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 ところで今日は上野へダリを見に行ってきました。一人だったらたぶん行かなかったが、誘われたのと、ダリの絵は中学生時からずっと好きだったし、考えてみたらずっと好きだったイメージの元っていうか本物を見られる機会なんてそうそうないかって思って、2時半ぐらいに着いてチケットを買おうと並んでいたら、相当混んでいる様子だったので、その後に行くつもりだったかっぱ橋へ先に行く。

 うーむ、かっぱ橋、思ったより安くないじゃん。あまりワクワクもしない・・・。ふらーっと新鮮な空気を求めるように路地へ入っていくと、裏の公園で子どもたちが同じフィールドにサッカーと野球を重なりながらやっている懐かしいようで微妙に都市的な光景に遭遇。結構大きい公園なのだが、横のほうでは場所を取れなかったらしい別の子どもグループがタラタラ喋りながら中の様子を見ている。そんな、混じったりもできない。さすが都市。

 用を済ませて再び上野へ。

 「私は(以下略)」というキャッチフレーズから醸されたしょうもない感の期待を裏切らないキツさ。スタッフさんはともかく、会場には抑圧ムードが充満、酸素が足りなくて苦しそうな学芸員(というか足が白線を越えないかチェックするだけの人)と警備員の表情、信じられないことに休憩場所もイスもまったくない中、延々と人々は動く歩道状態。なんなんだ、これは。なんなんだ!これは!!絵とかアートとか、そんなんじゃない、とにかく金と命令と無考えで溢れているのだ。お客や裏を動き回るスタッフが悪いのじゃない、たんにもっと「上」がアホなのだ。アイツら土日の昼に入場したことなんて一度だってないだろう。ましてや入場料なんて払わないだろう。
 忠告です。これは午後6時閉館で5時半が入場ラストだと思うけど、人が多すぎて苦しいので、というか絵なんて見られないので、どうしても行きたいって人は夕方4時半以降に行きましょう。「まし」だと思う。でもこれ、平日、というか水曜の話ですから。

 肝心のダリの絵は、面白いものも普通のものも。でもまあ、イラストだよな、マンガっていうか。・・・って、悪い意味ではそれはまったくなくて、きっと本人だってそんなつもりでやってたんじゃないかな。で、そういう軽ーい(ように見える)ことをやって大々的に扱われるっていうスタイル、まるで村上隆氏の規模を大きくしたようなそれ、をやったつもりが、そして当時はある程度その思惑通りに「しょうがねーなー、アイツは(笑)」とか笑われながらも愛されていたのが、今回の展示では何だかあのギューギューの「牛歩ベルトコンベアー」状態で見させられるという美術苦行に化してるわけだ。これではどんどん離れて行くぞー、アートに金出す人。彼が大々的に扱われること自体は正しいのだがむしろ、だけどそれはポップアイドル的にそうされるのが良いって意味で、大画家みたいなそれじゃないんじゃないかな、と、絵を見て初めて思った。これまではダリって、「もしかしたらもの凄い何かを持っていたりして」と思っていたが(そしてそう思わせるところが彼の力なのだが)、すごくそこら辺の兄ちゃん的真面目さで人生に取り組んでいたとしか思えない。少なくとも「天才で理解しがたいしする必要もない」的な、つまりは動物みたいな人、じゃないのだ。

 ということが、しかしバレたらあんなに人が来るわけもなくて、だから主催者的には今の一周間違った状態はバンザイなのかもしれない。

 とはいえあれを見てどれだけの人が「思った通り、素晴らしかった!」と思うのだろうか。僕だったら相当自分に無理に言い聞かせでもしなければ、そんなことは言えないだろうな。だって、普通じゃん!普通のセンスで極度に上手いだけじゃん!!陰影の人だよね。色が使えない。というか、色が使えない人にしか出せない色を出しているって意味でのカラリストだよね。で、漫画家じゃん。ていうか哲学とか文学をやってたってことでしょ。だから、アートでもあるんだけど、美術っていうよりは、なんだ、イメージとかアイディアの「図説」なんだよね。画家っていうより語り部でありパフォーマーでしょう。パフォーミングアートっていうんでもなくて、事実として、目立つのが体質にあった人というか(パフォーミングアートの本質は名前に反してその地味さにあるのだし)。ただ、絵を描くのが超好きだから、絵を使って文学をテーマにした音楽をやっていた、歌を歌っていたっていうのかな。画家・・・なんだけど、でもやってることは図案なんだよな。概念を、絵に置き換えている。風景も好きだったんだろう。広がる、広大な景色フェチだったんじゃないかな。それでパースのついた絵ばかり描いて、映画もきっとやりたかったんだろう。ってかやったのか。だからさ、絵自体は目的じゃないんじゃないかな。っていう意味ではやっぱり文学者で哲学者的な、思考とテキストの人なんじゃないかな。だから基本、ポップに騒がれるってこと自体は正解だったっていうか・・・。ともかく、僕が思っていたダリ像、絵に圧倒されるような絵を描く人、ということはまったくなくて、でも作品が悪いというのでもなくて、ただそれは想像していた良さとは違う特徴を良さとして抱えていた、ということでした。

 あれを見て、解釈をしたり納得や確認をしたりして、安心というか、リラックスするような意味で気持良くなることはあるかもしれないんだけど、うわー、トラウマになった!っていうような覚醒を感じるってことは僕には想像できないな。あるいはそれも、環境のせいなのかな。ひどい環境だった。キャッチコピーから推して知るべし。とはいえこの機会じゃなきゃ本物を見られないという人だって沢山いるのだから(僕だって)、やっぱり我慢しなきゃいけないこともあるのかな。ということで冒頭の忠告リロード。できれば閉館1時間前に行くべしです。思うのだけど僕たちは(僕の知るだけの「僕たち」は)、理不尽な苦境に馴れすぎてやしないだろうか。

 でもダリさんの作品はともかく、ダリさんという人のことはこれまで以上に好きになった。それは良かった。