103

 昨日は石川さんの文学レクチャー「上半期の小説を読む」@朝カル新宿校。
 ・・・・・・すごかった。なんだ、いま私、歴史的な瞬間に立ち会っているのか!?というぐらいにすごい面白い。内容もすごいが、それを聞きながら僕が思っていたのは、「いやー、でもこんな内容、俺以外の人にもわかっているのだろうか」という傲慢尊大きわまりないトピックで、それはたとえば太宰さんの小説を読みながら、「この作者は俺に向かって書いているのだ。この作者の本当の良さは、俺にしかわからないのだ」と思うのとほとんどおんなじそれで、そういうことは内田樹さんも「レヴィナスを読んで、この良さは自分にしかわからないと思ったし、レヴィナスはそう皆に思わせるし、そう思わせる人ってそうそういない」ということを日記で書かれていた、気がするがそれとも同じだ。(最近、内田先生の過去ログをずーーーっと読んでいるのだ。オレは。内田先生の文章に中毒性があるという話があるのだが、そして僕もそれにまったく同感だが、それは銀色夏生さんの日記本のそれに近くて、すなわちそれは薬理的なものだとも思う。つまり、おクスリを飲んで痛みがひいたり気持よくなったりラクになったり眠くなったり、それを服用すればほとんど確実に、ちょっと具体的に言えば人生に関わるわずらいが薄れる/乃至ほとんどなくなる、のだ。実際僕に彼らはそういう効果があって、ある意味こころの処方箋。人生における処世術。それさえ片手に持ってれば、大抵の痛みや苦難は乗り越えられる(無化される)という、安心感とそれを支える実績が、内田先生の文章にはたぶんあって、あの平易にして趣きのある書き言葉は、こういう鬱屈と抑圧が充満した僕らの世界(小さな社会。自虐じゃなくて、事実として)にかなりぴったりフィットしている。と言ってもそのフィットとは、ちょっと隙間や遊びやズレのある、タイトとは対極のフィットのありようの事だが。)
 にも拘わらず、(前回のつづき;僕は石川さんの話を、自分しか理解・共感できていないだろうと思っていたのだったが・・・)そのあと朝カル近所の飲み屋で感想などをダベっているのを聞いていたら、なんと他の参加者さん達にも思いきり(各様に、だが)話が伝わっているのでそれにまた驚く。あたり前か。あたり前なのか!?まあたしかに平日の夜7時、2時間近い石川さんのお話を聞きにいこうっていう方々なのだから、そこにはそこ特有の前提・基盤があってもおかしくはないのだが。とはいえさ。
 内容に関しては、これ言っていいのかなあとか思うので、いずれあらためてリリースするかもといった程度に一応。
 ではゼミ行ってきまーす。