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新潮の矢野優さんの日記(週記か)を読むのが時々たのしみ
http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/tokyoeditor/yano/bn/yano_013/
矢野さんといえば編集者菅付雅信さんの編集講座というのが来年からあるようで、その22回ぐらいあるやつのゲストのひとりに矢野さんが入っていた。すごい勢いのありそうな講座です(ご興味のある方は検索なう)
編集講座@来年、といえば後藤さんの編集スクールも拠点を青山から恵比寿g/pギャラリーに移して新期がスタートするそう。(同上)
後藤さんに会いに行ったのは編集者になりたかったから、という理由ではまったくなく、生きて後藤さんに会えるというユメのようなことを実現できるのか、何かを諦めさえすれば、と思い、面倒とか恥ずかしい思いをしたくないとかそういう安心指向の一端を若干諦めて行ってみたら(しかし何よりめんどくさいを諦めたのかもしれないがやはり)会えた、というだけのことだったのだがそれが結果的に、このブログを書いたあすぐあと、23時頃からリスタートするであろうその本(CD)の作業に直でつながっているのだからこんな不思議なこと書いてある小説すらそうそうないだろうってぐらいやっぱりこっちの方がよほど、つまり2006年3月に遠い星のように見ていた妄想をはるかに上回る荒唐無稽な現実にいる。どんなに恐ろしいと思ったことより恐ろしい目に人は遭うし、きっとどんなに凄いと思うことより凄いことを出来る気がする上に実際そうだったこともある。想像で行けるところはけっこうすぐに頭打つ。それをかけてかけて思うのだがストライクとかスペアとか重ねていくみたいにして思いもよらなかったところに行くのではないか。やっぱり、またか、それ知ってる、というだけのところにはないところがあり、それしか見えていない