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更新するか。ウィーザーのヴォーカルのリヴァースのデモ音源というのを1890円ぐらいで買いまして(細かいのか曖昧なのかわからん)それがいいなー。だめだなー、これw。バディ・ホリーとか凄いぞ(笑)。しかし全体的にとても感動的だな。こんな・・・。
それとは全然関係なく、20歳ぐらいのときのことを思い出してたんですが、そのときの私が現在の私に、いくら10年以上前といってもほとんど確実に言っていたと言えることがあって、彼は僕に「オマエは俺の何年後とかじゃないですから。オレのことを昔の自分とか、ましてや今のオマエの土台になったみたいなこと絶対いうな」と言っていて、そうだよなー、お前ぜんぶわかってたもんなーとか。別人だもんねー。同じ計りとか同じ定規で計ってもねえ、ちょっと面白いだけだよねと思う。

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仲俣さんが明日(日付かわって今日)、なんと『クローズアップ現代』に出るそうですよ。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20080529#p1

今年に入ってからヒマな時間が多かったので、草思社の倒産〜文芸社傘下入りについて、あるいは書店や雑誌や読書の問題について【海難記】であれこれ書いてきたが、おかげさまでいろいろ反応をいただいたり、取材や執筆依頼も受けている。そのひとつで、6月4日夜のNHKテレビ「クローズアップ現代」に出演することになった。生放送は初めてなので勝手がまったくわからないが、その時間に家にいられる人は見てください。

あの番組も長いなーそれこそ。しかもスピード上げてすらいる気配が。

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5月のうちにいろいろ考えたり話したりしたなか、ふと数えるほどもいない高校の頃の友だちに、そういえば今おれこんな状況、けっこう大変でとか言ったら「キミの悪いところはねー、自信がないところだよ」と、「キミのいいところはしつこいところなんだから、効率よくサクッと仕上げてほしかったらキミなんかに誰も仕事頼まないですからキミに頼むってことはキミならなんか面白いことしてくれるだろって期待して頼んでくれてんだから、良質なことやろうとして悩んでんじゃないよバカだね」と言われ、まるでそうかも。と打たれ、面白いもの見たがってるんなら僕が面白いと思うもの頑張って作ったらいいね、そうだね、僕が責任もってできることは考えてみたらそれだけだね、と思うた。(車谷長吉

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たぶんダメだなあ。今までで一番やばい。トンネルの向こうの光が見えませんし底なしの洞窟なのでは、とそしてその可能性を笑って否定できる材料がないな。いいや、あの、上記クオモの『クレイジー・ワン』がイイよ。こんな使い古されたコード進行を信じて。。

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仏革を作ってるときに2回ぐらい、本気であきらめかけたんですが、あきらめる、というのは、ダメな状態でリリースする、ということに首肯する、ということですが、それをギリギリ救ってくれたひとつが西條さんとのSkypeで、詳しくはあれですけどほにゃらら、と言って頂き、おお、そうだよな!そうだ、そうだ!!と持ち直し、そうだ、こんなじゃアカン、そんなつもりじゃなかったじゃん、だって、と思い、気持をあらたに、ちゃんと出来るまでガンバロウズ(なのるなもない)と思ったのだった。あれはその、大きかったですよ読者さん。
僕はまあ、だから、元々しつこいわけではなくて、というか元々しつこいんだけど、それはコントロール欲が強いということで多分、支配欲というかハラスメント体質っていうかな、でもしつこく作業にあたるっていうのは面倒だし疲れるしそのどっちも僕の苦手だから何にも本当はできないんだけど、たまたま、偶然、それをやることもある、という程度のことで、だから本当にまぐれなんだけど何にせよ、だから元々そうだということでは全然なく、むしろ遠いと思うんで、「次はダメかも」の連続、連続っていうか、2回ぐらいだけど。
大抵ひとりで、作るわけですよ、途中で褒められたりしても、ええ?じゃ、この方向性で行かなきゃいけないってわけ、逆に?とか思っちゃうので、意見を聞きつつもでも最後にはそれにOK出すの俺だかんな、と思いながらやるのかなと思うんだけど、なんか途中段階でもうリリースしちゃって、そこでの交遊でイチャイチャしちゃって満足するような風潮がありそうで全力で逃げたいな。

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最近、ずっと考えてる考えのモデルというのがあって、僕はそのとき、地下の薄暗い作業場で、黙々と誰にも知られず何かを作っている。なんというか、内職?みたいな、造花を組み立てるような何かそういう、手作業で延々としたクリエイトをしている。僕は生まれたときからずっとそれをしていて、ある一定の量が仕上がると、作業の管理者・監督・上役みたいな人が階段をカツカツと下りてきて、僕の仕上げたそれ、段ボール箱に入ったそれを抱えて去っていく。僕の手元には何も残らず、またイチから作りはじめる。僕が作ったものは、僕が作ったものとしては誰にも知られない。
持っていかれたそれはきっと、ゴミ箱に捨てられる。それはやがて燃やされる。誰も、僕がそれを作ったことを知らない。場合によっては、僕がいることも誰にも知られない。
あるいは、僕の作ったそれを、燃やされる前に持っていった誰かが、「これを私がつくった」といって売り出している。誰もそれを僕が作ったものだとは知らない。場合によっては僕がいることも知られない。
それでも作るか? と問う。作るよと応えるときには、誰にも知られないが、僕は知っていると言うだろう。作っているときの僕は作っていることを体験していると。それだけでも作るか? とあらためて問う。それだけでも作るよ、と言うのでなければ、本来のところ、理屈に合わないというか理に適わないという気がしている。それに耐えられるとか無理だとか言う以前のレベルの、だってそうじゃん、という。