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↑という前提でいささかやぼなことを言うのだが、僕は掲示板の終盤を見ながら以下のような違和感を、2点、抱いたのだった。
一つは、荒らしている人に対して、救いのない、明らかに、どう考えてもお前の方が悪い(そして私は正しい)、という認識をもったようなレスが多くて怖いな、ということで、もう一つは、やはり荒らしている人に対して、君はまだ若く、何も知らないしわかっていないだけで、やがて俺らの言うことがわかるよ的な、上から目線の発言があるよな、ということで、これらはいずれも、状況を固定化&悪化させこそすれ、事態を解決・解消に向かわせる姿勢とはかけ離れているよな、ということだった。
つづけて言うと、その上から目線&自分を絶対正当化した自覚や物言いというのは、結局のところ荒らしの人がスタイルとして標榜していたそれでもあって、ということは、言っているその言葉のトーンや顔つき(見えないが確かにあるそれ)がおんなじになっちゃっているよ、ということでもある。
今回のことはもちろん、ある種平和に暮らしている人のところにストレスを抱えた誰かが正当な理由もなく攻撃してきた、みたいなことではあって、元々いた人に悪いところが、原因があったのかといえばないと思うんだけど、でも対応がどうかという点では、あ、雨降ってきた、雨だ雨だ、雨が悪い、濡れてる俺たちは悪くない、みたいになっていて、いやいや、それじゃずぶ濡れですよ、的な部分がある。それはいわば天災みたいなものであって、雨が悪いからといってやませることなんかできないのだから、それなりの対応をしないといけないということはあっただろう。
間違いのない解決策などというものがあれば、それはやがてくつがえされるものでもあって、ではどうするのかってその都度その都度考えるしかない。これで完璧、なんて方法や論理が言葉であらわされたら、確かにさぞかしラクチンではあろうけど、そういうのってかなりタチが悪い。間違えながら前言をひるがえしながら、ぐだぐだしながら対応をしていくのがある意味では唯一の「正しい」解決の仕方で、そこには誰か自分以外の人を低めて見たり馬鹿にしたりなんて姿勢の入る余地はないだろう。
どう考えても、荒らしている人の打ち出していた困った感じというのは誰にでもある、いや、少なくとも僕にはあって、どう考えても、それを自分とは別物として扱うことなんかできない。それはいつでも僕がやりうることだし、というかいまだってやっているかもしれないそれだ。俺は正しい、お前が違う、お前は間違っているのだから、正しい俺からこんなに酷い(と言われうる)ことをされたって耐えるべきである、それが社会というものでありそこにおけるペナルティなのである、みたいのはやはり怖い。その判断は絶対に間違っていないと言えるのだろうか? ペナルティが不要であるというのではなく、ただその判断はつねに暫定的なものであり、あとから「スイマセン、間違ってました!」となる可能性はあるだろうということだ。その前提をもってすら、出来る発言や態度がそこにあったかというとちょっと疑問というかあんまりなかったと思うし、やはりそうした状況を通して到る帰結は終わりしかないだろう。
かといって、終わりというのが何か間違いとか悪いことかと言えばそうは思わないし、結果オーライ的に良かったとも思うのだが、でもねー、僕はやっぱり、ちょっと、もっと、なんにせよ謙虚にイチから考えていく必要ということをこのことであらためて思った。これまでわかったことが何の、どれだけの、役に立つのか。もったいないかもしれないが、とりあえずこれまでのことは一回ナシにして、あらためて判断を重ねていく必要というのがなんにせよあるのではないか。みっともなくていいし、整合性が取れている必要もないだろうし、美しくもなく、ぐだぐだでもいいと思う。威張らないで、その都度考える、修正を加えて、補完をおこなって、ということがやっぱり、姿勢のあり方としてないと、きついんだよなーと思った。