていても、「通じない」のが当然なのだとして、しかし翻訳をしながらそのだいたいのところをかすめて理解した気になるのが対話なのだとすれば、今生きている人たちと通じなくってもかまわないと思えるかもしれないのと同時に、もう生きていない、たとえば日本語をかつて使っていた人たちの声を、だいたいのところで想像しながら聞いたり理解したつもりになったりできる、ということもあるかもしれない。今わたしには友達がいなかったのだとしても、数千年さかのぼって良いのだとすれば、そして国や地域も越えてよいのだとすれば、ひとりぐらいは気の合う人がみつかるかもしれない。彼は(彼女は)私に手紙を投げているかもしれない。彼らの手紙をキャッチして、それを理解できる可能性は、今生きている人たちの声を聞き、理解できる可能性に比べて、ある意味では変わらないかもしれない。ある意味では、とは、本当に求めているものは何か、といったことをフィルターにした場合、ということだ。